日本ハンドボール界のエース宮大輔が4日、スペイン1部リーグのアルコベンダスへの移籍が決まり、都内で会見を開いた。スペインリーグで日本人男子がプロ契約を結ぶのは初めて。契約期間は1年間。「やっとここまで来た」と笑顔をみせた宮は、「世界で名を残せるプレーヤーになる。日本のハンドボールをもっともっとメジャーにしていきたい」と夢を語った。
(写真:契約書を片手に「これがほしかった」と喜ぶ宮)
 すべては昨年1月の北京五輪アジア予選から始まっていた。“中東の笛”により、やり直しになった再予選。ハンドボールへの注目は一挙に高まり、東京・国立代々木競技場第1体育館には1万人を超える観客が詰め掛けた。しかし、結果は韓国に一歩及ばず。5月の最終予選でも敗れ、五輪出場はならなかった。
「悔しかった。個々の力をあげて点を決められる選手にならなくてはいけない。自分のレベルを上げなくてはいけない」
 本格的な海外挑戦を心に決めた瞬間だった。

 それまで宮は“ハンドボールメジャー化宣言”を掲げ、さまざまなメディアに露出し、日本でプレーする中で人気を集めてきた。宮の海外移籍により、当然ファン離れも心配される。だが、「もっとハンドボールを知ってもらうためにも本場でのプレーを見せたい」と、所属の大崎電気とは契約を更新しなかった。

 ハンドボールの本場といえばヨーロッパ。特にスペインは宮にとって思い入れがある。大学時代に2年間、留学し、2部と3部のリーグで実際にプレーした。「1部の試合は見るだけしかできなかった。1部のコートに立ってプレーする夢が叶ってうれしい」。会見ではスペイン語の勉強をしている宮が、現地の言葉で自己紹介する一幕もあった。

 宮は昨シーズン終了後、単身スペインに渡り、1部のバルセロナ、グラノリェルス、アルコベンダスと3チームの練習に参加した。その中で契約に至ったのが、マドリードの近郊にあるアルコベンダスだ。昨季のリーグ成績は16クラブ中14位。最近10年間の成績をみても、2部と1部を行き来しており、決して強豪ではない。「チームメイトに有名選手はいない」と本人も明かす。それだけに「出られるチャンスが多いかな」。宮によると、チームスタイルもスピード重視で、日本が目指すハンドボールに近いという。「試合に出ないと意味がない。試合に出ることで学べる」と考えていた宮にとっては、良い移籍先と言える。

 とはいえ日本のエースもスペインでは全く無名の存在。身長190センチ以上の選手が当たり前の中で、宮の173センチは一段と小さい。「コートに出ると観客から笑いが起こる」こともあるそうだ。今回の練習でもチームメイトからボールが回ってこないことがあった。クラブ側からも「やれるところを見せないと、値段がつけられない」と告げられている。契約金や年俸の金額は明かさなかったが、「家族を養えるだけのお金はもらえる」程度。試合に出場できる外国人枠の兼ね合いもあり、本当の勝負はこれからだ。

 それでも本場での練習は、活躍へのヒントを与えてくれた。「(練習参加した)バルサでも、グラノリェルスでも、フェイントで相手をノータッチで抜くことができた。スピードでは負けない」と本人は自信をのぞかせる。一方で「日本だったら相手を抜けるところでも、手足が長いのでつかまってしまう。小さいのでつかまってしまうとプレーできない。その距離感を覚えることが課題になる」とも語る。「小さい選手には小さい選手のプレーがある」と宮が言うように、自分のスタイルを貫き、いかに伸ばしていくかがポイントになる。

 はっきりと見据えている目標は日本を2012年のロンドン五輪に導くことだ。「ライバル韓国をはじめ、アジアのレベルは上がっている。オリンピックの切符は簡単ではない。だからこそ、個々で鍛えたことをスペインから持ち帰るのが僕の仕事だと思っている」。五輪予選までは約2年半。「オリンピックは夢。夢はかなえるもの」。宮は言い切った。
 
 今後は7月にはスペインに渡り、8月よりチームのトレーニングに参加。9月の開幕を迎える。
「行けるところまで行きたい。アルコベンダスから発信して世界一を目指していきたい」
 プロハンドボーラー宮大輔にとって、勝負の瞬間がやってきた。


※今年2月に行った当サイト編集長・二宮清純と宮選手の対談はこちら(「この人と飲みたい」より)
>>前編「“中東の笛”は終わっていない」
>>後編「内藤大助から学んだフェイント」

(石田洋之)