「ラグビーをやっている限り、忘れたくないというか、忘れられないキックですね」
 そう中村が振り返るワンプレーがある。
 4年前、2009年冬の出来事だ。全国高校ラグビー1回戦、鹿児島実−国学院栃木。中村は鹿実のSOとしてグラウンドに立っていた。
(写真:川本聖哉)
 前半こそ押し込まれる展開が続いたが、後半になって盛り返し、スコアは14―16。2点ビハインドで試合は後半ロスタイムに突入していた。ラストワンプレー。ここで鹿実が相手の反則により、ペナルティーキックのチャンスを得た。

 一瞬の迷いが生んだミス

 角度は左45度、距離は40メートルほど。決まれば、鹿実に3点が入り、逆転勝利となる。キッカーを託されたのは中村だ。静かにボールを芝の上へセットし、心を落ち着かせ、いつもの助走、いつもの間合いで蹴ろうとした。いつも通りであれば十分、ゴールは決められる。

 サッカー経験者ゆえに、キックには自信があった。この試合でも既に3本のPGを決めていた。「まず長所を伸ばす」という当時の富田昌浩コーチ(現監督)の方針もあり、入学してから楕円のボールをひたすら蹴り続けてきた。
「最初は距離は飛ぶものの、正確性に欠けていたところがありました。ただ、全体練習が終わっても、ひとりでプレイスキック、ハイパント、タッチキックの練習を夜遅くまでひたすら繰り返していたんです。“もう遅いから帰れ”とこちらが言うまでやめなかった。みるみる上達して、もうチーム内では安心してキックを任せられる存在になっていましたよ」

 だが、風がイタズラをした。向かい風が吹き、蹴る寸前に迷いが生じた。
「力強く蹴らないと届かないかも……」
 一瞬の躊躇が明暗を分けた。自然体ではなくなった右足の振り抜きは必要以上に力が入り、ボールをヒットし損ねる。勝敗を左右する放物線はゴール右へと逸れていった。

<彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い 深く吸った 長いリーグ戦 締めくくるキックは ゴールを逸れた>
 それは、まるで松任谷由実の名曲「ノーサイド」を彷彿とさせるような結末だった。ちなみに、この歌のモチーフとなったのも高校ラグビーの試合だと言われている。
<肩を落として 土を払った 緩やかな冬の日の黄昏に 彼はもう二度と かぐことのない風 深く吸った>

 もう2度とない高校生活最後の花園にかける思いは誰よりも強かった。高2だった前年の冬も中村はSOとして県予選突破に貢献。主力としての活躍が期待されていた。ところが直前の練習で左足を肉離れ。メンバーには入ったものの、試合には出られず、チームは初戦敗退を喫した。

「ベンチで僕の隣に座っていたんですけど、試合が始まる前からギュッと拳を握って涙をこらえていました」
 富田はそんなエピソードを明かす。中村本人にとって大会に出られないようなケガは生まれて初めて。「自分のことよりも3年生に申し訳ない気持ちでいっぱいでした」。悔しさを乗り越え、3年時にはキャプテンとなり、チームをまとめた。

 中村亮土というプレーヤーをつくる

「2年の花園にケガで出られなくなったことが亮土を変えました。自分のことだけでなく周りの人間にも、より気を配れる人間になったんです。ケガをした人間にも声をかけたり、選手としてはもちろん、人間的にもチームにはなくてはならない存在でした」

 そう富田が語るほど全幅の信頼を置いていた司令塔が大事な場面で犯してしまったミスキック。ただ、富田もチームメイトも中村のことを責めなかった。誰よりも中村が努力し、チームを牽引してきたのを知っていたからだ。
「本当に皆には申し訳なかったんですけど、“いいよ、いいよ”と励ましてくれた。その言葉で、また前を向けたような気がします」

 花園を去るにあたり、富田は中村にこんな言葉をかけた。
「このキックがオマエにとってプラスになるかマイナスになるか。どう人生を変えるか楽しみだな」
 鹿児島に戻ると、部活動を引退したにもかかわらず、グラウンドでキックの練習に励む中村の姿があった。
「次のステージで、この悔しさを絶対に晴らす」

 角度は左45度、距離は40メートルほど……。あの時、外した位置から、何度も何度も右足を蹴りあげた。帝京大に進んだ今も、キックの練習は欠かさない。試合中、彼がミスキックをするシーンは皆無といっていいレベルだ。

「あの時、外した分、ラグビー人生ではキックを決め続けたい」
 どうやっても過去の出来事は変えられない。だが未来のことは自分の意思で変えられる。強い思いが深く深く中村の胸には刻み込まれている。 

「自分の出来が良ければ、チームもいいパフォーマンスができますし、自分の出来が悪ければ、チームも負けてしまう。その責任を背負えるところがSOの良さだと思っています」
 今季はチームの主将として前人未到の大学選手権5連覇、打倒トップリーグ4強という目標がある。そして、ラガーマンとしては2019年、日本開催でのW杯で中心選手としてジャパンを世界のトップに導く夢がある。
(写真:志賀由佳)

 着実な成長をみせる中村に対し、帝京大の岩出監督はあえて「2015年、2年後のW杯で代表の中心になるつもりでやってほしい」とハッパをかける。
「まだ若いんだから、どんどんチャレンジしてほしいですね。どんどん課題を与えてもパンクするような選手ではない。総合的に一歩でも二歩でもレベルアップすることで、新たな自分も見えてくるのではないでしょうか」

 日本のみならず、世界で戦える選手になるには、何が必要か。本人は他人のモノマネだけではダメだと感じている。
「いろんな選手のいいところを吸収して、最終的には中村亮土というプレーヤーにつくりあげたいです」
 帝京大の中村から、ジャパンの中村、そして世界のNAKAMURAへ――。志は高く、気持ちは謙虚に、これからも21歳は前進を続ける。 

(おわり)
>>前編はこちら

中村亮土(なかむら・りょうと)プロフィール>
1991年6月3日、鹿児島県生まれ。経済学部経営学科所属。ポジションはSO、CTB。中学時代まではサッカーに取り組み、鹿児島実高入学と同時にラグビーを始める。2年時、3年時にはSOとして2年連続の花園出場に導く。10年に帝京大へ進学。1年生ながら対抗戦の早大戦で公式戦デビューを果たす。2年時はCTBとしてチームの大学選手権3連覇に貢献。11年春には日本代表にも抜擢される。同年の大学選手権でも司令塔として大学選手権4連覇へチームを牽引。新チームでは主将に就任する。この2月、4月から始動する日本代表に再び選ばれた。身長178センチ、体重84キロ。

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(石田洋之)
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