「ボールが普通に転がること」――これがグリーンキーパー山口義彦の理想の芝生である。その山口にとって、今でも忘れられない言葉がある。それが2001年のコンフェデレーションズ杯での中田英寿のコメントだ。当時、アジア初のサッカーW杯日韓大会を1年後に控え、山口たちは世界の舞台にふさわしいピッチにするべく、試行錯誤の日々が続いていた。そんな中、当時日本代表のエースからの何気ないひと言が山口に大きな自信を与えたのだ。
 01年6月7日、翌年に迫ったW杯のプレ大会として行なわれたコンフェデレーションズ杯、日本と豪州との準決勝が日産スタジアムで行なわれた。その日はあいにくの天気だった。試合前から空は厚い雲に覆われ、キックオフとほぼ同時に豪雨に見舞われた。横浜地方気象台からは大雨洪水警報が発令されるほど激しい雨がピッチ上をたたきつけていた。

 大粒の雨で選手たちの視界は非常に悪く、敵と味方を見分けるのも一苦労という状態だった。普通であれば、ピッチが水浸しとなり、ボールが転がらずに途中で中断せざるを得ない状況であり、誰しもそうなるであろうと考えていたことは想像に難くない。だが、試合は滞りなく行なわれ、いっさいの中断なく終了のホイッスルが吹き鳴らされたのだ。なぜか。それはピッチに水たまりがほとんどできず、ボールが転がり続けていたからだ。

 試合終了後、中田はピッチの状態についてこう述べた。
「視界はほとんどきかなかったけど、ボールは普通に転がっていましたよ」
 その言葉を耳にした山口の心は、どしゃぶりの雨とは裏腹に晴れやかだった。
「本当に何でもない言葉ですが、僕には自分たちがメンテナンスをしてきた芝生を称賛してくれていたように受け取れたんです」

 W杯1年前に得た手応え

「いい芝生をつくってくれ」
 これがW杯に向け、トップから課された山口たちグリーンキーパーの使命であった。しかし、98年の開業以来、W杯のPR活動に伴い、スタジアムではさまざまなイベントが開催されていた。そのため、芝生はボロボロの状態だった。疲弊しきっている芝生に何より必要だったのは、休息であった。山口たちは「芝生を育てる時間をください」と懇願し続けた。しかし、なかなか理解されない。山口たちは頭を悩ましていた。

 ちょうどそんな時だった。「このままでは、日産スタジアムでW杯の決勝を開催することはできませんよ」。山口たちの悩みを知ってか知らぬか、川淵三郎氏(当時、Jリーグチェアマン)がピッチ状態に苦言を呈したのだ。これをきっかけに芝生のメンテナンスがより重視されるようになったという。
「2000年は市の理解を得て、スタジアムの利用を控えてもらいました。それが01年のコンフェデレーションズ杯で水はけのいいピッチを提供することができた要因のひとつだったことは間違いありません」

 試合は1−0で日本が接戦を制し、決勝にコマを進めた。両国代表の選手たちは頭からずぶ濡れ状態だったが、ボールは最後まで転がり続けたのである。これに感激した国際サッカー連盟(FIFA)からは、日産スタジアムに感謝状が贈られた。同じ6月に行なわれるW杯は、ちょうど日本では梅雨真っ盛りであるために、不安の声もあがっていた。それだけにFIFAからの感謝状は、日本サッカー界にとっても大きな自信となったに違いない。
「なんとか、W杯への準備ができつつある」
 山口は手応えを感じていた。

 小さなホームアドバンテージ

 2002年5月31日、韓国・ソウルスタジアムで開会式が行なわれ、アジア初となるサッカーW杯の幕が開いた。1カ月間にわたる大会期間中、日産スタジアムに割り当てられたのは4試合。予選3試合と決勝だった。予選1試合目は日本代表の第2戦、ロシアとの試合だった。当初、山口たちは芝生の長さを20ミリに刈るつもりだった。これは決勝まで最高の状態をキープさせるための対策だった。

「サッカーはボールが転がりやすい方が試合も面白くなる。ですから、決勝は短めの18ミリにしようと思っていました。しかし、予選リーグでは20ミリにする計画でした。というのも、芝は短い方が傷みやすいんです。予選は1日おきに3試合でしたが、必ず前日には公式練習がある。結局、6日連続の使用でしたから、少しでも傷みにくくしようと考えていました」

 しかし、5日前に埼玉スタジアムで行なわれた日本代表の初戦、ベルギーとの試合をテレビで観ていた山口は、日本人選手が思うようにパスを回せていないように感じた。海外選手に比べて体格やパワーで劣る日本が勝つには、スピードが求められることは今や周知であろう。そのためには素早いパス回しで相手の守備を切り崩すことが重要である。その日本人の武器であるはずの“パスサッカー”が選手のイメージ通りに行なわれていないように山口には感じられたのだ。

 そこで9日に行なわれるロシアとの試合、日産スタジアムでは決勝同様に18ミリにカットされた。
「ボールが転がりやすいのは、対戦相手も同じですし、日本人選手にとって18ミリにしたことがどれだけ影響したのかはわかりません。でも、結果は1−0で日本が勝ちましたから、良かったのかなと」
 あくまでも平等の中での、ほんのわずかな“ホームアドバンテージ”を、山口は日本代表に提供していたのだ。

