2013年5月、ブルガリアの地で是枝亮は、これまで一度も経験したことのない感覚を味わっていた――。
 今年、是枝は初めてシニアの男子シングル部門でのFIGワールドカップに参戦した。4月の東京大会に続いて出場したのが、シングルでは初の海外となったポルトガル大会。是枝はそこで銅メダルを獲得した。さらにその1週間後のブルガリア大会では銀メダルに輝く。FIGワールドカップで2大会連続でのメダル獲得は、日本人男子初の快挙だった。だが、結果以上に是枝にとって大きかったのは、ブルガリアの決勝でつかんだ“自信”と“手応え”だった。
「すごく良かったですよ。あんな亮の演技を見たのは初めてで、感動しました」
 ブルガリアでの演技について訊ねると、北翔大学スポーツエアロビック部顧問の菊地はるひ(生涯スポーツ学部スポーツ教育学科教授)は、こう答えた。静かな落ち着いた口調ではあったが、その目は教え子の成長を感じた喜びに満ち溢れていた。

「技を単なる技で終わらせるのではなく、“こう表現したい”という彼の思いがググッと伝わってきました。見ていて、とても気持ちのいいエネルギーが出ていたんです。そんな亮の演技に、観客も引き込まれて、見入ってしまった。それで思わず拍手や歓声が沸き起こったんだと思います。多分、亮自身も演技しながら、楽しかったんじゃないかな」

 本人に訊くと、ズバリその通りだった。
「1週間前のポルトガルからの勢いはあったと思います。でも、体力的には少しきつくて、身体に疲労感はあったんです。それでも、しっかりと集中することができたし、後半に入ってもバテることがなかった。それどころか後半になるにつれて、どんどん楽しくなっていったんです。それが観客にも伝わったのかな。すごく応援してくれているのがわかって、それがさらにまた力になりました」
 そこには新境地を切り拓き始めた是枝がいた。

 快挙に導いた“失敗”

 実は、その1カ月前、是枝は落ち込んだ気持ちを奮い立たせようと必死になっていた。初めてのFIGワールドカップ初戦を東京で迎えた是枝だったが、結果は11位。実力を発揮するどころか、いつもは絶対にしないミスまで犯す内容に、がっくりと肩を落とした。原因ははっきりしていた。すべてはスタミナ不足によるものだった。

 実は今年1月からルールが大きく改正された。これまで7メートル四方だったシングルの競技エリアがシニアに限り、ペアやグループ同様に10メートル四方にまで広がったのだ。そのため、これまで以上に大きな動きが求められ、1歩1歩の幅を広げなければならなくなったのである。

 是枝にとって、10メートル四方になったこと自体は決してマイナスではなかった。むしろ、自分にはプラスだと考えている。
「これまで“もっといけるのにな”という動きがあっても、セーブしなければならなかった。でも、今は10メートル四方に広がったおかげで思い切りできるので、動きやすくなりました。新ルールになって、良かったなと思っています」

 だが、それもスタミナあってこそのものである。旧ルールでの最後の大会となった昨年12月の全日本選手権から、東京大会までは、わずか3カ月。10メートル四方に耐え得るスタミナを身に付けるには、十分ではなかった。演技中、是枝はスタミナ切れを感じていた。一番得意のはずの技も身体の軸がブレ、決めることができなかった。

(写真:是枝が最も得意とする技「イリュージョン」。東京大会ではこの技が決まらなかった)
「東京大会での自分の演技に、すごく落ち込みました。でも、いつまでも落ち込んでいても仕方がない。とにかく気持ちを切り替えて、次の大会に向けて練習していくしかない、と思ったんです。そうしなければ、わざわざ海外の大会に行く意味がありませんから」

 是枝は東京大会での失敗を、そのままでは終わらせまいと、練習に励んだ。東京大会までは、ひとつひとつの技を確認するのみで、1分30秒の演技を1本通しての練習はほとんどできなかった。そこで、東京大会後の約1カ月間は、通しでの練習に集中した。10メートル四方での1分30秒の動き・スタミナを身体に染みこませるためだった。

「東京大会で、何が自分に足りないのかがはっきりしたことで、それを埋めるための練習をすることができました。ポルトガル、ブルガリアで自分の演技ができたのは、それが一番大きかったと思います」
 是枝は 自らの力で“失敗”を“成功の素”にしたのである。

