さる3月9日に行なわれた名古屋ウィメンズマラソン。35・7キロを過ぎたあたりで早川英里、田中智美から遅れ始めた時には、「日本人最先着」は無理かと思われた。
 失速の理由は左太腿裏のしびれ。15キロ過ぎから異変を感じていたという。
 しかし木崎良子は諦めなかった。懸命に追走し、40キロ手前で2人に追いつくと早川とのし烈な3位争いを制して、「最低限の目標」に掲げていた日本人トップでゴールに飛び込んだ。

 これにより、9月に韓国・仁川で開催されるアジア大会女子マラソン代表入りが決定した。目指すは、もちろんアジアチャンピオンである。

 とはいえ、彼女にとって手放しで喜べるようなレースではなかったようだ。

「今回、30キロ過ぎの(外国勢の)ペースアップに全く対応できなかった。そこをしっかりと練習を積み、自信をつけて(今後のレースに)臨みたい。今回は前半から足にちょっと違和感が出てきてしまって、不安を持ちながらのレースだったので、(その部分も)強化したい」

 日本人最先着の3位に入ったものの、世界で戦うためにはクリアしなければならない課題が山積みというわけだ。
 低下することのない木崎のモチベーションの根っこには「ロンドン五輪での悔しさ」がある。

 16位という順位は日本人最高位ではあったものの、全く優勝争いには加われなかった。金メダルを胸に飾ったティキ・ゲラナ(エチオピア)には4分以上の差をつけられた。
 唇を噛みながら本人は語ったものだ。

「アフリカの選手たちは、常にまわりを見ながら自分が仕掛ける場所を探していた。ところが私たちは、それにくらいついていくのに精一杯。レースの展開に余裕が持てなかった。経験が浅かったというか、全体的に力不足でしたね」

 一時期、女子マラソンは日本のお家芸だった。有森裕子は1992年バルセロナ、96年アトランタと2大会連続で五輪の表彰台に立った。
 そして2000年シドニー大会では高橋尚子が日本陸上界悲願の金メダルを獲得した。04年のアテネ大会では野口みずきが他を寄せ付けなかった。女子マラソンで五輪連覇を達成した国は日本だけである。

 ところが08年北京大会では4大会連続で獲得してきたメダルを逃すと、次のロンドン大会でも精彩を欠き、かつての威光はすっかり地に墜ちてしまった。

 復活を期す女子マラソンのエースが木だというのは衆目の一致するところ。昨年、モスクワで行なわれた世界選手権では4位入賞を果たした。これを足がかりに、木崎は2度目の五輪出場を視野に入れる。

 五輪の借りは五輪でしか返せない――。五輪を経験したアスリートがよく口にするセリフだ。
 おそらく木崎の思いも一緒だろう。ロンドンの仇をリオデジャネイロで討てるのか。

(この原稿は『サンデー毎日』2014年3月30日号に掲載されたものです)


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