V9以来のリーグ3連覇を達成した今年の巨人。優勝を決めた2日後(9月25日)には、V9時代を支えた名二塁手・土井正三さんが、すい臓ガンのため亡くなるという悲しい出来事もあった。
 今回、土井さんと二遊間コンビを組んだショートストップ黒江透修さんに当HP編集長の二宮清純がインタビューを行った。土井さんとの思い出やV9巨人の強さの理由について訊ねた。その一部を紹介したい。
二宮: 巨人は1965年から9連覇したわけですが、一言で言うと何が巨人の強さの源だったのでしょう。
黒江: 結局は(守備コーチの)牧野(茂)さんでしょうね。僕はV1を達成した翌年の昭和41年に、初めてベロビーチキャンプに行きました。そこで習ったのがドジャースの戦法。当時のドジャースはドン・ドライスデールと左のサンデー・コーファックスが両方20勝前後をあげている時代だった。もうひとり先発の柱がいて、3人合わせて70勝くらいしていたんです。
 ドジャース戦法とはすなわち投手力を含めた守りの野球。一方の巨人はそれとは逆の攻撃野球だった。ONという大砲がいるたけに、そこに細かい野球が加われば、ドーンと勝っていける。だから、もともとあった攻撃力にドジャース戦法をミックスして、攻めも守りもいいという形にチームを変えていった。完全にドジャース戦法をマネしたわけではないんです。

二宮: 牧野さんの指導は社会人時代とは違うものでしたか?
黒江: 最初は僕も土井も「なんだよ!」とよく反発していたほうだよ。たとえば、ランナー2塁の時は「必ず牽制せい」と言われる。「とにかく走者を引き付けろ。(ベースに)入らないと使わないぞ」と。牽制というのはランナーを釘付けするのが目的で、アウトにするのが目的じゃない。“スキがあったらアウトにしますよ”とランナーが意識してくれたらリードが小さくなる。そうするとヒットを打たれても簡単に(ホームには)還ってこられない。
 さらには、先に土井が2塁ベースに入って、土井が元の守備位置に戻ったところで僕が入って牽制するようなプレーも練習しました。つまり土井がおとりになってオレが入る、オレがおとりになって土井が入る。こういったことを徹底されるから、土井と2人で「早く3塁に行ってくれ」と思っていましたよ(笑)。
 ただ、それを繰り返しているうちにレフト前ヒットでも、2塁からホームに戻れないケースが出てくる。1、3塁とピンチは広がるけど、次のバッターがショートゴロを打ってゲッツーだったりすると、「オマエたちが釘付けにしたから点が入らなかったんだ。これが二遊間の牽制だ、チームプレーだ」と牧野さんに褒められるから、「そうかな」と思い始めたんです。

二宮: やはり黒江さんはV9の最大の貢献者は牧野さんだったと?
黒江: 最初はイヤイヤながら従っていたけど、実際に結果が出ると「僕たちはいいことしているんだ」という気分になる。すると牽制でも、ただランナーを釘付けにするだけじゃなくて、アウトにしてやろうとなる。牽制のサインはショートと投手とか、キャッチャーとショートとかの間で4つくらいあったんだけど、「こういうのはどうですか」とこちらからアイデアを提案するわけ。それがチームで採用される。牧野さんも“こいつら、たいしたもんだ。自分から言ってくれるようになったんだ”とラクになったと思いますよ。

二宮: ただコーチの指示待ちではなく、自分たちでそれを発展させていったところも強さを維持できた秘密ですね。
黒江: 僕はタッチプレーなんかも研究したよ。今の選手はタッチプレーが下手ですな。基本はベースの手前で捕ってアウトにしろというでしょう? 僕の場合は送球が反れそうだと感じたら、ランナーと交錯する前に思い切って前に出て捕っていました。それで素早く滑り込んできた背中にタッチした。
 送球が高い場合は、必ずジャンピングキャッチしましたよ。高いボールを伸びあがって捕って、ランナーの足にタッチするよりも、自分がジャンプして胸の近くで捕って、降り際にパーンと相手の体にタッチしたほうが早いじゃない。

二宮: 空タッチでもアウトにしたという話も聞きましたが……
黒江: 「アウトー!!」って、アンパイアごまかすのも得意だったよ(笑)。これも技術だからね。当然、相手は触っていないから、文句を言うわけ。アンパイアには「ありがとう」と言って、次の時はピシッとしっかりタッチしてアウトにする。

二宮: 土井さんは相当、気の強い選手だったらしいですね。
黒江: そうだね。早いうちからリーダー的な要素を持っていたね。守りのサインでも4つ年上のオレをリードしていたから。

二宮: それは土井さんのほうが早くレギュラーになったから?
黒江: それもあるね。アイツは入団した昭和40年からいきなりレギュラー。オレが出始めたのは41年からだから。土井は内野のキーマンで牧野(茂)さん(守備コーチ)の指導を受けていたから、立場的には彼のほうが上だった。しばらくして対等になっていくんだけど……。

二宮: 土井さんと黒江さんの二遊間は、やがて名コンビと呼ばれるようになります。
黒江: 最初のうちはサインでやっていたけど、途中からは目で合図するようになった。たとえば牽制にしても、土井がウインクした時は「黒江さんが(ベースに)入る」という合図。盗塁の時もそうです。
 同じように守っても、ピッチャーがインコースに投げるかアウトコースに投げるかで、どっちに入るかが違うんだから。たとえば右バッターのインコースに行くと思ったら(詰まる可能性が高いので)、ショートの僕ではなくセカンドの土井が2塁ベースに入る。逆にアウトコースのボールだったら僕が入るわけよ。キャッチャーのサイン見ながら、お互いがウインクし合う。あの頃の巨人は本当にレベルの高い野球をやっていたと思うよ。
 ベロビーチのキャンプに行った時にはドジャースの遊撃手モーリー・ウィルスからこういうことも教わったんだ。向こうのバッターは二遊間の動きを見て、どっちに打つか決めてくるから、ボール球でバッターが打たないと思ったら、両方(2塁ベースに)入れと。二遊間の片方だけが動くと、ピッチャーがどこに投げてくるか読まれるけど、2人一緒に動けばわからないだろうというわけだよ。これはなるほどなと思ったね。

二宮: 土井さんによれば「黒江さんとはよくケンカもした」と。
黒江: そうそう、後輩のクセに、いつも偉そうな口聞いていましたよ(苦笑)。言い争いをしたこともあるけど、川上さんは「内々でやれ」というだけで止めたりはしなかったね。こっちが悪い、そっちが悪いじゃなく、チームのためになるんだったら言い争ってもいいんだと。そこは任せてくれていた。

二宮: 普通、そういうことがあるチームは空中分解するもんですけど、巨人はそうならなかった。なぜでしょう?
黒江 なにしろ、あのONが並び立ったんだから。ワンちゃんはチョーさんを立てるし、チョーさんもワンちゃんを立てる。年が5つくらい違うのもちょうど良かったのかもしれない。しかし、内心は二人とも「負けるもんか!」と火花を散らし合っていた。ああいうチームはもう2度とできないだろうね。

<講談社『本』(毎月25日発売)では黒江さんとのインタビューをさらに詳しく3回にわたって掲載予定です。こちらもお楽しみに>