オリンピック5大会連続メダル、前人未踏の世界選手権7連覇――谷亮子の柔道人生は栄光に彩られていた。昨年の北京五輪では銅メダルに終わったが、早くも2012年のロンドン五輪を目指す意向を示している。33歳という年齢ながら未だ世界のトップに君臨する彼女の強さとは――。当サイト編集長・二宮清純が、谷の育ての親であり、彼女の原点を知る帝京大学女子柔道部・稲田明監督を直撃した。
二宮: 谷亮子選手との出会いについて聞かせてください。
稲田: 私は当時、警察官で、機動隊の道場を借りて子どもたちに柔道を教えていたんです。道場を始めてちょうど10年目の時に彼女が入ってきたんですよ。小学校2年生だったのですが、本当に細くて、小さくてね。5、6歳くらいに見えましたよ。

二宮: 当初から柔道の素質はありましたか?
稲田: 運動神経がよくてビックリしましたね。すばしっこいんですよ。それと物覚えがすごく良かった。私なんか半年くらい受身ばっかり教えられて、やっとなんとかできるようになったんですけど、彼女はたった一日でできてしまいましたからね。

二宮: 昔、谷選手から聞いたことがあるんですけど、彼女はピアノも習っていたそうですね。柔道とピアノ、どちらを選ぼうか悩んでいたら稲田先生に「ピアノじゃオリンピックの金メダルはないんだぞ!」って言われたと。それで柔道に決めたと言っていました。
稲田: ハハハ。確か中学1年の時ですね。彼女は小学校の時からピアノや習字を習っていたんですけど、中学校に上がってすぐの頃、いつもは一番に道場に来て掃除して、私が来るのを待っていた子が、練習に遅れて来るようになりましてね。柔道から気持ちが離れているようだったので、ちょっと呼び止めて「オマエ、最近おかしいぞ」って言ったんですよ。そしたら「習字とピアノを習っていて……」って言うもんだから、「習字とピアノにオリンピックはないぞ!」って。そしたら泣いて帰りましたよ。でも、翌日にはケロッとして来ていましたけどね。

二宮: ちょうど女子柔道がオリンピックの種目になる時でしたからね。
稲田: はい。だから彼女も「柔道、頑張ってやります」と。それから目の色を変えて頑張っていましたね。

二宮: その頃から先生はオリンピックに行ける素質を持っているなと思っていました?
稲田: いや、そこまではまだ考えていませんでしたが、つい、「オリンピック」という言葉がポッと口から出たんですねぇ。今思えば、そういう言葉で意識づけできたのが良かったのかなと思いますね。

二宮: 私が彼女の試合を初めて見たのは、福岡国際女子柔道選手権で優勝した時なんですよ。あの時、世界女王だったカレン・ブリッグスに勝ちましたよね。あれにはビックリしました。
稲田: 当時のブリッグスは無敵でしたからね。

二宮: 試合前、谷選手に何か指示を出されたんですか?
稲田: いや、してないですよ。まさか勝つとは夢にも思っていませんでしたから。「出場できるだけでも大したもんだぞ」なんて言ってたくらいです。まぁ、1回戦勝てればいいかなという感じで送り出したんですよ。そしたらうまく波に乗ったんでしょうね。周りの雰囲気もまたよかったと思うんです。

二宮: とにかく動きが速かったですよね。相手もつかまえるのに苦労していました。
稲田: そうですね。それと、彼女が相手をつかまえてからの技の入り方が他の選手とはちょっと違ったんです。

二宮: 具体的にどのあたりが違ったんですか?
稲田: 0コンマ何秒、技に入るスピードが他の選手より速いんです。それと右も左も同じようなスピードで技をかけられるんですね。

二宮: それは先生が教えたんですか? それとも最初から彼女はできたんしょうか?
稲田: 最初からというか、何かそういうものをもちあわせていたんでしょうね。

二宮: 柔道の選手の素質を見るときのポイントはありますか?
稲田: まずは足の大きさですね。つまり、踏ん張りがきくかどうか。

二宮: 谷選手は足が大きかったのでしょうか?
稲田: 大きいというより、踏ん張る力がありました。

二宮: 柔道というのはバランスを崩されたらおしまいですからね。
稲田: そうです。そのためには踏ん張りが大事なんですね。彼女には踏ん張りを強くするために、かかとに釘をさした下駄を履かせたり、鉄下駄を履かせたりしたものですよ。

二宮: 谷選手は最初のバルセロナオリンピックでは金メダルを取れませんでした。当時の実力としてはどうだったのでしょうか?
稲田: オリンピックがどういうものかがわかっていなかったことが一番でしょうね。

二宮: 次のアトランタでは、金メダルは確実だろうと見られていました……。
稲田: 私もそう思っていました。畳が滑りましたよね。そういう所ではかけてはいけない技をかけてしまった。

二宮: 焦りがあったんでしょうか?
稲田: 焦りもあったと思いますが、柔道というのはとにかく体勢が崩れたらダメなんですね。特にあの時は畳に滑っていて、踏ん張れていなかった。それなのに、相手の下がっていく足にかけていったもんだから、バランスを崩してしまったんですよ。ツルッと滑ってしまって……。

二宮: しかも、敗れた相手のケー・スンヒは柔道着を逆に着ていました。あれは驚いたでしょうね。
稲田: 私も気づかなかったんですよ。なんかやりづらそうにしているから、何かなぁと思っていたんですけどね。

二宮: 谷選手が一番強かったのはアトランタの時だったのではないでしょうか。。
稲田: 私はそうだと思いますね。あの時は調子も最高によかったんです。

二宮: シドニーでようやく金メダルを獲って、アテネでも連覇を達成しました。3連覇を狙った昨年の北京はツキがなかったですね。
稲田: ツキもなかったし、何より彼女にだけ「指導」がいったのがおかしかったですよね。まぁ、取られても仕方なかったんですけどね。あれは私も側で見ていたんですけど、相手が一枚上でした。最初は相手に指導がいったんですけど、取り消されたんですね。そしたらその後、場外近くの所で「もっと中でやろう」というようなジェスチャーをしていたんです。

二宮: 「中でやろう」ということは攻める意思があると見られたわけですね。
稲田: はい。「あぁ、うまいなぁ」と思っていたら案の定、パッと谷に指導がきました。相手がうまかったです。

二宮: そのあとの3位決定戦は素晴しい試合でしたね。
稲田: そうですね。

二宮: ロンドンも目指すようですが、先生はどう見ていますか?
稲田: 昨年の北京五輪前、大学に練習に来ていたのですが、意志の強さは変わっていませんでした。やっぱり彼女はまだまだ強いですよ。