日米で活躍した松井秀喜が、昨季限りで20年間に及ぶ現役生活に別れを告げた。積み上げた本塁打数は日米通算507本。2009年のワールドシリーズMVPは、今での語り草だ。こうした輝かしい功績が認められ、今年5月には恩師である長嶋茂雄とともに国民栄誉賞を受賞した。その松井がプロ入りして間もない頃、バッティング練習のパートナーを務めていたのが元巨人バッティングピッチャーの北野明仁だ。かつて“松井の恋人”と呼ばれた北野に、二宮清純がインタビューした。
二宮: 5月5日、東京ドームで行なわれた国民栄誉賞授与式のセレモニーに出席したそうですね。松井氏とは会えましたか?
北野: はい、12年ぶりに会うことができました。ちょっとふっくらとした感じでしたが、元気そうでした。男同士でハグをして、12年ぶりの再会を喜び合いました。

二宮: 松井氏が入団した頃の印象は?
北野: 松井はまだ二軍でしたし、僕は彼には最初投げていないんです。でも、宮崎キャンプで見た時に「うわぁ、これはテレビで観た通りのすごいバッターだな」と思いました。スイングスピードの速さや飛距離は、とても高卒ルーキーとは思えませんでした。外国人並みでしたよ。もう、巨人のバッターの中でも群を抜いていましたね。

二宮: “松井の恋人”と呼ばれるようになったのは、いつ頃からだったのでしょう?
北野: 入団3年目のオフから、練習パートナーを務めるようになりました。4年目を前にして「このままではダメだ」と思ったんでしょうね。11月の納会の時に松井から「12月、1月も投げてもらえますか?」って言いに来たんですよ。

二宮: 4年目のシーズン、初めて打率3割台をマークしました。この年、松井は打席でホームベースの近くに立つようになりました。
北野: 若干、近めに立っていましたね。それまでは苦手なインサイドを攻められるもんだから、ベースから離れて対応していたんです。それが逆効果だとわかったんでしょうね。オフにインサイドの練習ばかり繰り返しやりましたから、そこで掴んだ感覚があって、それで少し近づいたのだと思います。

二宮: インコースへの対応ができるようになると、今度はアウトコースを徹底して攻められるようになります。
北野: そうでしたね。松井もそれをわかっていて、翌年のオフは逆にアウトコースばかりを練習していました。彼のすごいところは、決して現状に満足しないところです。1年1年、常に問題意識をもって、レベルアップを図る。その向上心はすごかったですよ。僕がかかわった選手の中で、松井以上に向上心をむき出しにしていた選手はいませんでしたね。

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