 成功の裏に潜む試練

 その後の予選2試合は20ミリに戻し、決勝に備えた。予選3試合目を終え、決勝までは17日間あった。しかし、決勝戦と同日に行なわれるクロージング・セレモニーや閉会式の会場ともなっていた日産スタジアムでは、多くのリハーサルが控えていたのだ。これが山口たちの頭を悩ました。

 決勝の1週間前のことだ。閉会式のリハーサル終了後、見ると、ピッチには“けもの道”ができていた。何人もの人々が一列になって同じ場所を往復して歩いた結果、その部分の芝生が黄色く変色してしまったのだ。それを見た山口は、FIFA関係者に詰め寄った。
「どうします? こんなピッチじゃ、決勝は無理でしょう?」

 だが、4年に一度の祭典のフィナーレを飾るセレモニーは完璧に執り行なわれなくてはならない。そのためのリハーサルは絶対に必要だという。
「FIFAも『芝生は大事だ』とは言うんです。でも、リハーサルの時間を減らすことはできないと。今だから思い出になっていますけど、当時はケンカでしたよ(笑)」

 その後も、リハーサルは予定通りに行なわれた。3年という月日をかけ、決勝の舞台に最高のピッチを提供しようと、試行錯誤を繰り返してきた山口たちにとって、最後の最後に与えられた試練だった。とにかくやれることをやろうと、芝生の上にビニールシートを敷くなど、少しでも傷まないようにと保護に努めた。そしてリハーサルが終わると、「もう少し、頑張ってくれよ」と語りかけるようにしてブラッシングしたり、いつもよりも多めに肥料を蒔くなどの対策がとられた。果たして決勝ではどんな状態となっているのか。黄色く変色した部分は元の緑色に戻ってくれるのか……。

 いよいよ大一番を明日に控えた決勝前日、芝生はなんとか回復し、青々とした葉がピッチ一面に覆い茂っていた。
「よし、これなら大丈夫だ」
 しかし、安心するのはまだ早かった。19時から始まった公式練習でピッチの状態は一変してしまったのだ。

「ブラジルもドイツも決勝前で気合いが入っていましたからね。前日練習とはいえ、結構激しかったんです。特にすごかったのがドイツの守護神オリバー・カーン。あまりの激しさに、ゴール前はグチャグチャでした(笑)。雨が降っていたこともあり、芝生がまったく見えないくらい茶色く耕されてしまっていたんです。結局練習後にゴール前のすべての芝生をはぎとって、代替用の芝生との張り替え作業が行なわれました。すべてのメンテナンスを終えた時には、深夜0時をまわっていましたね(笑)」
 こうした山口たちの陰の努力があってこそ、アジア初のサッカーW杯は成功に終わったのである。

 海外からの称賛

 あれからちょうど10年が経った。山口にとっては、どれもいい思い出となっている。
「正直、自分たちが一生懸命やってきたことに対して裏切られたこともありましたし、悔しさもありました。でも、他のスタジアムでは経験できないことばかりでしたからね。本当にいい勉強になりました」
想像もしていなかったいくつもの困難がスタジアムの芝生とともに、山口たちグリーンキーパーを“図太く”成長させたと感じている。

 インタビュー後、山口と共にピッチへと移動した。上空を見上げると、真っ青な空が広がっていた。太陽の光がピッチ上の芝生の上にやさしく降り注いでいる。冬らしい澄み切った透明な空気が、心地良かった。すると、山口がふとこんな質問をしてきた。
「01年のコンフェデレーションズ杯の決勝は、日本とフランスだったのですが、前日、公式練習でフランスの代表選手がピッチに立って、まず最初に何をしたと思います?」
当時の様子を思い出したのか、山口は嬉しそうに笑みを浮かべていた。

―― 決勝前ですし、コンディションを確かめるために芝生の長さを測ったとか、ボールの転がり具合を確かめたとか?
「いいえ。彼らはボールも蹴らずに、いきなり芝生の上に寝転んだんですよ(笑)。とっても気持ち良さそうにしてね。楽しそうにゴルフのスイングの真似をする選手もいましたよ。彼らが普段サッカーをしている芝生は、ボサボサなんです。でも、ここの芝生がまるで絨毯のようにきれいに整えられていたので、思わずそんなことをしてしまったんでしょうね」
 そう語る山口の表情は、喜びに満ち溢れていた。その光景は、グリーンキーパーにとって、何よりの称賛だったのだろう。

 3月2日に開幕するJリーグなど、今年も日産スタジアムでは数々の試合やイベントが行なわれる予定だ。そして7月23日には、横浜F・マリノスとイングランド・プレミアリーグの名門、マンチェスター・ユナイテッドのプレシーズンゲームが開催されることが発表されている。

「イングランドと同じくらい素晴らしいピッチだ」
 数年前、日産スタジアムを訪れたプレミアリーグ・アーセナルのアーセン・ベンゲル監督は目を輝かせてそう称えたと、山口は人づてに聞いたことがある。果たして86年以来、マンチェスターを率いる名将アレックス・ファーガソン監督の目には、日産スタジアムの芝生はどんなふう映るのだろうか――。

(おわり)

山口義彦(やまぐち・よしひこ)
1965年4月23日、東京都生まれ。東京農業大学卒業後、ゴルフ場のグリーンキーパーとなる。99年、日産スタジアムに転職し、3年後に控えた日韓W杯に向けてのピッチづくりに勤しむ。2002年6月、W杯の予選3試合と決勝が日産スタジアムで行なわれた。現在もより良質のピッチづくりへの試行錯誤が続けられている。

(文/斎藤寿子)
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