より速く、より高く、より強く――。これがオリンピックのモットーである。「より運よく」とは、どこにも書かれていない。
 現地でレースを見終わった直後、「競馬なら万馬券だよな」と、つい呟いてしまったことを覚えている。
 ソルトレイクシティ冬季五輪ショートトラック男子1000m決勝。アイスセンターに詰めかけた大観衆のお目当ては甘いマスクの日系2世アポロ・アントン・オーノ(米国)だった。だが金メダルを胸に飾ったのはスティーブン・ブラッドバリーというオーストラリアの伏兵だった。
 アクシデントはゴール直前の最終コーナーで発生した。先頭集団のオーノ、安賢洙(韓国)、李佳軍(中国)、マシュー・ターコット(カナダ)が、あろうことか4人揃って転倒したのだ。巻き添えをくらっての転倒は、この競技ではよくあることだが、まさかオリンピックの決勝で、しかも先頭集団の全員が……。ラック状態の4人を尻目に、涼しい顔でゴールしたのが、先頭集団から置いてきぼりにされていたブラッドバリーだった。

 絵に描いたような「漁夫の利」である。実はこのオーストラリア人、準々決勝では3着に終わり、一時は敗退が確定しかけた。ところが、先着の選手が失格したことで“繰り上げ当選”となって準決勝に進出したのである。

 準決勝でもオーストラリア人は、自らの運を最大限に発揮した。先頭集団の3人がクラッシュした上、1人が失格したため1着となり、決勝進出の権利を得たのだ。

 二度あることは三度ある――。悪いことは続くから注意しなさいという意味だが、ブラッドバリーの場合は逆だった。

 決勝でも、まだ彼には運が残っていた。宝くじに3回続けて当たったようなものだ。本当に、こんなことが起こり得るのか。ブラッドバリーは「2人転べば銅メダルと思って後方で待機したら、4人とも転倒した」(読売新聞03年11月7日付)と語っている。多分に“確信犯”的な要素もあったのだろう。

 以来、オーストラリアでは「思いがけない成功」を「Doing a Bradbury」と表現するようになったと聞く。「運も実力のうち」というより「実力を超えた運」。別の意味で彼もまた“五輪レジェンド”のひとりである。

<この原稿は14年1月29日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから