一寸先は闇。何が起こるか分からないのがボクシングである。最悪の状況下、いかにして最善のカードを切るか。そこに勝者と敗者の分水嶺がある。
 昨年の大晦日に行われた王者・内山高志と挑戦者・金子大樹とのWBA世界スパーフェザー級タイトルマッチは、日本ボクシング史に残る名勝負となった。予想どおりJBCの年間最高試合にも選ばれた。
 試合後、判定で8度目の防衛を果たした内山が「ザ・男という感じでした」と語ったように、金子の健闘は称えて余りある。“ノックアウト・ダイナマイト”の異名を誇る無敗の王者相手に一歩も退かず、オール・オア・ナッシングの打ち合いを演じた。「将来は(世界)チャンピオンになる」との内山の言葉は本音だろう。

 波乱は10ラウンドに起きた。ここまで形勢不利の金子は2発の左ジャブで内山をのけぞらせ、右で追い打ちをかけた。ロープ際、腰からキャンバスに沈むチャンピオン。会場の東京・大田区総合体育館は悲鳴と歓声が最大値で交錯した。
 残り時間は約30秒。金子が千載一遇のチャンスをモノにするには、手負いの王者に総攻撃を仕掛けるしかない。肉を切らせて骨を断つ――。

 しかし、内山はどこまでも冷静だった。倒れながらも、しっかりとレフェリーのカウントを聞いていた。
「(カウント)8まで待ってもよかったんですけど、レフェリーに(パンチが)効いていると思われたらいけないので7で立ったんです」。同時に金子の前のめりの心理も読み切っていた。「絶対に(パンチを)振ってくるのはわかっていた。一発目さえかわせば大丈夫」

 実際、そのとおりになった。仕留めにきた右フックをダッキングでかわし、足を使って相手のアタッキングエリアから巧みに退散した。危機管理の見本を見るような30秒だった。

 以前にも内山には驚かされたことがある。2度目の防衛戦でインドネシアのロイ・ムクリスを5ラウンドKOで仕留めた時だ。会場はさいたまスーパーアリーナ。ラウンド間のインターバルにリプレーが場内のモニターに映し出される。それを見てブローの角度を修正したというのだ。そして、これがフィニッシュへと結びつく。

 こうした修羅場における情報処理能力の高さこそは内山の最大の武器と言っていいだろう。勝ち続ける男は、やはり何かが違う。

<この原稿は14年1月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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