7日、「バレーボール世界最終予選」(男子)が東京体育館で行なわれ、北京五輪の切符獲得まであと1勝と迫った日本は第6戦でアルゼンチンと対戦した。試合はフルセットまでもつれこむ接戦となったが、日本は最後まで集中力を切らさず死闘を制し、見事北京五輪の出場権を獲得。1992年バルセロナ五輪以来の快挙を果たした。
(写真:16年ぶりの五輪出場に喜ぶ植田監督)

日本 3−2 アルゼンチン
(26−28、25−13、25−19、17−25、20−18)
 逆転負けを喫した初戦の悪夢から見事甦った植田ジャパン。前日、最大の難所と言われた豪州戦をもストレートで破り、第2戦から続いたアジア勢との4連戦を制してきた。ここまで通算成績4勝1敗。いよいよあと1勝で北京への道が開ける――。

「明日、絶対に勝って北京行きを決めます!」
 豪州戦後、会場に詰め掛けたファンに向かって、勝利宣言をした植田辰哉監督。その思いは選手も同じだった。しかし、北京への道はやはり険しかった。

 第1セットは序盤から激しい攻防戦となった。日本は大事なところでサーブのミスを連発し、なかなか波に乗り切れない。一方、アルゼンチンも日本の多彩な攻撃に手を焼き、リードを広げられず。試合はそのままタイブレークにもちこまれた。日本は2度にわたる相手のセットポイントを凌ぐも、3度目に力つき、このセットを奪われてしまった。

 だが、追う側にまわったことが逆に選手らのプレッシャーを取り除いてくれたのだろう。第2セット、日本はWS山本隆弘が大事な場面でスパイクを決めるなど、アルゼンチンを終始圧倒した。24−13と大量リードでセットポイントを迎えると、最後は山本のサーブで相手レシーブが乱れ、ネット際に上がったボールをMB山村宏太が押し込んで決めた。

(写真:救世主となったキャプテン荻野)
 セットカウント1−1と振り出しに戻した日本は、続く第3セットも序盤から主導権を握った。ところが、11−6から5連続失点を喫し、同点とされてしまう。意気消沈する日本を救ったのは、やはりキャプテンだった。WS越川優に代わってコートに入ったWS荻野正二は、自らのスパイクで嫌な流れを断ち切った。すると、相手の連続ミスなどもあり、あっという間にその差が4点と広がる。その後は激しくサイドアウトが行き来するも、WS荻野、WS山本、そして再び荻野が連続でスパイクを決め、このセットも25−19と圧勝した。

 いよいよ北京五輪まで王手をかけた植田ジャパン。だが、再びプレッシャーを感じたのか、第4セット、日本は自らのミスで大量リードを奪われ、このセットを落としてしまう。試合はファイナルセットへもつれこんだ。

 北京へ弾みをつけるためにも、この試合で絶対に決めたい植田ジャパン。一方、アルゼンチンも必死だ。第3試合では全勝のイタリアがタイにストレート勝ち。1敗を喫しているアルゼンチンにはもう後がない状況だったのだ。果たして、勝利の女神はどちらに微笑むのか――。

 立ち上がり、、主導権を握ったのは日本だった。相手の強烈なスパイクに対してスーパーレシーブを連発し、得意の拾ってつなぐバレーを展開。さらにWS山本がサービスエースを奪うと、今度はMB松本慶彦が、これまでいいようにやられていたMBグスタボ・ポルポラトの速攻を連続ブロックで封じてみせた。前半は、まさに北京への執念が表れたプレーが続出した。

 しかし後半、勝ち急いだのか、日本はまたもやミスが出始めた。その隙を狙ってジリジリと追い上げるアルゼンチンは、土壇場で追いつき、勝負はタイブレークに持ち込まれた。マッチポイントが両者を何度も行き来する死闘が繰り広げられた。

 この戦いに終止符を打ったのは、3年間半、キャプテンとして植田ジャパンを支え続けたWS荻野だった。相手のスパイクをWS石島が必死の形相でレシーブすると、S朝長孝介は迷わずレフトの荻野へトスを上げた。荻野は渾身の力を込めてボールを叩きつけた。ネットの向こうにはアルゼンチンの壁が3枚立ちはだかっていたが、ボールはその壁を弾き、コート上に落ちた。
 16年間、待ちに待った“その時”がようやく訪れた。バルセロナ五輪以来、4大会ぶりの五輪出場。日本男子バレー界にようやく明るい光が差し込んだ瞬間だった。
 
「前回は、もうこの日の丸つけたユニホームを着てはいけないと思うくらい、嫌な負け方をしてしまった。それでも、もう一度オリンピックを目指そうと思ってやってきたことが実ったということは、すごく嬉しい。4年前のメンバーの気持ちを受け継いで、ここまでこれたのではないかと思う」
 試合後の会見で山本は落ち着いた表情でそう語った。4年前の敗北がスーパーエースを成長させ、日本復活の要因となったのである。
(写真:4年前を振り返るWS山本)

 そして、キャプテンとしてチームを牽引してきた荻野は喜びを次のように語った。
「リベンジができて本当に嬉しい。38歳までバレーボールをやれたこと、そしてこの最高の舞台に出られたということは、自分の人生にとって大きい。
 チームは大差をつけられても淡白にならずに、勝利への意識を持つことができるようになった。最後まで諦めないという姿勢がすごく見えるので、今後は技術的にもう少しつめていけば、最高のチームになると思う」
 自身、16年ぶりとなる五輪の舞台ではどんな活躍を見せてくれるのか。選手では唯一五輪を知るだけに、これまで以上に荻野の存在がチームに大きな影響を与えそうだ。

(写真:指揮官、キャプテンとしてチームを牽引した植田監督<左>と荻野)
 長年、男子バレーボール界にとって悲願とされてきた五輪出場を果たした植田監督。北京行きが決定した直後は大粒の涙を流し、コートに倒れこんだが、その後の会見ではすっかり気持ちは切り替えられていた。

「ブロックとディフェンス、サーブに関しては世界レベルに達している。あとはレセプションからの攻撃。オリンピックでメダルを獲るために、それが一番大事になってくる。そのための一番キーとなるレセプションの本数を徹底的に増やせるように練習して本番に備えたい。
 ジャンプサーブに対するレセプションはいい。ところが、ジャンピングフローターの速いサーブに揺さぶられるケースが多い。それを返す能力がある選手をもう一度チェックしたい。幸いにもワールドリーグがこの後、すぐに控えている。その大会でしっかりとチェックしていきたい」

 植田ジャパンの次なる目標は、もちろん北京でのメダル。前回、全日本男子がメダルを獲得したのは今から遡ること36年前のミュンヘン五輪での金メダルだ。北京五輪まで約2カ月。果たして、日本はどこまで強化できるのか。明日の最終戦を含め、実戦でその手応えを掴み、本番への弾みとしたいところだ。
 北京五輪出場権獲得は、いわばスタートライン。植田ジャパンの本当の挑戦はこれからである。

(写真:斎藤寿子)