アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピック射撃に出場した田口亜希は、得意の語学をいかすため大手船会社に入社した経歴からもわかるように、国際派かつ行動派のパラリンピアンである。今年3月、IOC評価委員会が来日した際には、パラリンピアンの代表として東京招致のプレゼンテーションを英語で行い、高い評価を受けた。
 田口によれば、出場した3大会の中で運営、競技環境が最も良かったのがロンドンだという。その理由を田口は「ボランティアの質」に求める。「とにかく誰に対しても丁寧に、そして親切に接してくれました。何よりも自分たちでパラリンピックを盛り上げようという雰囲気がありました」

 ロンドンではボランティアのことを「ゲームズメーカー」と呼び、競技運営や選手のサポートに主体的にかかわっていたという。それにしても、なぜゲームズメーカーなのか。田口の解釈はこうだ。
「彼ら、彼女らはただ上から言われたことを忠実にこなすのではなく、自発的に行動していました。要するに選手や観客と一体となってゲームをつくるんです。私はエアライフルの試合の時、調子が悪くて、一番最後まで撃っていた。撃ち終った時、最初に称賛の声をあげてくれたのがゲームズメーカーの人たちでした。それを合図に観客から拍手が起きました。点数が悪くてがっくりきていた私が笑顔で会場を後にできたのは、その歓声と拍手のおかげでした」

 田口の話を聞いていて北京五輪のボランティアを思い出した。関係者からボランティアの多くが国家のエリート候補生だと聞いた。そんな背景もあってか、とりわけ若手はよく教育され、訓練もされていた。しかし融通がきかない。「それは私の仕事ではありません」「他の担当の方に聞いてください」「それについては答えられません」。そんな言葉を何度、聞いたことか。主体的でも自発的でもなく、官僚的で杓子定規だった。いや、たまたま私が接したボランティアがそうだっただけで、大部分はフレンドリーで自発的に五輪に取り組む人たちだったと思いたい。

 さて、2020年五輪・パラリンピック招致に成功した場合、東京のホスピタリティはどうか。せめてボランティアはロンドンにならって「ゲームズメーカー」でいきたい。

<この原稿は13年8月28日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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