「宜しくお願いします!」
 リンクから引き上げる時、SEIBUプリンセスラビッツに所属するDF床亜矢可は深々と頭を下げ、お辞儀をする。戦場への律儀な挨拶は、練習でも試合でも必ず行う彼女のルーティンだ。
「試合で第1ピリオドが終了した時も、第2ピリオドで自分がいいプレーできるようにお願いするんです。練習が終わっても『宜しくお願いします』と言いますね。『ありがとうございます』は引退する時。それまではいつそのリンクにお世話になるかわからないという思いがあるんです」


 こうした床の真摯な姿勢は、競技にもプレーにも現われている。
 北海道釧路市で育った床は、4歳でスケート教室に通い始めた。入園した昭和スポーツ幼稚園では、スケートやアイスホッケーの授業があった。

 

「基本的なことしか習わないのですが、メチャメチャ楽しかったんです。嫌がって泣いちゃう子もまわりにはいましたが、自分はどこかへ遊びに行くより、常にリンクの上に立っていたかった。リンクに住みたいと思うくらいでしたね」
 それほどまでに床は氷上の競技にのめり込んだ。父・泰則はアイスホッケーの元日本代表DF。地元の小学校にはアイスホッケー同好会もあった。生まれながらにしてリンクに慣れ親しむ環境は揃っていたのだ。6歳で本格的にアイスホッケーを始めた床は、男子と混じってプレーをし、ホッケー漬けの日々を送った。

 DFという“天職”

 SEIBUプリンセスラビッツの八反田孝行監督は、現在の床を「守ることに関しては人一倍勤勉でハードにプレーする選手ですね。1対1にも強いですし、抜かれることは滅多にない。パックや相手に対する一歩目の反応が速いので、上背がなくてもカバーできているんだと思います」と、高く評価する。女子日本代表の監督、コーチを歴任してきた八反田の目から見ても、優れた守備能力があるという。

 床本人も守備にはこだわりを持っている。「自分はコーナーでの1対1とかが好きですね。“自分の陣地に来たな”くらいの感覚で、結構アグレッシブにいきます。そこでパックを取り返せなくても、相手をペースに乗せずに追い込むのが得意ですね」

 今や女子アイスホッケー日本代表(スマイルジャパン)の守りの要となるまでに成長した床が、現在のポジションになったのは小学4年の時である。それまではFWだったが、チームのコーチにDF転向を直談判したのがきっかけだった。
「お父さんに“DFだけにはなるな”と言われていたんです。でもそう言われたからこそ、反抗してなろうとしたのかもしれません。とにかく自分はDFがやりたかった。お父さんに秘密でお母さんとコーチに交渉しに行ったんです」

 父・泰則が反対したのには、こんな理由があった。
「DFのミスは失点につながります。一方でFWはミスしても後ろにDFがいる。どうしても守りの部分ではDFに大きな負担がかかってくるんです。それに勝ったら“FWのおかげ”ですからね。DFが称えられることは滅多にない。1対0で勝てば無失点のGK、あるいは点を決めた人が評価される。失点する度に、自分のミスじゃなくても責任を感じますし、いつも損する役回りなのかなと」
 経験者だからこそ、苦労を知っていた。ゆえに娘には薦められなかったのだ。

 そんな父の心配をよそに、床はDFの道を選んだ。それは彼女にとっての“天職”だった。DFに転向してすぐに、選抜チームに入ったのだ。彼女自身、“このポジションは向いているな”と実感したという。「男子とやっていても負ける気がしなかったし、“負けたくない”と思っていましたね」
 中学からはトップリーグのDaishinに入団した。12歳の若さでトップチームに入り、1年目から試合にも出場した。15歳でU-18日本代表に選ばれ、この頃には将来を嘱望される選手のひとりとなった。

 どん底からの復活

 ここまで順風満帆にきていた床だったが、突如、試練が訪れる。2010年秋、原因不明の体調不良に陥った。翌年の世界選手権に向けた日本代表合宿に招集されたものの、辞退せざるを得なくなったのだ。その後、何軒もの病院を回って検査をしてみると、甲状腺の病気である「バセドー病」だと診断された。床は投薬治療というかたちで闘病生活を余儀なくされた。

 病と闘いながらも、床はチームでの活動を続けたが、思うようなプレーができず、もどかしい日々が続いた。
「やはり辛かったですね。なんでこうなったのか、どうしたら現状を打開できるのか、わかりませんでした。それでもアイスホッケーをやめたいとは1度も思いませんでした。常にどうやったらアイスホッケーを続けられるか、日本代表に入れるのかを考えていました」

 しかし、12年には、U-18日本代表からも辞退することとなった。
「フル代表から落ちるのは仕方ないというか、“まだ先がある”と思えましたが、自分の出られる最後のU-18の大会を辞退しなければならなくなったのは、ショックでした。『薬を飲んでいたら大丈夫』と言われていたので、その大会には行けると思っていた。だからすごく気合いが入っていたのですが、結局出発直前になってダメになったんです」
 床はどん底まで突き落とされたような気分だった。

