伊東裕樹が佐々木明を担当し始めたのは、佐々木が大学1年の頃だ。それから13年。今でもなお、伊東は佐々木明というスキーヤーに惚れ込んでいる。
「明はね、フリースキーがとても巧いんですよ。競技者なんだから当然だと思うかもしれませんが、フリースキーって意外に難しくて、きれいに滑れる人ってなかなかいないものなんですよ。でも、明はゴムのように柔らかくて、それでいて滑りが大きく見える。パッと見てかっこいいな、と思えるんです」
 日本人離れした優雅でダイナミックな佐々木の滑りに、伊東は日本人初の五輪でのメダルの夢を本気で追い続けてきた。そして今も――。
 伊東が惚れ込んだのは滑りだけではなかった。彼の一見、“ワガママ”ともとられる強気な性格もまた、伊東にとっては「メダリストになる資格がある」と見ていた。
「彼は若い時から『自分は絶対に強くなるんだ』と口に出して言っていましたからね。周りからは『あのちゃらんぽらんな性格では無理だろう』と言われていましたが、僕はそれは違うと思っていました。こちらがきちんと接してあげれば、彼はどんどん吸収していける人間だと思っていました」

 その年、19歳で初めての五輪、ソルトレークシティー大会に出場した佐々木は、大回転では1本目、2本目ともに、当時は実力的に佐々木よりも上だったベテランの木村公宣を1秒以上上回るタイムを叩き出してみせた。結果は34位だったが、果敢に攻める佐々木の滑りに、伊東は彼の将来性の高さを改めて感じたという。その後、佐々木はW杯では日本人最高位の2位に3度も輝いている。ポテンシャルは十分にあることは証明済みだ。
「佐々木になら……」
 日本人初の五輪の表彰台への期待は今も変わってはいない。

 来年にはソチ五輪が開催される。現在、アルペン男子の日本人選手の出場枠は2つ。来年1月の世界ランキングによっては3つに増える可能性もあるが、バンクーバー大会同様にその前に代表が決定すれば、2枠のままということになる。そのうち1つはほぼ湯浅直樹で決定していると考えていいだろう。つまり、残るは最少であと1つしかないということだ。伊東はそこに佐々木が入ると見ている。

 だが、現在佐々木は日本スキー連盟のナショナルチームには入っていない。わずか2枠しかない出場権を得るには、厳しい状況だと見るのが普通であろう。それでも、最後に這い上がってくるのは佐々木だと言うのだ。それは、伊東が佐々木の変化に気づいているからだ。

 伊東を驚かせた佐々木の急成長

 昨シーズン(2012−13)、佐々木は成績不振でナショナルチームから外れた。11−12シーズンで、W杯で一度も30位以内に入ることができず、ポイントを獲得することができなかったのだ。伊東は佐々木がスキーに集中できていないと感じていた。しかし、チームから外れ、すべて自分一人でやらなければならない状況になった昨シーズンの佐々木は、明らかにそれまでの彼とは違っていたという。
「おそらく生活面やスキーに対しての取り組み方など、全て1度見つめ直したんだと思うんです。とにかく1年間は自分でやらなくてはいけないわけですからね。それが態度にも表れていましたよ」

 周知の通り、“ビッグマウス”がトレードマークの佐々木は、よく言えば“やんちゃ”であり、その反面、我を通す頑固さが“わがまま”ととられることもしばしばあった。自分が認めた人以外の人からの助言に聞く耳をもとうとはせず、「何、言ってんだよ」という気持ちをあからさまに顔に出すことも少なくなかった。ところが、昨シーズンの佐々木にはそういう態度は見られなかった。とにかくまずは相手の話を聞き、そのうえで自らの持論を伝えた。もし、そこで意見が合わなかったとしても、それまでのように横柄な態度をとることはなく、「そうですね」と相手に合わせ、そこで話を終わらせるという術を身に付けていた。この佐々木の変わりように、伊東は驚きを隠せなかったという。

「いやぁ、人間って1年でこんなにも変われるもんなんだな、と思いましたよ(笑)。以前はすぐに『そんなの知ってる』『それはやらなくていい』と、話を打ち切ってしまっていました。でも、今はちゃんとある程度話を聞いて判断するようになりましたね。チームから外れて、ひとりでやることによって、彼もスタッフの苦労が身に染みてわかったんでしょうね。もちろん、滑りはやんちゃなままですよ。それが彼の持ち味ですからね。その部分を残しつつ、人に対しては本当に大人になりましたね」
 ナショナルチームを離れ、それまでに味わったことのなかった厳しい環境が、佐々木を成長させ、そして本気にさせたのだ。

