「これまで授与されていなかったことが不思議」。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄への安倍晋三首相の感想は、多くの国民の気持ちを代弁するものだった。
 ミスターが愛弟子の松井秀喜とともに、国民栄誉賞を受賞する。本紙のインターネット調査によれば「当然だと思う」「どちらかといえば当然だと思う」という肯定派が長嶋の場合、85%だったのに対し、松井は41%だった。

 なぜ、ここまで受賞が遅れたのだろう。それはミスターが「記録」よりも「記憶」の人だったからに他ならない。

 周知のように国民栄誉賞の第一号受賞者は王貞治。ホームランの「世界記録」を樹立した年に、当時の福田赳夫首相から授与された。その意味では王の偉業を顕彰するために設けられた賞だったといっても過言ではない。

 安打数、ホームラン数、打点数、出場試合数、連続出場試合数など主たる球界の通算記録で、ミスターがトップに君臨しているものはない。にもかかわらず、ミスターは依然として日本球界が生み出した最大のスターであり、その地位が脅かされることはない。

 なぜ、人々はミスターに魅了され、今もって、その存在感は圧倒的なのか。本書(文春新書)の中に、その答えはある。
<守備は好きだったけど、フライの捕球はダメだった。面白くない、ゴロの捕球のように「遊び」や「芸」を入れる事が出来ないからつまらない。それで苦手だったのかもしれない>

 ミスターに興味のない人は、いったい何を言いたいのかわからないに違いない。フライを捕るのに面白いも、つまらないもないだろうと。しかし長嶋信者は、そうだ、これだよねとハタとヒザを打つのではないか。

 かくいう私も少年時代、ミスターのプレーに魅了されたひとりだ。草野球での背番号は常に「3」。ポジションに就く時は、サード目がけて一目散に走った。早い者勝ちだったからだ。

 ゴロが飛んでくる。グラブにボールをおさめると、決まって右手をヒラヒラさせながら一塁へ送球した。なぜなら、ミスターがそうしていたからだ。

 おそらくミスターは無駄に時間をかけることで、クロスプレーを演出したかったのだろう。これこそ究極のファンサービスだ。

 考えてみれば打撃は水モノである。ホームランとなれば、年に40本打つ打者でも3〜4試合に1本。そうそう見られるものではない。しかし、サードゴロなら確実に何度かは目にすることができる。そこにミスターは気付き、「芸」を磨いたのではないだろうか。

 国民栄誉賞の表彰規定として明文化されている「広く国民に敬愛され」のくだりは、考えてみればミスターのために書かれたようなものである。「野球へのラブレター」(長嶋茂雄著・文春新書)

<上記は2013年4月24日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>
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