こうの史代『この世界の片隅に』(上・中・下、双葉社)に、このような言葉が出てくる。

 うちはその記憶の器として
 この世界に在り続ける
 しかないんですよね
 余計な論評は差し控える。実は、この前段に配されている言葉も鮮やかなのだが、ここではそれもおいておこう。
 この漫画は、広島市江波(祖父母が住んでいたので、子供の頃、私もよく行った)に生まれた少女すずが、呉市の北條家に嫁いでいってからの物語である。時代は昭和18年12月から昭和21年1月まで。呉はもちろん、日本一の軍港だった都市だ。戦時下の呉の市井の人々を描き出すこうのさんの筆は、すばらしい。名作だと思う。

 戦争という、人類の存在自体を問われる根源的な問題と、野球を一律に論じるつもりはない。ただ、あらゆる文化にとって、「記憶」はきわめて重要な因子である。その意味で、たしかに人間とは記憶の器であると言えるだろう。野球を観るということは、野球の記憶を蓄積し、考察し、再構成する作業でもある。私もまた野球を記憶する一個の器である。

 5月28日、呉二河球場で、千葉ロッテ対広島カープが行なわれた。
 二河球場は1951年開場。かつては南海ホークスがキャンプを張ったことでも知られる。つまりは野村克也さんもキャンプを張った、歴史ある球場である。
 広島の先発はコルビー・ルイス。
 ルイスは、今の自分をどのように感じているのだろう。今季から本拠となった新球場、マツダスタジアムは、いかにもメジャーリーグ仕様である。そしてカープの新ユニホームは、特にビジター用など、まるでレッドソックスを思わせる(レッドソックスがあのタイプのユニホームを着たことはありますよね)。まるで名門レッドソックスのエースにでもなったような心地よさを、時に味わっているのではないだろうか。だとすれば、彼のアメリカでの記憶と日本での記憶の重なり合いは、なかなか面白い経験なのではないか。昨年9月28日に行なわれた広島市民球場のお別れセレモニーで、ルイスは興味深そうにカメラを構えて写真を撮りまくっていた。旧球場の記憶も加えれば、より豊かな経験といえるだろう。

 とはいえ、残念ながら、今年のルイスは去年ほどの出来にない。
 この日も初回からロッテ打線につかまった。福浦和也に甘いスライダーを打たれ、サブローには甘いストレートを2ランホームラン。2回にも一死満塁から福浦にタイムリーを浴びる。しきりにマウンドの踏み出す足の位置を掘ってならして気にしていたけれども、不調は決して地方球場のマウンドのせいだけではない。

 ストレートが高目、あるいは右打者のインハイに抜けやすいのである。それを気にして低目に投げるとボールに力がない。ここで、どうしても昨年のルイスの投球の記憶を呼び覚まさずにはいられない。去年はインロー、アウトローのコーナーいっぱいに、ビシーッとストレートが決まっていた。コースが左右にぶれることは、まずなかった。したがって、簡単に打者を追い込めたし、甘い球が少なかった。この違いは大きい。
 抜けるということは、ステップして打者方向に移動する体重が、まっすぐに捕手に向かわず、やや一塁側にずれるということだろう。その要因は何なのか。体調不良で登板を回避した影響が、やはりあるのかもしれない。

 ところで、この試合、実は4−3で広島が勝った。ルイスは序盤の3失点で我慢し、カープが逆転したのである。
 むしろ、印象に残ったのは、失礼ながらロッテの意外な弱さだ。心なしか日本一になった2005年の輝きが薄れているように見える。
 カープの交流戦での対戦を追いかけてみると、面白いことに気づく。広島は7連勝を記録したのだが、この間、決して強かったわけではない。貧打は全く解消されないまま、投手陣がふんばって、なんとか少ない得点で逃げ切った。

 東北楽天イーグルスにも2連勝した。しかし、印象を言えば楽天は強い。
 岩隈久志、田中将大の2本柱が強力なのはもちろん承知しているが、それだけではない。例えば草野大輔、例えば中村真人、あるいは聖澤諒……。つまり、山崎武司や中村紀洋ではない、いわば小兵、脇役のはずの打者のスイングが鋭いのである。少なくとも広島打線より鋭い。
 草野は野村監督が「天才」と評したことで有名になったが、もちろん、文字通りの天才打者ではない(例えば、イチローや前田智徳を「天才」と呼ぶならば)。しかし、小柄なのにしっかりと形になったスイングをするからヒット性の打球が出やすい。これはむしろ、楽天全体の打撃練習の勝利というべきではないか。

 続いて対戦したのは北海道日本ハム。対戦成績は1勝1敗である。ここでは、広島の連勝が途絶えた6月3日の試合を見てみたい。
 3回表、広島先制の場面。1死無走者から9番・小窪哲也がヒットで出て、1番・梵英心ショートゴロ。一塁走者が入れ替わる。打者・東出輝裕の時、梵盗塁成功。ここで東出は、レフト線へフラフラと上がるポテンヒット。梵ホームイン。
 一方の日本ハムは4回裏。同じく1死無走者から、4番・高橋信二がセンター前ヒット。続く5番・糸井嘉男は右中間に二塁打で1死二、三塁。6番・小谷野栄一の犠牲フライで1点。

 実は、得点のきっかけとなった小窪と高橋のヒットはよく似ている。いずれも、低目のストレートをきっちりセンター前へはじき返している。突破口を開く、絵に描いたようなセンター前ヒットである。問題はその後だ。
 ゲッツー崩れの走者が盗塁して、かろうじてポテンヒットで返るのと、二塁打が出て、二、三塁と攻めたて、確実に犠牲フライを上げるのと。前者を貧打といい、後者を強打というのではないだろうか。
 この時点(6月3日試合終了)で、日本ハムのチーム打率は2割8分8厘。12球団のトップである。そして広島カープはチーム防御率が12球団トップタイの3.01。いわば両極端のチームの対戦ではある。野球は最終的に投手力がモノをいう、とはよく言われる格言である。それはその通りだろう。だが、点が入らない限り、決して勝てないのも事実である。

 例えば、なぜロッテは色褪せて見えたのか。4年前に輝いていた西岡剛、今江敏晃、里崎智也、福浦らが誰も打率3割に達していないのだ。
 ちなみに日本ハムは、稲葉篤紀、高橋、小谷野、金子誠、糸井が3割打者。楽天は中村真人、草野、鉄平、渡辺直人。ちなみに広島には一人もいない(規定打席到達者ではなく、6月3日の先発メンバーで見た場合)。
 野球において、強いチームとは、強力な投手陣と守備力を誇るものである。

 しかし、それだけではない。強いスイングをして、強い打球を打てるチームでなくてはならない。
 球場に行けば一目瞭然だが、強い打球というものは、必ず観る者の記憶に刻まれる。その記憶の集積もまた、「強さ」の証明となる。どのチームが、そういう打者をより多く生み出せるか。ペナントの行方は、そこにもかかっている。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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