 スキーへの真摯な態度は、結果にも表れている。個人でW杯に参戦し続けた佐々木は、ナショナルチームの湯浅、大越龍之介とともに、今年2月の世界選手権の代表に選ばれた。7大会連続7度目の出場は、木村に並ぶ日本人最多記録となった。そして本番では湯浅、大越が途中棄権する中、佐々木は日本人選手でただ一人、2本を滑り切り、19位に入った。さらに3月の全日本選手権では、見事に連覇を達成。“新旧エース対決”と注目されていた湯浅が腰痛で欠場したものの、自らも脇腹に痛みを抱えながらも日本トップの座を明け渡すことはなかった。こうした成績を見ても、伊東は最後に上がってくるのは、やはり佐々木以外にはいないと見ている。滑り自体も、今年に入って彼本来のきれいな1本のラインで行けるようになってきているという。佐々木の復調は、そう遠い話ではなさそうだ。

 佐々木のライバル候補、24歳・石井の台頭

 だが、その一方で伊東には佐々木を脅かす存在として期待している若手もいる。石井智也、24歳だ。石井のポテンシャルの高さは、ジュニア時代に既に証明されている。08年2月に行なわれた世界ジュニア選手権で、当時高校生の石井は見事に3位に入ったのだ。これは93年以来となる日本人3人目の快挙。佐々木や五輪4大会連続出場の皆川賢太郎でさえ、同大会では6位だったことを考えても、どれだけ称賛に価する功績かはわかるだろう。当然、将来を嘱望されたことは言うまでもない。

 ところが、その後、石井は目立った成績を残してはいない。要因のひとつは、故障の多さにあった。ヒザや腰痛を痛め、手術をして棒に振ったシーズンもあった。だが、そうした苦労が今、ようやく実り始めている。ここ2年はシーズンを通して滑り切っており、時には世界の強豪たちを相手に上位5番目のタイムを叩き出したこともあった。2本目でミスをして結果として残ってはいないが、やはりそれだけの力はあるということだ。

 今年3月の全日本選手権でも準優勝に終わったものの、2本目のタイムは優勝した佐々木をなんと1秒近くも上回る好タイムをマークしているのだ。伊東はこの2人の優勝争いは、個人的にも非常に嬉しかったという。
「もちろん明が優勝したことも嬉しかったですし、石井がその明を凌ぐタイムで2位にまで上がったというのも、すごいなと思いましたよ」
 伊東は徐々に石井への期待を膨らまし始めている。

「まだ完全にではないですけど、石井は明以来、僕をその気にさせてくれる選手かなと思い始めています。彼は明とはスキースタイルも性格もまったく違うタイプ。石井の滑りは、もうメチャクチャ硬いんです。見るからにガッツの塊という感じ。ただ、それが空回りしているから、思うようなタイムが出ない。でも、最近は少しずつしなやかさが加わってきましたね。ガッガッといくのではなく、1本のラインになってきている。彼の持ち味である強さに、しなやかさがうまく融合すれば、結果は出てくると思います。彼はいい意味で諦めが悪い人間。だからこそ、一度決めたことを継続できる。コツコツとやっていくタイプなので、これからが楽しみですね」

 近年で言えば、木村、皆川、佐々木、湯浅と、ベテランの存在を脅かす若手の存在が出現してきた日本の男子アルペン。だが、湯浅に続く次の世代の選手が育っていない。そこで台頭を期待しているのが石井なのだ。
「来年のソチに出られるのは、2人か3人。湯浅を除いて、誰が入ってくるのか。現在のところ、可能性が大きいのは佐々木でしょう。ただ、そこで化けてくれることを期待しているのが石井です。当然、本人も狙っているでしょうからね。これまでコツコツとやってきたことが、徐々に結果として出始めているので、今シーズンの石井は面白いと思いますよ。明を脅かすくらいの存在になってほしいなと。そうすれば、明もさらに気合いが入るでしょうからね」
 国内での競争力が激しさを増せば、それだけ意識もパフォーマンスも高まり、日本アルペンのレベルアップにつながる。伊東にとって、これ以上嬉しいことはない。

 目指すは、日本人初の五輪メダリストだ。もちろん、それがいかに難しいことはわかっている。ましてや獲得ポイント数の順位で滑走順番が決まるアルペンでは、滑る環境も日本人選手には不利だという事実もある。だが、それでもいつかは実現する日が来るはずだと伊東は信じている。それがサービスマンとしてのモチベーションにもなっているのだ。

「今、日本ではアルペン競技は注目されにくくなってきていますが、ヨーロッパではやはり冬の競技と言えば、一番にアルペンが来る。日本でもそういう位置づけにしたいですね」
 来月からはまた、ナショナルチームの遠征がスタートする。伊東も男子コーチ兼オフィシャルサービスマンとして帯同する。選手とともに、伊東にとっての新たな挑戦が始まろうとしている――。

(おわり)

伊東裕樹(いとう・ひろき)
1967年2月7日、北海道出身。上川高校、日本体育大学ではスキー部に所属。大学卒業後、サービスマンとしてヤマハに入社した。97年、ヤマハがスキー競技から撤退すると同時に退社し、スキー・スノーボードのチューンナップショップ「T.C.S.」を設立。同年、日本代表チームのサービスマンとなる。99年より佐々木明の専属サービスマンに。現在はアルペンナショナルチーム男子コーチ兼オフィシャルサービスマンを務める。

(文/斎藤寿子)
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