「死にもの狂いでやろうと決めています」
 2014年シーズンがスタートし、湯浅剛は今年にかける強い思いをそう口にした。
「車椅子バスケットを始めて3年目の今年は、もう甘えてられません。ヘッドコーチからも『今年だぞ』というふうに言われていますし、自分としても勝負の年だと思っています」
 主力にベテランが多いチームにとって、26歳の湯浅は待ち望んでいた若手のホープと言っても過言ではない。自らの成長がチームの底上げとなる。湯浅はそのことをしっかりと自覚している。
(写真提供:伊藤真吾)
「今年は僕ら若手がレベルアップしないといけません」
 湯浅がそう語気を強めるのには、理由がある。毎年5月に開催される「内閣総理大臣杯 日本車椅子バスケットボール選手権大会」。湯浅が所属する車椅子バスケットボールチーム「NO EXCUSE」(東京)は、12、13年と2年連続で決勝進出を果たした。だが、2年連続で同じ相手、宮城MAXに敗北を喫した。ロンドンパラリンピック代表7人を擁する宮城MAXは、昨年は史上初の選手権5連覇を達成した全国屈指の強豪だ。宮城MAXの連覇記録更新が注目される一方で、新王者誕生が望まれていることもまた事実だろう。その候補のひとつに挙げられるのが、NO EXCUSEである。

 一昨年、07年以来2度目となるファイナル進出を果たした当時、湯浅は車椅子バスケットボールを始めて、まだ4カ月だった。初めて目にした全国の頂点を決める舞台は、彼の想像を超えていた。
「ベンチで観ていて、『すげぇな』と思いました。確かに宮城MAXは聞いていた通り、強かったです。でも、その宮城MAX相手に、先輩たちが必死で食らいついている姿に、もう釘づけでした。他の大会や準決勝までとは、また違う雰囲気がそこにはあって、『あぁ、これが全国の決勝なんだな』と思ったんです」

 試合は途中、NO EXCUSEが2点差まで詰め寄ったものの、結果的には50−64で敗戦を喫した。だが試合後、チームにあったのは敗北感ではなく、王者を十分に苦しめたという手応え、そして「来年こそは」という希望の光だった。湯浅自身にもまた、ある思いが芽生えていた。
「あの時は右も左もわからなくて、決勝を見ながら、『自分がここに入っても、何もできないな』と感じていました。でも、次は絶対に自分もこの舞台に立ちたいと思いました。2、3年後ではなく、来年こそはと」

 チーム力アップに不可欠な選手層

 その言葉通り、1年後の日本選手権、湯浅はスターティングメンバーとして決勝の舞台に立った。及川晋平ヘッドコーチは2年目の若手をスタートで起用した理由をこう語る。
「湯浅は賢くて理解が早い。チームの頭脳的存在で抜群の安定感がある。どんな状況でも大崩れすることがありません。だからこそ、どちらに流れが傾くかわからないスタートに湯浅を入れたんです」

 チームは宮城MAXに対して、しっかりと戦略を練っていた。攻撃の起点でもあり、得点源でもある安直樹に相手のマークを引きつけ、24秒(ボールを取ってから24秒以内にシュートをしなければならない)をフルに使って、ジリジリと粘り強く攻めていく。1カ月前に行なわれた関東カップの決勝で宮城MAXと対戦した際に得た手応えと課題を落とし込んだ戦略だった。

 2年連続で同一カードとなった決勝戦への周りからの期待は大きかった。「前年以上の激戦が繰り広げられるに違いない」。そんな熱い視線が、ファイナリストたちに注がれていた。ところが、結果は誰もが想像し得なかったものとなった。45−77。NO EXCUSEの完敗だった。スタートからトップギアで襲いかかってきた相手の勢いを、最後まで止めることができなかったのだ。

 しかし、及川ヘッドコーチも選手たちも皆、「自分たちがやろうとしたこと、やったことは決して間違いではなかった」と感じている。「こうすれば良かった」という後悔や、「力を発揮できなかった」という思いはない。ただ相手の力が自分たちよりも上だった。その事実をしっかりと受け止めている。重要なのは、次にどうするかだ。

 そこでカギを握るのは、「自分たち若手のレベルアップ」だと湯浅は感じている。
「うちの主力にはベテランが多い。もちろん、十分に体力のある方たちばかりですが、初戦から決勝まで試合に出続ければ、疲労が出てくるのは当然です。もし、ベテランのコンディションがフレッシュな状態で決勝に臨むことができれば、もっといいパフォーマンスができると思うんです。そのためには、1、2回戦は主力のベテランをベンチに温存させて、若手だけでも戦えるようになるくらいの選手層が必要です。つまり、僕たち若手がどれだけ戦力になれるかが、ひとつの大事なポイントになると思っています」

 浮き彫りとなった課題

 昨年7月のDMSカップ(東日本車椅子バスケットボール選手権大会)では、主力が揃わず、若手も多く出場機会を得た。決勝で、またも宮城MAXに王座を譲るかたちとはなったが、主力を欠いてのファイナル進出は大きな自信となったに違いない。だが、湯浅の口から出てきたのは、浮き彫りとなった課題についてだった。

「練習では普通にできていることが、いざ試合となると、できなくなってしまった選手が少なくなかったんです。例えば、コミュニケーション。ベンチからどういうセットプレーをするかをコールされた場合、それをキャッチした人は、他の4人にも伝達しなければいけません。ところが、試合では自分のことでいっぱいいっぱいになって、自分のところで止めてしまう。そうすると、全員に伝わっていないものだから、バラバラな動きをしてしまう。ディフェンスでも、お互いに声を掛け合わずに、気付いたら同じ選手を2人でマークしてしまったり……。試合慣れしていない部分が大きいとは思いますが、自分も含めてこれではダメだと痛感しました」

 ベテランと若手との差をどう埋めていくのか。これがNO EXCUSEにとって、ひとつの大きな課題であることは言を俟たない。そのキーマンが湯浅だ。2年目の昨シーズンから副キャプテンに任命されていることもまた、チームからの期待の表れである。先輩の森紀之は湯浅について、こう語る。
「彼はリーダーシップが抜群にある。若手を引っ張ろうという意識を本人も持っていますし、これからは彼をリーダーとして若手が伸びていかないといけない。それとベテランと若手とのパイプ役にもなっていますから、チームにとっては欠かせない存在です」

 運動センスに長け、頭脳プレーも光る湯浅。練習への取り組みも「僕ら若手にオフは必要ない」と語るほど、人一倍の努力家だ。だが、わずか数年前の湯浅は、実はまるで違っていたという。その時の後悔の念が、今、湯浅の背中を押している――。

(後編につづく)

湯浅剛(ゆあさ・つよし)
1987年11月16日、千葉県生まれ。兄の影響で、小学2年から野球を始める。千葉商科大付属高校、中央学院大学では1年時から外野手のレギュラーとして活躍した。大学2年秋には、明治神宮大会に出場する。大学卒業を控えた2010年1月、スキー場で激しく転倒し、脊髄を損傷。入院中に知った車椅子バスケットボールに興味を持ち、12年1月にNO EXCUSEに加入した。2年目の昨年から主力として活躍。日本選手権、DMSカップ、のじぎく杯と主要3大会での準優勝に大きく貢献した。昨年に続いて、今年も副キャプテンを務めるなど、若手のリーダー的存在となっている。日本代表候補として合宿にも参加し、2016年リオデジャネイロパラリンピック出場を目指している。

(斎藤寿子)
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