今年5月に引退した元プロレスラーの小橋建太が早くも復活した。しかもダンサーとして! なんと人気アイドルグループAKB48の新曲ミュージックビデオで、リングをバックにダンスを踊っているのだ。

 出演のきっかけは関根光才監督の「老若男女にプロレスラーも交じっていたらおもしろい」というアイデアだったとか。
 確かに近年のプロレスラーで小橋ほど老若男女、幅広いファンに愛された者はいない。それは彼の確立したプロレスがシンプルかつオーソドックスなものだったからだろう。要するに「わかりやすいプロレス」だったのだ。

 引退試合で小橋は4人のレスラー相手に185発ものチョップを見舞った。打たれる方も大変だが、打つ方も大変である。
 チョップの威力を最大限に表現しようとすれば、それこそ「バシッ!」という音を遠くにまで響き渡らせなければならない。胸の肉が裂けるような音が鼓膜に届いてはじめてファンはレスラーと痛みを共有できる。

 聴覚の次は視覚だ。チョップの連打を受け、胸板が赤く染まれば染まるほどファンは興奮する。思わず目を背けてしまうようなみみず腫れはレスラーの勲章なのだ。

 かつてプロレスの矩をこえるパフォーマンスで一世を風靡したのがアントニオ猪木である。作家の村松友視は、それを「過激なプロレス」と命名した。

 猪木が「過激なプロレス」なら、約束事の範囲内で独自のハードボイルド路線をひた走ったのが小橋である。敢えて命名すれば、「過剰なプロレス」か。

 46歳での引退はプロレスの世界では少々早い。だが、長年の勤続疲労により、彼の体はガタガタだった。

 06年には腎臓ガンの手術を受けた。退院してからも、08年には両ヒジの手術、昨年は左足の骨折と右ヒザ靭帯を痛めての長期離脱と、文字どおり、“傷だらけの人生”だった。

「小橋建太のプロレスができなくなりました。復帰はありません」

 25年間の現役生活を全力で駆け抜けた。

 小橋が「過剰なプロレス」を追求したのは師匠であるジャイアント馬場の教えに依るところが大きい。新弟子時代、付き人をしていた小橋に、馬場はこう諭したという。

「プロレスラーは怪物であれ。しかし、リングを降りたら紳士であれ」

 試合中にケガをしても、馬場は病院で治療を受けることを好まなかった。人目につけば、「なんだ、プロレスラーも人の子か」となり、怪物色が薄まるからである。経営者でもあった馬場は、そこまで考えて弟子を教育していたのだ。

 ジャンボ鶴田も三沢光晴も他界した今、馬場イズムを後輩たちに伝えられるメインイベンターは小橋しかいない。

「たとえ体が壊れても、ファンの期待値を絶対に超えて驚きを与える。それがプロレスラーの存在意義なんです」と語る小橋。「過剰なプロレス」の後継者を育てることが、次のミッションか。

<この原稿は2013年8月18・25日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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