WBCで連覇を果たした侍ジャパン。侍大将の原辰徳監督を総合コーチとして支えたのが元西武監督の伊東勤である。
 伊東といえばキャッチャーとして8度の日本一を誇る名捕手である。監督としても2004年に日本一を達成した。

 その伊東が「日本におけるナンバーワン捕手」とベタ褒めするのがカープの正捕手・石原慶幸である。WBC日本代表にも選ばれ、1試合に出場した。
 バッティングはともかく「守りだけなら城島健司(マリナーズ)よりも上」と伊東は断言する。
「キャッチング、スローイング、ワンバウンドを止める技術、ブロッキングもすべて含めて。原さんも“去年の広島の躍進は彼が一生懸命、投手陣をリードした結果だ”と言っていましたよ」
 そして、こう続けた。
「石原には安定感がある。どんな球種に対しても無難に捕球できる。翻って城島の場合、キャッチングの際にミットが落ちるでしょう。あれで随分、ピッチャーはストライクを損していましたよ」

 石原は01年、カープにドラフト4巡目で指名され、入団した。県岐阜商高−東北福祉大の先輩といえば、中日の和田一浩だ。
 和田もプロ入り5年目まではキャッチャーをやっていたが、打力を買われ、野手に転向した。今では押しも押されもしない日本球界を代表する右のスラッガーだ。
 石原は即戦力捕手の呼び声どおり、プロ2年目の03年には116試合に出場、翌04年は135試合でマスクを被り、2割8分8厘という高打率を残している。
 しかし、ここから伸び悩む。屈指の強肩、バッティングもそこそこながらリードに冴えが見られなかった。
 ある球団のスコアラーは小声で石原のリードをこう評したものだ。
「単調というかワンパターン。苦しくなったらアウトコースに構えようとする。攻めのリードというより逃げのリード。おそらく首脳陣にもそのあたりのことをきつく言われたんでしょう。途中で売り物のバッティングまでおかしくなってしまった」

 石原に代わって台頭したのが4つ年上の倉義和だ。04年は石原135試合、倉24試合だったのが05年は石原74試合、倉109試合と逆転した。
 ライバルの浮上が刺激になったのか、昨季は石原が“正妻”の座を奪い返した。123試合に出場し、チームのクライマックスシリーズ出場争いに貢献した。打率は2割6分5厘、9本塁打、50打点。盗塁阻止率は3割を超えた。
 現在29歳。キャッチャーとして、一番脂の乗る頃だ。名実ともに「日本一のキャッチャー」になるためには、何が必要か。
 伊東は即座に「経験ですね」と答えた。キャッチャーのスキルは修羅場を数多く経験することでしか磨き上げられない。WBCで得たものをチームに生かしてほしい。

<この原稿は2009年5月24日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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