「我が柔道人生に、悔いはなし」――。
 多くのファンに愛された柔道家が、惜しまれながらも畳を降りた。
 2000年シドニー五輪柔道男子100キロ級金メダリストの井上康生(綜合警備保障)が5月2日、所属する総合警備保障本社(東京都港区)で記者会見を行い、正式に引退を発表した。井上は、北京五輪男子100キロ超級代表の最終選考会を兼ねた全日本選手権(4月29日、日本武道館)の準決勝で敗れ、試合後に現役引退の意向を示していた。
 恩師である山下泰裕・東海大柔道部部長とともに会見に臨んだ井上は「5歳から25年間、柔道にすべてをかけてきた。『我が柔道人生に悔いはなし』という気持ちです」と心境を語った。
 今後は指導者の道を目指し、今秋または来年以降、ヨーロッパに2年間、海外研修員として留学する予定だという。
(写真:正式に引退を発表したシドニー五輪柔道100キロ級金メダリストの井上)
「本日をもって、井上康生は第一線を退く決意をいたしました。私自身、5歳の時から柔道を始めて25年、柔道にすべてをかけてきました。今の心境としては『我が柔道人生に、悔いはなし』という気持ちでいます。柔道家として、井上康生として、皆さんに愛されて、会社の方々、東海大の方々、先生方、友人、家族、ファンの皆さんに支えられたこと、本当に幸せ者だったなと思っています」
 スーツ姿で会見に出席した井上は、晴れやかな表情でこう引退を表明した。続けて、「今後は、3つのことをやりたいと思っている。1つ目は、現役同様、皆様に愛されるような井上康生であり続けたい。2つ目は、妻、家族を幸せにすること。3つ目は、井上康生があるのは柔道のおかげ、柔道に恩返しができるような人間になる、そして社会に貢献できる人間に近づけるように頑張っていきたい」と語った。

 山下泰裕・東海大柔道部部長は「1つの時代が終わったなと。偉大な柔道家だった。あれだけの芸術的な美しい技を見せてくれる柔道家はなかなかいない。柔道に打ち込んできた姿勢、生き方をこれからも大事にしてほしい。アテネ五輪の前は華々しかったが、母や兄の死、怪我などいろんな挫折を経験した。そこから逃げずに立ち上がった。苦しみから逃げずに立ち向かったその経験は、今後にも生きると思う」と労い、「康生は、非常に優しく純粋で素直。そういう康生らしさを指導者になっても大事にしてほしい。将来、いろいろな意味で、日本だけでなく世界に通用する、世界的な視野を持った指導者になってほしい」と期待を寄せた。
 会見中、幾度となく「幸せな柔道人生だった」と自らの柔道人生を振り返った井上。一つの時代を築いた柔道家が、第二の人生を歩み始める。


会見での主なコメントは以下のとおり。

――引退を決意した一番の大きな理由は?
井上: 去年から言っていたが、今年の4月29日の全日本選手権で最後と決めていた。大きな目標としては北京五輪があったが、代表選考で敗れてしまった。僕自身、柔道人生に悔いはない、やめようと決めました。

――指導者の道を進む意向だが、どこで指導をするのか。
井上: いろいろな勉強をして、指導者になるための知識をつけていきたい。高校時代から15年間、お世話になった東海大で指導したい。お世話になった綜合警備保障も柔道部を強化しているので、そこでも力になりたい。将来、大きなことを考えれば、日本の柔道がどう強くなるかを考えていきたい。

――5歳から始めて25年間、どういう柔道人生だったか。
井上: 父に憧れて柔道を始めた。精一杯、柔道にすべてをかけて生きてきた。25年、長いようであっという間だった。アテネが終わってから4年間、いろいろな苦労もあったが、4月29日の大会で、あれだけ多くの方から声援をもらって、5歳から僕自身が目指していた、憧れていた柔道が、自分の中では、完成されたのではないかなと。本当に柔道人生に悔いはないという気持ちでいます。