“このままでは、同じこと(辞退)を繰り返してしまう”。その思いは日増しに強くなっていた。1年半後にはソチ五輪の最終予選が控えていた。そこで床は大きな決断を下す。手術に踏み切ることにしたのだ。
「“絶対自分が代表になってやるんだ”との思いはありましたが、代表辞退が続いて、正直たどり着けるか不安でいっぱいでした。でも諦めきれなかった。それならば手術をして、クリアな状態で臨もうと。それでダメだったらそれまでだなと思ったんです。自分もみんなと同じスタートラインに立ちたかったんです」

 手術となれば、体にメスを入れなければならない。当然、両親からは猛反対を受けた。それでも床は頑として譲らなかった。最後はその熱意に両親が折れた。12年4月、無事手術は成功。今も首には手術の痕が残るが、その選択に後悔はない。
「自分を強くしてくれたなと思いますし、アイスホッケーがメチャメチャ好きなんだなと改めて気づかされました。客観的に自分を見ることができましたね」
 約1年後の13年2月には、ソチ五輪最終予選でフル代表デビューを果たした。見事復活を遂げた床は、全試合に出場し、ソチ行きの切符獲得に貢献した。

 今も床にとって、代表は特別なものである。試合で国歌を聞くと気持ちが昂る。日の丸のついたユニホームに袖を通すと、身が引き締まった。
「もし苦労せず、手に入れてしまっていたら、“当たり前”と思っていたかもしれない。病気をするまでは挫折を1度も味わったことがなく、その時は“なんでこんなことになるの”と思いました。でも、今はそういう経験をしたからこそ、ここまで来れたなと。オリンピックまで粘り強く行けたのは、1度、どん底まで落ちたからかなとも思います」

 「なくてはならない存在になる」

「DFとして世界に認めてもらえるプレーヤーになりたいです。そのためには日本代表を引っ張る選手になることは必須ですね」。そう語る床にとって、目下の課題は攻撃力のアップである。

 ソチ五輪では、世界のトップレベルとの差を痛感した。0対1で惜敗した初戦のスウェーデン戦、スマイルジャパンはチャンスを作りながらも決めきれなかった。日本の課題が得点力にあることは明らかだった。床は「DFももっと攻撃に貢献しなくてはいけない。チャンスを作り出すのもDFだと思いますし、FWだけに得点を任せるのはダメだなと。自分はそれまでは守りばかり意識していたんです。攻めにもアグレッシブに参加できる選手にならなきゃダメだなと思いました」と反省する。

 ゴールから遠い位置でパックを受けることが多いDFは、長い距離からでもゴールを脅かすようなシュート力が求められる。日本でもトップクラスのシュート力を持つ床だが、ソチでは「小学生と大学生」と感じるほど、海外の選手との差を感じたという。それを埋めるために床は現在、フィジカルの強化に加え、スティックの改良を図っている。現在は、以前のものより5センチほど短くした。スティックのしなりを利用するのではなく、コンパクトなスイングで力を無駄なくパックに伝えるシュートを習得するためだ。

 所属チームで床を指導する八反田は積極性を求める。「頭のいい子だし、状況判断もいい。ただ周りに遠慮して、シュートを打つべき時に、他の選手にパスをするんです。もっと“私が引っ張る”ということを前面に出してくれていい。もっと我を出して欲しいですね」

 来年3月には世界選手権トップディビジョン(スウェーデン・マルメ)が控えている。IIHF世界ランキング8位の日本は予選リーグでドイツ(同7位)、スウェーデン(同5位)、スイス(同3位)と、いずれも格上の国と対戦する。国際大会の少ない女子アイスホッケーにおいて、世界の強豪と真剣勝負できる貴重な機会。スマイルジャパンにとっては、4年後の平昌五輪に向けて、今後を占う試金石となる。

 床の好きな漢字は「根」。その理由を訊ねると、こう答えた。
「FWは得点を決めたら“花”。GKも無失点なら“花”なんです。でも元を質していけば根があっての花。目立たないけど、なくてはならない存在なのがDFなんです。DFがいいプレーを積み上げていくことで、FWのいいプレーにつながる。そういう意味では陰ながら支えられる。表には出なくても、なくてはならない存在でありたいんです」
 彼女がリンクに根を張ることで、チームメイトが花を咲かせる。その花が連なれば、平昌の地で満開の笑顔が咲き誇るだろう。

(おわり)
>>前編はこちら

床亜矢可(とこ・あやか)プロフィール>
1994年8月22日、東京都生まれ。6歳からアイスホッケーを本格的にはじめ、12歳でトップチームのDaishinに入団。15歳でU-18日本代表に選出され、U-18世界選手権には2度出場した。13年のソチ五輪最終予選でフル代表デビューを果たすと、大学進学とともにSEIBUプリンセスラビッツへ移籍。その年の世界選手権ディビジョン1A組(2部相当)で大会最優秀DFに選ばれるなど、日本の優勝とトップディビジョン昇格に貢献した。今年2月のソチ五輪では全5試合に出場し、2得点をあげた。スマイルジャパンの守備の要として、18年の平昌五輪を目指している。代表通算成績は27試合3得点。身長161センチ。スティックハンドはライト。

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(文・写真/杉浦泰介)

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