 ケガによる“発見”と“自信”

 大学に入学して1年半の間には、ケガとの戦いもあった。最も大きかったのは、高校3年時にケガをした右手首だった。ジャンプからプッシュアップ(腕立て伏せ)に入る技の練習をした際に痛めたのだ。診断の結果は「三角線維軟骨複合体損傷」。痛み止めの注射や飲み薬で、なんとかごまかしながら大学入学後の6月に開催された世界選手権に出場(ミックスペア部門)し、帰国後、すぐに手術をした。

 手術後まもなくは、動かすことのできない右腕は筋肉がおち、やせ細っていった。だが、3カ月後の9月には次の大会が控えていた。果たして焦りはなかったのか。
「とにかくできることをしようというふうに考えていました。右腕は筋力がなくなって、すっかり細くなってしまいましたが、それでも大学のアスレチックトレーナー部の先生や先輩たちにサポートをいただきながら、少しずつ戻していきました」

 そして、ケガをしたからこそ、わかったことがあるという。
「ケガをきっかけに、アスレチックトレーナー部の指導を受けてから、それまで身体の使い方が全然なっていなかったことがわかったんです。今は体幹をしっかりと鍛えることで、腕に負担をかけないような動きを心掛けています」

 そして、さらにこう続けた。
「自信になったこともあるんです。ケガをしてからはジャンプからプッシュアップに入るのはやめました。この技は、世界のトップ選手のほとんどが入れているのですが、僕はジャンプからスプリット(開脚)で落ちる技だけにしました。これはプッシュアップよりも難度が低い。それでもポルトガル、ブルガリアで表彰台に上がることができたのは、自分にとって、とても価値のあることだったと思うんです」

 体格に恵まれた海外の選手は、難度の高い技を入れる傾向が強い。その演技は、確かにダイナミックだ。だが、エアロビック競技はあくまでも表現スポーツである。高度な技は記憶には残るが、技にだけ頼ったパフォーマンスは観客の心には響かない。その点、是枝の演技には見ている者を魅了する要素が多分にある。

 そのひとつが、しなやかさと美しさだ。特に足の運び、ステップの踏み方は海外の男子選手にはない軽快さがある。彼の演技はひとつの「ストーリー」として見ることができる。途中でブチッブチッと切れることがない。技と技のつなぎの部分がスムーズなのだ。それは、技と技を単につなぎ合わせているのではなく、流れの中に技を組み入れているからなのだろう。ポルトガル、ブルガリアでのメダルは、そんな是枝の強みが評価されたからにほかならない。

 今年度の世界ランキングは初登場で3位。もはや世界トップの仲間入りを果たしたと言っても過言ではない。確実に「Ryo Koreeda」の名は世界のエアロビック競技界で広がりつつある。
「正直、ビックリしています。3位と知った時は『なんで、自分なんかが、この位置にいるんだろう?』って思いましたから(笑)。でも、自分のやるべきことをしっかりとやってきたからこそ、今、この位置にいることができているんだなという思いはあります」

 しかし、「まだまだスタートラインに立ったばかり」と菊地は言う。
「今回のことで大きな自信を得たでしょうし、これまでになかったものを掴んで帰ってきたと思います。でも、まだまだですよ。ここからが面白くなるはずです。世界のトップ選手はみんな、個性がある。その選手にしかない魅力があるんです。亮には確かに美しさや正確さがある。これは彼の強さでもあります。でも、それだけで終わってほしくないし、終わらないでしょう。これからが楽しみです」
 恩師の言葉を聞きながら、是枝は深くうなづいた。殻を破り始めた19歳。いよいよ、これからが本番である。

(後編につづく)

是枝亮(これえだ・りょう)
1993年9月24日、福岡県生まれ。小学2年から姉の影響でエアロビック競技を始める。小学5年から高校1年まで全日本選手権ユース・シングル部門で6連覇。高校2年からシニアの部に出場し、昨年は全日本選手権・男子シングル部門準優勝。今年5月のFIGワールドカップでは、男子シングル部門でポルトガル大会3位、ブルガリア大会2位。FIGワールドカップでの2大会連続メダル獲得は日本人男子初めての快挙となった。北翔大学2年。

(文・写真/斎藤寿子)
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