――父に引退を伝えたときの反応?
井上: 最後の戦いを父と一緒にやってきた。25年頑張ったな、と。父としても悔いはない、我が息子として精一杯よくやってくれた、ありがとう、と言ってくれた。

――特に心に残っている試合は?
井上: (決勝で)篠原信一さんに勝たせていただいて優勝した全日本選手権(01年)、前年に母を亡くして初めて世界チャンピオンになった試合(99年バーミンガム世界選手権)、初めて五輪で金メダルを取ったシドニー五輪(2000年)。この3つは自分の中で大きな大会だった。

――この1年、結果が出ない中、一本を取る柔道にこだわったのか。
井上: 勝負の世界だから、勝たなければいけない、と迷った時期もあったが、最終的に、自分の柔道は攻めて一本を取る柔道なんだという結論に結び付いた。29日の大会で、自分が考えてきた柔道ができたことがよかった。

――どういう指導者になりたいか。
井上: これから勉強をするので、まだまだわからないところがあるが、指導者としても人間としても山下(泰裕)先生は目標。現役のときも、先生に一歩でも近づこうとやってきた。現役としては全然遠かったが、これからの人生で、また一歩でも近づいていきたい。

――昨年のリオ世界選手権、今年のフランス国際と敗戦が続き、くじけそうになったことは?
井上: 自分自身も自信をなくした時期。もう、あきらめてもいいんじゃないかという気持ちにもなったが、ここですべてを投げ出して何が残るんだろう、と。僕自身、勝つことも大事だが、負けたことも大事にしてきた。そういう信念、いろいろなものを捨ててしまうのはどうかと思った。迷いながらやってきた中で、いろいろな方に支えられた。良い試合をしていない時期にも大きな声援を送ってもらった。そういうことに支えられて最後まで戦えた。29日の時点で、幸せな柔道家だったなと感じることができた。

――北京五輪代表に決まった石井慧選手に贈る言葉は?
井上: 彼のすごいところは柔道へのひたむきさ。世界一の心を持っているのではないかと思うくらい、勝つことに貪欲。北京でも金メダルを目指してやってもらいたい。

――柔道の一線を退いて、今後、やってみたいことは?
井上: ここまでゆっくりできなかたので、まずはゆっくりしたいな、と。1月に結婚して支えてくれた妻がやりたいことを、自分は横について行って、のんびりやりたい。第2の人生に向かって、しっかり勉強し、柔道で培ったことを生かしてやっていきたい。

――29日の試合で敗れた瞬間によぎったことは?
井上: 終わった瞬間は真っ白になった。終わったな、という思いだった。畳を降りるときも、いろいろな方に、柔道に、ありがとうございましたと深くおじぎをして終わることができた。

――天国のお母さん、お兄さんへの報告は?
井上: 本当に支えられてきたし、目に見えない力でここまで成長させてくれた。遺影の前で、自分は精一杯やってきましたと伝えた。御苦労さん、という言葉が聞こえたような気がした。

――25年間、これだけは貫こうと思っていた信念は?
井上: 今までも、これからもそうだが、柔道が好き、柔道を愛しているということ。そのことだけかな、と。

――どんな指導者になりたいか。この先目指すゴールは。
井上: まだ指導者の道に足を踏み入れていないので、ゴールは全く見えていない。これから勉強していく中でいろんなことが見えてくると思うし、何年かかるかわからないがゴールが見えてくると思う。柔道に恩返しするために、これからも柔道と一緒に人生を歩む気持ちでいる。
 強さはもちろん、人間的に素晴らしく、皆さんから愛される選手を育てていきたい。僕自身、柔道家として幸せな柔道人生だった。そういう柔道人生を送れる柔道家になってもらいたい。

――指導者としての具体的な目標。金メダルの数は?
井上: すべての選手に金メダルを獲らせてあげたいが、何人かはわからない。勝負の世界は厳しい。五輪で金メダル取らせたいという気持ちで指導をしていきたい。1人でも2人でも10人でも100人でも育てたい。情熱を選手に注げるような指導者になりたい。