3位に終わった前期からの巻き返しを誓った後期は残念ながら最下位。反省点だった投打のバランスの悪さが改善されず、勝ちきれないままシーズンが終わってしまいました。大阪の後期優勝を目の前で見るはめになり、選手は悔しさとうらやましさを感じたはずです。「胴上げは見るものじゃない。するものだ」。僕も試合後、そんな言葉を選手たちにかけました。
 なかなか結果が出ないチームの中で、唯一の朗報は右腕・徳田将至がカープの入団テストに合格したことでした。育成枠での指名が有力視され、ドラフト会議当日は名前を呼ばれるのを楽しみにしていました。ところが……広島は育成選手の指名を2名で終了。徳田は指名漏れに終わってしまいました。おそらく年齢が26歳ということもあり、即戦力としてのアピールができなかった点が響いたのでしょう。確かに徳田には牽制やフィールディング、変化球の出し入れなどNPBで活躍するには課題が多いのは事実です。しかし、球速は150キロ以上を計時し、力があります。球団、リーグを盛り上げるためにも、なんとか指名を勝ち取ってほしかったところです。

 今季の紀州は前回も指摘したように、大事な場面であと1本が出ませんでした。その原因は単刀直入に言ってしまえば振り込み不足です。個人としてもチームとしても波があり、固め打ちがあったかと思えば、2、3試合音なしのゲームが続き、成績が安定しませんでした。シーズン打率が3割を超えたのが、朴言孝ただひとりだったのは、その象徴です。バットをしっかり振る力があれば、いい当たりが外野の間に飛ぶはずですし、詰まっていても内野の頭を越えてポテンヒットになるはずです。これはリーグ全体にも言えますが、投高打低の傾向は最後まで変わりませんでした。

 そんな選手たちにとって、一番練習ができ、レベルアップをはかれるのは、このシーズンオフです。NPBの選手たちも秋季キャンプでハードなトレーニングをしています。ところが、このリーグでは選手との契約が10月で切れたため、チームとしての練習ができない状況になっています。プロ野球選手として最も成長が期待できる時期に野球ができないのは、本当にもったいない限りです。かく言う僕も収入がないため、アルバイトをしながら選手たちの自主練習に付き合っています。

 厳しい経営状況の中、来季は選手給与が月額8万円+出来高払いに削減されることもあり、来季の体制はまだ固まっていません。ここよりも待遇の良い他の独立リーグのトライアウトを受けている選手も多いと聞いています。確かに月額8万円では住む場所を借りて生活するには厳しい面があるでしょう。選手たちは野球に打ち込める環境を求めて独立リーグにやってきているのですから、より良いところへ移るのはやむを得ないと感じています。

 ただ、それではこのリーグは先細りです。せっかく若い選手たちに夢を与えるために生まれた関西独立リーグが、逆に夢を奪う話になっては元も子もありません。球団フロントの方には、ぜひ最低限、選手が野球に専念できる環境を整えていただきたいと感じています。その代わり、選手や僕たち指導者はグラウンドで結果を残し、地元に愛されるチームをつくる。フロントと現場が一体となって紀州レンジャーズを和歌山の球団として発展させたいものです。

 自主トレの面倒をみている選手たちの目は「もっとうまくなりたい」という意欲に充ちあふれています。その成果が来季、グラウンドで発揮できると信じて頑張りたいと思っています。いろいろあった1年でしたが、応援をいただいたみなさんには本当にお世話になりました。来年もさらなるご支援をどうかよろしくお願いします。
 

河埜敬幸(こうの・たかゆき)プロフィール>: 紀州レンジャーズコーチ
1955年4月18日、愛媛県出身。八幡浜工高から74年、ドラフト5位で南海(現ソフトバンク)に入団。堅守の二塁手として定岡智秋(現高知監督)と二遊間を守った。79年には初の打率3割をマーク。オールスターにも4度出場し、89年限りで現役を引退。その後はホークスの2軍コーチや合宿所の寮長などを歴任し、07年に長崎セインツの監督に就任。翌年、チームは四国・九州アイランドリーグ参入を果たした。09年より紀州のコーチに。現役時代の通算成績は1552試合、打率.268、85本塁打、463打点、141盗塁。兄・和正氏も70〜80年代にかけて巨人のショートとして活躍した。





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