創設4年目でのファイナル進出の立役者は弱冠20歳、身長167センチのポイントガード(PG)富樫勇樹だった。
 bjリーグ(日本プロバスケットボールリーグ)の2013−2014シーズンファイナルは琉球ゴールデンキングス(沖縄・ウエスタンカンファレンス王者)が秋田ノーザンハピネッツ(イースタンカンファレンス王者)を103対89で下し、2季ぶり3度目の優勝を果たした。


 敗れはしたが、秋田の戦いぶりも見事だった。第1Q(クオーター)から持ち前の攻撃的なバスケットを展開。終盤には点差が開いたものの、富樫が第4Qだけで12得点を挙げるなど、最後まで見せ場をつくった。
 47都道府県の中で、人口減少率が最も著しいのが秋田県である。中村和雄ヘッドコーチ(HC)は「ノーザンハピネッツのバスケットは秋田県を元気付けるのに相当役立っている」と胸を張った。

 中村HCと言えば、浜松・東三河フェニックスを2度のbj制覇に導いた名将だが、その目に富樫の姿は、どう映っているのか。
「スピード、賢さ、視野の広さ、全てが揃っている。シュートもスリーポイント、ジャンプシュート、レイアップと何でもこい。すごいガードですよ」

 富樫は中学卒業後、米国の名門モントロス・クリスチャン高にバスケット留学したが、これは父親と親交のあった中村の勧めによるもの。同校では1年生からベンチ入りし、主にシックスマンとして1試合平均約20分のプレータイムを得るなど活躍した。

 NCCA(全米大学体育協会)1部の大学からも誘いがあったが、条件が合わずに帰国。2012年12月、中村が指揮を執る秋田に入団した。

 今季は全52試合に出場し、最多アシスト、ベスト5(ガード部門)を受賞。1月のオールスターではMVPに輝き、早くもリーグの顔となった。また今年は11年以来、2度目の日本代表候補に選出された。

 ファイナルの沖縄戦では徹底マークにあった。逆に言えば、それだけ恐れられていた証拠だ。激しいフィジカルコンタクトを受けて失速し、第3Qでは右足が痙攣した。それでも30得点をマークするのだから、やはりただ者ではない。

 試合後、富樫は反省の弁を口にした。
「40分間試合ができる体力をつけることが、これから先の課題。この悔しさをバネに、これからトレーニングに励んでいきたい」

 5月31日、富樫はNBA挑戦を正式に表明し、6月7日に渡米した。マネジメント会社によると、ダラス、ニューヨーク、ロサンゼルスなどの都市でチームスカウト、関係者にプレーを披露し、NBAの登竜門である7月のサマーリーグ参加を狙う。

 晴れてNBAプレーヤーとなれば、日本人としては田臥勇太以来、2人目だ。
「この身長でもやれるところを、小さい子供たちに見せてあげたい」と富樫。目指すは“小さな巨人”である。

<この原稿は『サンデー毎日』2014年6月29日号に掲載されたものです>


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