2012年8月11日、全日本女子バレーボールの歴史に輝かしい1ページが刻まれた。ロンドン五輪3位決定戦、最大のライバル韓国相手にストレート勝ちを収めた全日本女子は、1984年ロサンゼルス五輪以来、実に28年ぶりとなるメダル(銅)を獲得した。ひとり、またひとりとコートの中央に走りより、12人の精鋭たちが喜びを爆発させるその歓喜の輪の中に、満面の笑みを浮かべる彼の姿があった――。全日本初の専属アナリストとして、女子チームを支えてきた渡辺啓太だ。
 迫田先発起用のきっかけ

「明日のスターティングメンバー、どうしようか」
 韓国との3位決定戦を翌日に控え、眞鍋政義監督はそう言って話を切り出した。セッター竹下佳江、ミドルブロッカーは大友愛と荒木絵里香、ウィングスパイカーは木村沙織と新鍋理沙。そしてリベロ佐野優子。ここまではかたまっていた。指揮官が頭を悩ませていたのは、3人目のウィングスパイカーだった。江畑幸子か迫田さおりか……。どちらも全日本女子にとって欠かせないカードだけに、最終決断には時間を要した。

「これまで通り江畑のスタートでいいんじゃないかと思うんだけど、どう? 昨日のブラジル戦(準決勝)には負けたけど、ここまで十分に結果を出しているし」
 眞鍋監督はそう言って、スタッフに意見を求めた。
「私も江畑でいいと思いますね」「そうですね、やっぱり江畑かなぁ」
 各部門のコーチ陣は、概ね指揮官と同じ考えだった。準々決勝の中国戦ではエース木村とともに両チームで最多の33得点をマークするなど、大車輪の活躍を見せていた江畑は、誰から見ても好調だった。

 だが、実際に眞鍋監督がスターティングメンバーに選んだのは、江畑ではなく、迫田だった。それは、あるひとりのスタッフの意見がきっかけだった。渡辺である。
「データからは何かある?」
 いつものように、眞鍋監督は最後にこう渡辺に問いかけた。すると、渡辺から挙がったのは“迫田起用”の案だった。理由は過去のデータに基づかれた、韓国との相性の良さだった。
「これまでの対韓国戦のデータを見ると、迫田選手が残しているパフォーマンスは極めて高いものでした。江畑選手と比較しても、韓国戦に関してはアタックもブロックも、完全に上回っていたんです」

 実際、3位決定戦で迫田は期待以上の活躍を見せた。相手サーブの集中砲火を浴び、なかなか攻撃に参加できないエース木村に代わり、迫田はサイドからバックから次々とスパイクを叩きつけ、チーム最多の23得点を挙げた。23得点目はマッチポイントで木村がサーブレシーブを上げ、ネットから遠く離れたボールにキャプテン竹下が飛びつきながら上げた2段トスを打ち抜いてワンタッチを取った、歴史的快挙の瞬間の得点だった。

 アナリストの冷静な分析が、大一番での快勝の誘因のひとつとなったことは間違いない。だが、渡辺はあくまでも裏方としての姿勢を崩さない。
「ロンドン五輪に入ってからの江畑選手の活躍は本当に素晴らしかったし、あの時の迫田選手のコンディションがどれくらい上がっていたかを見極めることも必要でした。だから過去のデータが全てではありません。アナリストとして数字から見える情報を監督に伝えるのが僕の役目。それを果たしただけのことです。言うまでもなく、最後に迫田選手の起用を決めたのは眞鍋監督です」

 “背番号変更”奇策誕生秘話

 もうひとつ、渡辺はロンドン五輪での隠れたエピソードを紹介してくれた。日本のバレーボールファンのみならず、海外のバレーボール関係者が一様に驚いたのは、全日本女子がとった、ある“奇策”だった。それは背番号の変更である。シーズン中に代表選手の背番号がかわることはまずない。レギュラーや毎シーズン代表に入る選手であれば、何年も同じ背番号をつけるのが通例だ。ところが、ロンドン五輪で全日本女子は、その“常識”を覆したのだ。

 それも、ただ変更しただけではない。同じポジション同士や、背格好が似ている者同士など、変更の仕方にも工夫が凝らされた。例えば、ポジションが同じ江畑と迫田だ。江畑はそれまでの「14」から「16」へ、迫田は「16」から「14」に変更した。また、背格好や雰囲気が似ているということから、井上香織と山口舞にもお互いの背番号を交換させた。なんとユニフォームの色ですぐにわかるリベロの佐野まで「6」から空き番号の「10」にかえるという徹底ぶりだった。もちろん、相手の指揮官や選手はとまどったに違いない。だが、最も面食らったのは、正確な情報をベンチに伝えなければならないスコアラーやアナリストだっただろう。なぜなら、データはすべて背番号で識別されているからだ。

 では、この奇策はどこから生まれたのか。やはりこれも、スタッフミーティングの中で出てきた案なのだという。しかも“たわいもない話”からだったというから驚きである。
「監督と僕らスタッフはよく、冗談を言い合ったりするんです。一見、くだらないように思えますけど、意外にこういう時の方がいい案が浮かんだりするんですよね。ロンドン五輪の背番号もそうでした。僕が軽い感じで『背番号をかえられたら、データを取っている僕なんかは困りますけどね』と言ったんです。そしたら、それを本当にオリンピックでやっちゃったんです(笑)」
 何の気なしに出た渡辺の言葉が、世界をアッと驚かせる奇策を生み出すきっかけとなったのだ。

 実際、勝負に及んだ影響がどれほどだったかは、明確にはわからない。だが、“データバレー”が主流となっている状況を逆手にとった奇策は、ベンチ内外に困惑を招いたことは確かだろう。
「僕が相手だったら、混乱したでしょうね。特にずっと何年も同じ背番号の選手に対しては、前の記憶が色濃く残っていますから。まぁ、見るのは時間が経てば慣れてきますが、一番困るのはデータです。これまで蓄積してきたデータを使おうと思っても、そのままでは使えない。まずは数字を全て変換する作業からやらなければいけないわけですから。もちろん、やっている選手も大変だったと思いますよ。瞬時に判断しなければいけないわけですから、頭を切り替えるのは容易ではなかったはずです」

 さて、渡辺の話を聞いていて、見えてきたものがある。なぜ全日本女子がロンドン五輪で28年ぶりの快挙を果たすことができたのか。要因のひとつは、スタッフ陣の関係性である。彼らの中には配慮はあっても遠慮はなかった。つまり、人と違う意見もしかり、冗談もしかり、“話せる”空気が常に流れていたのである。組織をつくる上で当然と言われればそれまでだが、意外にこれほど難しいものはない。ロンドンの舞台に立った12名の選手のみならず、それを支えるスタッフたちもまた、ベストメンバーだったのである。

(後編につづく)

渡辺啓太(わたなべ・けいた)
1983年、東京都生まれ。中学からバレーボールを始め、専修大学ではアナリストとしてチームをサポートした。3年時の2004年から全日本女子バレーボールチームのアナリストを務める。卒業後の06年、専属アナリストに就任し、現在に至る。五輪は北京、ロンドンと2大会連続でサポートし、ロンドンでは28年ぶりのメダル(銅)獲得に貢献した。

(文・写真/斎藤寿子)
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