96回目を迎えた世界最高峰の自転車レース「ツール・ド・フランス」は2007年覇者のアルベルト・コンタドール(スペイン)が2年ぶり2回目の総合優勝を飾り、23日間の戦いに幕を下ろした。コンタドールは中盤の第15ステージ、アルプスでのレースを制して総合首位に躍り出ると、第18ステージのタイムトライアルでも区間優勝を収め、2位以下との差を広げた。総合2位には新人賞も獲得したアンディ・シュレク(ルクセンブルク)。ツール7連覇(1999〜2005年)の実績を持ち、4年ぶりに現役復帰したランス・アームストロング(米国)は、ブランクを感じさせない走りで3位に入った。
 上位陣の争いとは別に、日本で注目を集めたのは、何といっても新城幸也(ブイグテレコム)、別府史之(スキル・シマノ)の2人の日本人選手の動向だろう。ロードレースでは世界との実力差が大きい日本自転車界にとって、日本人選手の出場は96年の今中大介以来。同じ大会に2選手が出場するのは初の快挙だった。しかも過去、ツールの舞台に立った日本人は川室競(26、27年出場)、今中ともに途中リタイヤを余儀なくされている。2人には初完走の期待がかかったスタートだった。

 ところが、2選手は完走どころか上位に食い込む走りで日本のファンを沸かせた。第2ステージでは新城が、最後までトップ集団に加わる力走。カーブで集団内に落車が発生し、選手が脱落したスキを突いて、上位に躍り出た。結果はトップとタイム差なしの5位。日本勢最高の順位をマークした。

 さらに翌日の第3ステージは別府が好成績をおさめる。強い横風でスピードが乗らない点をいち早く察知し、先に仕掛けてチームメイトを牽引。この判断が功を奏して同僚の上位進出をサポートしたのみならず、自身も8位に入った。

 だが、ツールは3週間で約3460キロを走破する長丁場。期間中にはさまざまなアクシデントが待ち構えていた。新城は雨の中でのレースとなった第6ステージ、前方の選手の転倒に巻き込まれて落車。左でん部を負傷した影響で、中盤戦はなかなか満足な走りができなかった。一方の別府も同ステージで腹痛を訴え、下位でのフィニッシュに終わった。さらに第11ステージでは、別府が開始早々、前に出たものの途中で後輪がパンク。レース中断を強いられた。また新城が集団内の落車で前に進めず、立ち往生する場面もあった。

 しかし、2人はこれで終わらなかった。別府はアップダウンのある第19ステージで、先頭にくらいつく。集団前方につけて最後の峠を越えると、下りのスプリント勝負でも世界の強豪に負けない戦いをみせた。結果はトップとタイム差なしの7位。自己最高成績を更新した。2選手は最後の難関である“死の山”モン・ヴァントゥーの頂を目指す第20ステージも酸素不足を乗り越えて走り切り、いよいよパリのゴールが見えてきた。

 そして圧巻は、シャンゼリゼを目指す最終ステージ。沿道につめかけた大観衆が見つめる中、パリ市内の周回コースに入って別府が飛び出した。7人で先頭集団を形成し、逃げる。ラスト1周で後ろから追ってきた大集団に飲み込まれたものの、積極的な走りは世界のロードレースファンを魅了した。別府はステージの「敢闘賞」を獲得。自らの完走を祝う最高の締めくくりとなった。

 また新城は先頭を追う2番手集団で徐々に順位を上げ、ラスト1周のスプリント勝負に挑んだ。惜しくも前に出る機会を奪われ、20位に終わったが、こちらも最後を飾るにふさわしい走りをみせた。

「月に一歩降りたような感じ。小さな一歩だけど、本当は大きな一歩」
 走り終えた新城は、こんな言葉を口にした。総合成績は別府が112位、新城が129位。完走を遂げたとはいえ、成績的には確かに“小さな一歩”かもしれない。しかし、彼らの熱い走りは記録以上の記憶を多くのファンに残した。このツールがきっかけとなって、自転車熱が高まり、有望な若手が育ち、いつの日かフランスの大地をトップで駆け抜ける選手が現れた時、それは“大きな一歩”となるはずだ。

(石田洋之)