「カープは“たる募金”から生まれた市民球団。そんなファンの善意が実って選ばれた賞。ただの流行ではなく、これからも続いていく。来年は絶対に優勝したい」
 広島カープを熱烈に応援する女性ファンを表す「カープ女子」が、その年、話題になった言葉に贈られる「ユーキャン新語・流行語大賞」年間トップ10に選ばれた。
 先のセリフは、授賞式での広島県出身のモデル大井智保子から発せられたものだ。


 まさかカープ女子から“たる募金”の話が出るとは思わなかった。

 さて、たる募金とは何か? 球団創設間もない1950年、カープは経営難に見舞われた。給料の遅配は珍しいことではなく、球団解散も取り沙汰された。

 この難局を乗り切ろうと先頭に立ったのが地元出身の監督・石本秀一である。翌年、当時の本拠地・広島総合球場前に酒樽を置き、400万円もの大金を集めた。

 51年当時の400万円といえば、今なら1億円は下らない。こうした市民の物心両面にわたる支援なくして球団は存続できなかったのだ。

 市民球団を名乗るカープだが、市民が株を持っているわけではない。にもかかわらず、カープファンに“タニマチ意識”が強いのは、このたる募金の遺伝子が脈々と受け継がれているからである。

 カープが悲願の初優勝を果たしたのは75年10月15日、後楽園球場での巨人戦だ。優勝を決定付けたゲイル・ホプキンスの3ランは今でも忘れられない。

 球界の盟主を倒しての優勝ではあったが、まだ球団間には、かなりの格差があった。

 68年に巨人から広島にトレードされた外野手の深沢修一から、こんな話を聞いたことがある。

「当時、巨人と広島とでは何から何まで違っていた。たとえば新幹線での移動。巨人は1軍全員がグリーンだったのに対し、広島は1軍でも若手は普通席でした」

 独立採算制ゆえ、長年にわたって緊縮財政を余儀なくされたカープだが、ここにきて財政状況も好転しつつある。

 きっかけは09年に完成した総天然芝のマツダスタジアム。寝ソベリアやウッドデッキ席など観客席にも工夫が凝らされており、米国でいうところのボールパークの魅力に満ちている。この年の球団総売り上げは初めて100億円を突破した。

 カープ女子という新しい顧客層を開拓した球団に来季求められるのは、もちろん24年ぶりの優勝である。

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2014年12月12日号に掲載されたものです>


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