3日、世界選手権の代表選考会を兼ねた重量挙げの全日本選手権が開幕。この日行なわれた女子53キロ級に出場した三宅宏実(アセット・マネジャーズ)がスナッチ85キロ、トータル195キロを成功させ、自身が持つ日本記録を4年ぶりに更新した。同階級は昨年に続いての2年連続3度目、また本来の階級である48キロ級と合わせて通算6度目の優勝を達成した。
 父親はメキシコ五輪銅メダリスト、おじは東京五輪およびメキシコ五輪の金メダリストと重量挙げ一家に生まれた三宅は、2004年のアテネ五輪に続いて昨年、北京五輪に出場。女子重量挙げでは日本人初のメダル獲得を狙った。しかし、当日はプレッシャーからか予定の体重を下回り、本領を発揮することができずに悔し涙を見せた。それでもアテネの9位を上回る6位入賞。12年のロンドン五輪でのメダル獲得に期待がかかる。

 北京五輪直前には当サイト編集長・二宮清純が三宅親子を独占インタビュー。重量挙げへの情熱とオリンピックにかける思いについて訊いている。

〜バーベルへの誓い〜

 万有引力を敵に回すのだから、これほど過酷な競技はない。
 にもかかわらず、会心のパフォーマンスができたときには「全く重さを感じない」と彼女は言う。
「身体が一本の軸になっている感じ。一瞬だから何も感じない。逆に悪いときには身体にドンとくる。最初から全てが重い」

 三宅宏実、22歳。北京五輪重量挙げ48キロ級代表。メダルの有力候補だ。
 何ゆえ重量挙げを?
「幼稚園の頃からずっとピアノを習っていました。母がピアノ教室をやっていましたから。
 しかし、これからのことを考えた時、何か人と違うことをやりたいなと。父が重量挙げをやっていたので、よし自分もこれだと……」
 父親はメキシコ五輪重量挙げフェザー級銅メダリストの三宅義行。東京五輪とメキシコ五輪で二度、金メダルを胸に飾った三宅義信はおじにあたる。

「中学3年の冬かな。突然(重量挙げを)やりたいと言い出したので、びっくりしましたよ。もちろん最初は反対しました」
 振り返って父・義行は語る。
「僕は誰よりもこの競技の辛さを知っていますからね。まさか自分の娘がやりたいと言い出すなんて……。それでしばらくはほったらかしにしておいたんです。本気かどうか試すために。3か月くらいかな。まだやると言う。ならば“北京五輪を目指そう!”と。“やる以上は妥協は許さないぞ”と言うと“はい”と娘は答えた。それからマンツーマンでのトレーニングが始まったのです」

 宏実が初めてバーベルを持ち上げたのは中学3年の冬。場所は自宅の台所。初挑戦でいきなり42.5キロを挙げた。これは父親が高校1年で挙げた重量と同じだった。
 父・義行の回想――。
「ちょっと教えてやらせたら、いきなり42.5キロを挙げてしまった。これはタダモノじゃないなと(笑)。宏実の二人の兄も重量挙げをやっていたんですが、最初の印象は長男はただ競技をやるレベル、次男は全日本は獲れるかな、というレベル。しかし宏実は“これは世界だ!” と直感しました。僕なんかとはセンスが違っていましたよ」
「門前の小僧習わぬ経を読む」という故事があるが、まさにこれだ。
 宏実に聞くと二人の兄の応援で小さい頃から家族総出で大会に出かけていたという。
 重量挙げはスナッチとジャークを合わせた総重量で順位が決まるが、その記録もノートにつけていた。実際にバーベルを持ち上げることはなくても、目でフォームを覚えていたのである。

 父親とのマンツーマンのトレーニングは約10年に及ぶ。
「実は最近、肩のあたりが筋肉痛なんです。娘がバーベルを持ち上げていると、こっちまで緊張する。僕たちは一緒にバーベルを持ち上げているんですよ」
 黙々とトレーニングを続ける娘に目をやりながら父親は言い、こう続けた。
「この競技を始めた時から8年計画。つまり北京で勝負をかけようと思って頑張ってきました。アテネはあくまでも通過点。ただ競技を始めて3年ちょっとでオリンピックを経験できたのはラッキーでした。
 今回は10月に(代表入りの)内定をもらったので、練習時間は十分にある。心配なのはケガだけですよ」

 父と娘の二人三脚。しかし微妙に足並みが乱れたこともある。
 宏実は語る。
「あれは去年の4月、全日本選手権の前のことです。1月に肉離れをおこし、歩けないくらいに悪化していた。練習をしなくちゃいけないのにできない。心身ともに、もうボロボロの状態でした。
 にもかかわらず、ずっと父から怒られっぱなし。その時、初めて家を出たいと思いました。練習でも食事でもずっと父は一緒だったので息苦しくて……。でもね、家を出る時もリングシューズだけは持っていこうと思っていました。一度、練習を休むと、取り返すのには倍の時間がかかりますから。さすがに重量挙げまでやめようとは思わなかった」

 そこまでのめり込んでしまった重量挙げの魅力とは、いったい何なのか。
 少女のように目をクリクリさせながら宏実は言った。
「やった分だけ結果が出る競技。全て結果に出るのでショックを受けることもありますが、うまくいけばそれだけの達成感を得ることもできる。
 それにフォームやそこに至る動きも好きですね。いかに無駄な力を使わずに重いものを持ち上げるか。簡単そうに見えるかもしれませんが、本当に奥が深いんです。是非、知らない人にも興味を持ってもらいたい」

 北京までの目標はスナッチで85キロ、ジャークで115キロ。トータルで200キロを挙げれば、メダルはほぼ確実だと見られている。
 メダル獲得のための課題は?
 父親が冷静に分析する。
「あの子はジャークは得意なんです。課題があるとすればスナッチのセカンドプル。膝から上に引き上げるタイミング。ここさえよくなれば勝負できると思っています。
 表彰台に上がれるかどうかの分岐点は197キロでしょう。これがひとつの目安になる。ひとり中国に王明娟という強い選手がいますが2位から6、7位までは横一線。誰にでもメダルを獲れるチャンスがある。もちろん宏実にも十分あります」

 宏実は父親よりもさらに強気だ。
「その中国の選手だって“絶対”ということはない。最後まで諦めなかった者が勝つんじゃないでしょうか。試合日は開会式の翌日なので、私がメダルを獲って日本にいい風を吹かせたいと思っています」
 日本五輪史上、三組目の親子でのメダル獲得はなるのか。
「三宅宏実。ウカンムリ、すなわち冠が3つもある。三冠ですよ。縁起のいい名前でしょう。アッハッハ」
 父親は豪快に笑った。
 決戦は8月9日、午前――。

<この原稿は2008年7月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>