大横綱から「子供が見てもわかる相撲」とまで言われれば、勝負審判も声を上げないわけにはいかない。満座で恥をかかされたようなものだ。ビデオ室に詰めていた錣山親方は、こう反論した。「白鵬の右足甲がつくのが早かったが、稀勢の里も両足が浮いて死に体。何度もスローで確認した。取り直しが妥当」
 初場所13日目、稀勢の里との一番は取り直しの末に白鵬が押し倒しで勝ち、大鵬を抜く史上最多となる33回目の優勝を決めた。冒頭のセリフは千秋楽翌日の記者会見で飛び出した。
 後日、白鵬は「場所後の件ですが、多くの人々にご迷惑をかけ、また心配をかけ、お詫びしたいです」と謝罪し、とりあえず一件落着となったが、後味の悪さは否めなかった。

 広く知られるようにビデオ判定は大鵬の相撲がきっかけとなって導入された。昭和44年春場所2日目、横綱・大鵬は平幕の戸田に押し出しで敗れた。行司は大鵬に軍配を上げたが、物言いがつき、行司差し違えで戸田が勝ち名乗りを受け、大鵬の連勝記録は45でストップした。

 だが、実際には大鵬が押し出される前に戸田の右足が土俵を割っていた。世は「巨人、大鵬、卵焼き」と呼ばれた時代である。人気横綱の連勝記録が“誤審”で止まったとあっては世論は沸騰する。この頃、微妙な相撲が相次いだこともあり、協会は翌場所からビデオ判定を採用した。

 この件について、生前、大鵬に訊ねたことがある。
「横綱として、ああいう相撲を取った私が悪い」と前置きして、昭和の大横綱は続けた。「私は今でもビデオ判定(の制度)がいいとは思っていない。そもそも、横綱が(取り直しを含めて)二番も取ること自体、恥ずかしいんだから……」

 余談だが、横綱時代、大鵬は水を口に含んだまま胸を貸したことがあった。バランスや呼吸を確認していたのだろう。それでも微動だにしなかったという話を、元付け人の天龍(現プロレスラー)から聞いたことがある。ただ、水を吐き出す際には最大限の注意を払った。「相手に恥をかかせない」ため、こっそり口をぬぐったというのである。

 もし大鵬がこの世にありせば、何と言って白鵬をたしなめただろう。相撲の内容より、勝負審判への言動や態度を指摘したのではないか。心ない言葉が横行する昨今、伝統文化の頂点に立つ白鵬には悠然と構えていてほしい、と思うのは私だけではあるまい。

<この原稿は15年2月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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