現巨人ヘッドコーチの川相昌弘が、球団のユニホームに見切りをつけ、入団テストまで受けて中日に移籍したのは39歳の時だった。原辰徳から堀内恒夫への突然の監督交代を受け、内定していた「1軍守備コーチ」のポストは宙に浮いてしまった。「だったら違う球団で 現役を続けよう。そう思って自由契約にしてもらったんです」
 移籍した中日には“アラ・イバ”という売出し中の二遊間コンビがいた。ショートの井端弘和とセカンドの荒木雅博である。打順は主に荒木が1番で井端が2番。いきおい2番の井端には正確なバントが求められる。しかし当時の井端はミスも少なくなかった。バントの名手である川相には、どうしても気になる点が、ひとつあった。「左手と右手の距離が開き過ぎていた。これだとどうしても構えが不安定になる。しかもバットのヘッドが下がるクセがあった。それを矯正するために、左手の位置をもう少し高くすることを勧めました」

 アドバイスを受けた井端は、どうだったのか。「川相さんが指摘してくれたように、左手と右手の間隔は広過ぎても狭過ぎてもダメなんです。広過ぎるとバットが不安定になるし、狭過ぎると(ボールに)バットが負けてしまう。ちょうど肩幅くらいに保てばバランスがよくなる。それと、もうひとつ。川相さんからはバットと目の間隔を一定にするようにと教わりました。これによって成功率が上がり、警戒されている場面でも、より正確に“死んだボール”を転がせるようになりました」

 またショートでゴールデングラブ賞を6度も受賞していた川相は井端の守備にも注文をつけた。「彼はヒジが悪いということもあってアンダーハンドで送球することがあった。これだと余計にヒジに負担がかかる。いい体勢で捕球した時には、しっかり上から投げろと……」。この指摘も井端には新鮮だった。「まずボールを捕る。そして投げる。そのためには早く構える。準備の大切さを教えてくれたのが川相さんです」

 このようにベテランの移籍は“頭脳流出”や“技術移転”をも伴う。今度は井端が巨人の中堅や若手に自らの経験を伝える番だ。バイプレーヤーとしての期待のかかる井端だが、それ以上に彼の“無形の力”はチームにとって貴重な戦力となるに違いない。

<この原稿は14年1月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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