“ハマのおじさん”が新境地を開拓している。横浜ベイスターズの工藤公康は46歳の誕生日を迎えた5日、巨人戦に2番手で登板し、勝利に貢献。自身初のホールドを記録した。以降、登板試合ですべてホールドをあげ、左の中継ぎとして存在感を示している。昨季は24年ぶりに未勝利に終わり、背水の陣で迎えたプロ28年目のシーズン。12日発売の『DIME』誌(小学館)のインタビュー内で復帰への道のりと現役へのこだわりを語ってくれた。
――昨年は故障の影響もあって、大半を2軍で過ごすシーズンになってしまいました。
工藤: おととし、ヒジの手術をして、うまくリハビリはいったと思ったのですが、意に反してヒジが悲鳴をあげていた。1日、2日は我慢できても、だんだん痛みが出てツラくなってくる。そういう状態でした。

――今日はよくても、明日はしっくりこない感じ?
工藤: そうですね。ボールを投げるとスッポ抜けてピューと上のほうに行って抑えがきかない。カーブを投げると、手がしびれるような感じになってしまう。これでは試合で投げられないですよね。
 という状態だったので筋力を上げるだけでなく、手術による影響で硬くなってしまったところ、緩んでしまったところも合わせてケアしていかなくてはいけなかった。いろいろやることがあって、予想以上に復帰に時間がかかってしまいました。

――工藤さんは自分の身体について非常によく勉強されていますし、28年の間にはさまざまなケガを克服してきました。その知識や経験をもってしても、復帰の道のりは平坦ではなかったと?
工藤: こうすれば良くなるだろうというのはあったんです。それでも自分の状態が追いついていかないところがあった。この状況をどう切り抜けていくかは、たぶんお医者さんでもわからないと思います。時間が解決してくれる部分もあるし、トレーニングをして筋力をつけていけば、ある程度フォローできる部分もある。人の手を借りずに、自分の治癒能力に頼らなくてはいけない部分もある。
 故障した箇所が不安定なままで投げすぎるとまた不安定さが増してしまう。かといって、ある程度は投げて筋肉を硬くしておかないと、いざ投げようというときに投げられない。でも投げて痛いと、やっぱり投げられない。かといってウエイトで鍛えると、今度は筋肉がパーンと張って投げられない。じゃあ、何やったらいいんだとなってしまったんです。

――気の遠くなるような話ですね。
工藤: たとえて言うなら、パズルのピースをこれじゃない、あれじゃないと、とりあえずはめていくような感じです。正しいかどうかわからないんだけど、はめてみる。違っていたら、同じような形のものを持ってきてはめてみる。なんとなくうまくいっていれば、じゃあ次。その繰り返しですよ。
 しかもパズルの完成図は自分で作らなくてはいけない。もう既にできている絵ではないわけですよ。試合に投げるという大枠は決まっていても、それ以外の部分はすべて自分で作らなくてはいけない。ここが難しいんです。
 特に難しいのは最初。最初の1つ2つを間違うと、組み合わせたら違う絵になっちゃう。そんな絵のために時間を浪費しているわけにはいかないんですよ。1個、2個、3個合わせてみて違っていたら、バラさなきゃいけない。でも、1個目は正しいかもしれない。2個目も正しいかもしれないと考えると、全部バラして1に戻すわけにもいかないんです。1個、2個戻って筋肉を回復させる時間もとりながら、組み立てては戻って、組み立てては戻ってを繰り返す。それで、やっと去年の9月に実戦へ戻れたというわけです。

――今の話はピッチングの組み立てにも通用しますよね。勝つためには、バッターを抑えるためには、どうすればいいのか。それこそ1球1球パズルを組み立てていくような作業です。
工藤: ピッチングスタイルだったり、配球だったり、すべてに言えることです。僕らの世界は人と人との対戦なので決まったものがありません。もちろん、その中にもセオリーはあります。セオリーはパズルで言えば外枠です。その形は決まっている。角には角のピースしか当てはまらない。そういうものはあります。だけど、中の完成図には決まったものがない。

――さらに言えば1回1回、描く絵は変わる。パズルは常に組み替えなくてはいけない。
工藤: 同じ体の状態は2年と続かないですからね。1年やったら、年をとるわけですから自分の体は変わってくる。そうじゃないとみんな子供のままでしょう? じゃあ成長し続けるかというと、ある時期から成長は止まって衰えが始まる。衰えた体にどう歯向かっていくか。どういう形でやると、自分のレベルは落ちないか。そういうことを自分で考えてなくてはいけない。これは教わるものじゃないですよ。みんな、教わろうとするからうまくいかないんです。

――昨年の9月の復帰登板(ヤクルト戦、神宮)で印象的だったのは、投げた後にマウンド上で後ろのスコアボードをよく見ていたこと。あれは何をチェックしていたのですか?
工藤: スピードガンの表示を見ていました。スピードは気になって気になって仕方がない。「もっと出てんだろうよ!」とか、「これなら若いヤツらに負けていないんじゃないか」とか思いながらね(笑)。
 本音を言えば、まっすぐで勝負したいんですよ。怒られるかもしれないけど、打たれてもまっすぐ投げたいんです。まっすぐとカーブしか投げたくない。

――今季、横浜は正捕手の相川亮二選手(現東京ヤクルト)が抜けて、ルーキーの細山田武史選手(早大)が入ってきました。ダイエー時代、若き日の城島健司選手(現マリナーズ)に配球のイロハを教えたように、細山田選手の育成も期待されています。
工藤: 彼は可能性を秘めたキャッチャーですね。「鉄は熱いうちに打て」と言いますけど、まだプロとして何色にも染まっていない。応用力の利くキャッチャーにも、しっかりパターン化できるキャッチャーにもなれる。彼は落ち込んでフニャとなっちゃうタイプではない。まぁ、城島みたいに突っかかってくるタイプでもないんですけど、タイミングさえ見失わなければ、いいアドバイスができるかなと感じています。

――実働年数28年はプロ野球記録。工藤さんの年齢で今も現役を続けている選手はもちろんいません。正直、引退を意識したことは?
工藤: 40歳前後の時は結構、意識していたかもしれませんね。その前のダイエーにいた時も34、5歳でしたけど、「オマエ、年なんだからやめちまえ」ってヤジられていましたから。
 でも、今は「年なんだからやめろ!」って言われなくなりました。横浜スタジアムで打たれても「次は頑張れよ!」とか「待っているからな!」とか。なんだか申し訳なくて(笑)。「スミマセン」ってマイク持って謝らなきゃいけない雰囲気になっちゃうんです。これは横浜ファンだけなのかもしれませんが、温かく応援してくれる人が多い。そういう人たちのためにも頑張りたいという気持ちがすごく出てきました。

――「もうダメかもしれない」とか弱気に陥ることはないと?
工藤: たぶん、こういうのは自分でムリと思った瞬間にムリなんです。だから自分の中で心の底から限界をつくらなければ、どこまでできるのかなと興味が沸いてきました。ひょっとして今年ポポッと勝てれば、来年もできるかもしれない。もちろん今年が最後かもしれませんが、この年齢でできるんだったら、来年も頑張っちゃおうかなと思えるんですよ。球団には「迷惑です」って言われるかもしれないですけど(笑)。

(聞き手:石田洋之)

<小学館『DIME』No.11(今月12日発売)にて工藤投手のインタビュー記事が掲載されています。そちらもぜひご覧ください!>