2006年、世界ランキング1位を獲得。07年、史上初の年間グランドスラムを達成。08年、北京パラリンピックで金メダル獲得――数々の栄光を手にしてきた車いすテニスのスーパースター国枝慎吾が昨年4月、プロ転向を発表した。大学職員という安定した生活に別れを告げ、自ら茨の道へと進み始めた国枝。そこには日本の車いすテニス界への熱い思いがあった。
二宮: 国枝さんは車椅子テニスの第一人者として今まで数々のタイトルを獲得してきました。それでも2008年の北京パラリンピックでの金メダルというのは特別なものだったのでは?
国枝: そうですね。04年のアテネが終わってから、次の目標は北京だとコーチとも話をしていたんです。ですから、ずっと北京に照準を合わせてやってきました。07年には年間グランドスラムをとりましたけれども、そのこと自体は僕にとってはそれほど重要なことではなかったんです。やはり北京での勝利というのが一番でした。他のどんな試合に負けても北京だけは勝ちたいと。

二宮: 決勝はアテネの金メダリスト、ロビン・アメルラーン選手(オランダ)との対戦でした。
国枝: 彼には06年から一度も負けていないんです。そういう意味では精神的に非常に有利な状態で臨めたかなと思っています。

二宮: 北京で金メダルを獲って、昨年4月にプロ宣言をしました。これまでの安定した収入が全てなくなったわけですよね。あえてこのご時勢に厳しいプロへの道を選んだ、その理由は?
国枝: 自分自身、大勢の観客の前でプレーすることに大きな喜びを感じているんです。ですから、そういった環境を他の日本人プレーヤーにも与えてあげたいなと。そういう機会が増えれば、向上心も出てくるでしょうし、自分自身もプロとしてやっていこうと思う選手が出てくるかもしれない。そうなれば、国内レベルの底上げにもつながります。また、僕がプロとして成功する姿を見せることで、子どもたちに「車いすテニスもプロを目指すことができるんだよ」ということを示したかったんです。

二宮: でも、海外をまわることも多いですから、相当の費用がかかりますよね?
国枝: だいたい年間3カ月から4カ月くらいは日本と海外を行ったり来たりの生活で、およそ400〜500万円はかかりますね。

二宮: それで優勝できなかったら、経済的にマイナスになってしまいますね。
国枝: はい。そういった意味でも勝たなければいけないと、自分自身への刺激になっています。

二宮: 大学まではその費用をご両親が負担していたんですよね。理解のあるご両親ですね。
国枝: はい、両親は僕がテニスをすることにすごくポジティブに考えてくれています。ただ一般的な普通のサラリーマンの家庭なので、海外ツアーをまわるようになってからは相当苦しかったみたいです。それがわかっていたので、アテネ五輪の時は引退覚悟で臨んだんです。そしたらダブルスで金メダルを獲れたので「この金メダルがあれば、どこかに就職して、働きながらテニスも続けられるんじゃないかな」と。

二宮: 本音では続けたいと思っていたんですね。その根底にはやはりシングルスで頂点に立ちたいという思いがあったのでは?
国枝: はい、そうですね。それからは北京で頂点に立つというのを夢見てコーチと一緒に取り組んできました。

二宮: アテネと北京では、自分のプレーはどう変わっていますか?
国枝: アテネと北京ではプレーのレベルが全く違いますね。今、アテネのビデオを観たら、本当にひどいなと(笑)。一番の違いはバックハンドのトップスピンを習得したことです。それまではバックはスライスで返すというのが主流だったんです。スライスでつないで、フォアにまわりこんで打ったり、スライスのダウンザラインを狙ったりしていたんです。その誰もやっていなかったバックのトップスピンが今では僕の一番の得意技となっています。それが大きかったですね。僕が成功したことによって、今ではほとんどの選手がやるようになりました。

二宮: トップスピンを習得するには、何が重要なんでしょう?
国枝: 第一にスライスに比べて体のバランスがものすごく必要になってきます。スピンは体全体を使ったショットになりますので、座ったままバランスをとるというのはなかなか難しいんです。

二宮: スライスは打ちおろして、面をうまく当てればいいわけですよね。スピンを打つということは……。
国枝: しっかりと肩を入れてから打ちにいくので、車椅子との連動性がものすごく必要になってきます。また、スピンは体を前を向いて打つとういのはものすごく難しいショットで、必ず60度くらいまでは横に向かないとできないんです。そうなるとチェアワークを使って、しっかりとボールに入りこまなければいけません。こうしたいろいろなテクニックを身につける必要になってくるんです。

二宮: では、どのようにチェアワークは身につけられたんですか?
国枝: いえ、実は小学生の時に車いすテニスを始めたときからチェアワークは得意だったんです。乗った瞬間から初心者クラスの誰よりも速かったですし、走る才能というのはあったかなと思いますね。今までもツアーを戦ってきて、自分よりチェアワークが優れているという選手には出会ったことがないんです。このチェアワークがあるからこそ、他の選手よりも速いタイミングで打つことができる。そうすると、相手は準備する時間を奪われることになりますから、いい体勢では打てないわけです。これが僕が世界のトップにいられる最大の理由だと思っています。

二宮: チェアワークには腕の力だけではなく、敏捷性やバランスも必要になってくるのでは?
国枝: はい、腕だけでなく、体全体でこぐんですよね。腰の回転をものすごく使わなくてはスムーズな動きはできないですし、急な方向転換も腕の力ではなく、腰の回転だけでやるんです。ヒュッとひねる感じで。

二宮: さて、これからの目標は?
国枝: 目標としては2012年のロンドン五輪での連覇ですね。しかし、プロになったからには1年1年の成績も求められてきますので、勝ち続けなければいけないと思っています。そうしなければ、生活できなくなってしまう環境に身を置いているわけですから。そこが北京を目指した4年間とは違うところですね。まずはグランドスラムで勝つというのが1年間の目標です。その目標をクリアしながら、ロンドンを目指すと。北京ではダブルスで金メダルをとれなかったので、今度は単複で頂点をとりたいなと思っています。


<2010年1月20日発売『ビッグコミックオリジナル』(小学館2010年2月5日号)に国枝選手のインタビュー記事が掲載されています。こちらもぜひご覧ください。>