無名のピッチャーが独立リーグの2年間で球速15キロアップと驚異的な成長を遂げ、果てしなく遠いと思われていた夢を実現させた。高田周平、24歳だ。昨季、同じBCリーグから育成選手として阪神に入団した野原祐也は1年目にして支配下登録され、さらに一軍デビューを果たした。その野原が育成時代に背負っていた背番号「123」を高田が引き継いだ。縁起のいい出世番号を背に、野原に続けとばかりに早期の一軍デビューを狙う高田に今の心境を語ってもらった。
―― ドラフト当日は、インターネットでチェックしていたとか。自分の名前を見た時はどんな気持ちだったか?
高田: 信濃グランセローズ時代に応援してくれていた長野県の方たちが、「今年は高田と星野は指名されるだろう」とすごく期待してくれていたんです。でも、僕としては自分はそこまでの力はまだないと思っていた。だから指名されて、嬉しいというのもありましたけど、それ以上に地元の期待に応えることができてよかった、とほっとした方が大きかったですね。でも、島田直也コーチ(信濃)からは「オマエがそんなに嬉しそうな顔するの初めて見た」と言われました(笑)。

―― 自分としては指名される自信はなかった?
高田: あまりなかったですね。大学までの実績は全くないですし、よくなってきたのも信濃での2年目でしたから。僕でも少し目をつけてもらえるようになってきたかなぁ、NPBを目指せるかなぁと、ようやく思い始めたばかり。それでもそう簡単に指名されるとは思っていなかったんです。

―― 同じBCリーグから育成で指名された野原選手からのアドバイスは?
高田: 育成は特にキャンプの最初からガンガンとばしてアピールしなければいけないと。だからそれまでの時期にしっかりと体をつくっておけよ、と言われました。野原さん自身、オフの間にしっかりとトレーニングをしてキャンプでアピールしたからこそ、試合にも使ってもらえた。それが大きかったようです。

―― 高田選手自身も昨オフはかなりトレーニングをしたとか。
高田: そうですね。それまでもランニングなどはやっていましたが、ウエイトや腹背筋のトレーニングは長く継続してはやっていなかったんです。昨オフはシーズン終了後に1カ月間秋季キャンプがありました。そこでチームトレーナーにつくってもらったメニューをキャンプ後もずっと続けたんです。

―― その成果として球速が急激に伸びたと。
高田: 他にもいろいろと要因はあると思いますが、今までやってこなかった部分を強化できたことも大きく影響していると思います。

―― それはNPBに行きたいという気持ちがあったから?
高田: そうですね。でも、現実的に行けるとは思っていなかったんです。ただ、やっぱり野球選手としてはより高いレベルを求める中で、NPBは目標としてありました。でも、実際にそのレベルでやれるほどの力があるかどうかと言われると……自信はなかったですね。それでもそこに少しでも近づくためには、どうすればいいのかを考えながらやってきたことだけは確かです。

―― 球団からどんなことを期待されているか?
高田: 育成とはいえ、年齢も年齢なので、なるべく早く結果を出さなければいけないとは思っています。阪神は左投手が他の球団よりも少ない。そういう部分でチャンスもあるし、期待もされているのかなとは思っています。

 何度も諦めたプロへの道

 大学時代、公式試合での登板はたった1度きり。それも1/3回のみだ。途中、野球部を辞め、学問に専念しようと思ったこともある。卒業時には就職への道を本気で考えた。しかし、高田は野球を続ける道を選択した。果たして、その理由とは?

―― 野球を途中で辞めなかった理由は?
高田: 実際、辞めようと思ったことは何度かあるんです。大学2年の時は親にも相談したほど、本気で辞めようと思いました。大学で結果を残すことができなければ、野球で生きていくことはできない。ならば、このまま野球をやっている場合じゃないなと思ったんです。結局そのまま続けたのですが、4年の時は卒業後は野球をきっぱりと辞めて就職しようと考えていました。もちろん、続けたいという気持ちはありましたよ。でも、親に迷惑をかけてはいけないなと。ところが、親の方が「本当にそれでいいのか」と言ってくれたんです。

―― 独立リーグに行こうと決心した理由は?
高田: 最初は働きながらクラブチームに行こうと思っていました。独立リーグは話には聞いていましたが、実際にどういうところか想像がつかなかったんです。クラブチームなら強いところに行けば、都市対抗にも出られる可能性もある。そういうところをなんとか見つけられないかなと思って、まずはチームを見つけてから就職活動をしようと考えていました。ところが、大学の監督に「それは逆だ。就職を先に決めろ」って言われてしまいました。それで第2候補として考えていたBCリーグのトライアウトを受けることにしたんです。

―― そこまでして野球を続けようと思った理由は?
高田: 悔しさからでしょうか……。大学時代は試合で投げることができなかったのですが、自分自身としては「本当はもっとやれるのに」という気持ちがありました。でも、練習の時にはよくても、試合では全然ダメだった。逆にもし、試合で実力を出し切っていたら「自分の力はここまでか」と納得して辞めていたと思います。でも、そうではなかった。だからここまで続けてこられたんだと思います。

―― 独立リーグでの2年間で成長した部分は?
高田: この2年間は、僕に自信を与えてくれたという意味で非常に大きいですね。今考えると、大学では全く投げることができなかったので、気負うことなくダメならダメでいいやと吹っ切れていたことがよかったのかもしれません。とにかく悔いのないようにだけやろうと。

―― 2年目の昨季には開幕投手にもなった。
高田: はい。1年目のシーズン、結果的に僕がチームで一番多く投げました。一時は試合をつくれるのは僕だけなんていう時期もあったんです。それで、徐々に「僕が投げないとダメなんだ」と責任感が芽生えました。だから2年目のシーズンを迎えるにあたっても、「僕が開幕を投げる」という気持ちでトレーニングしていました。2年間で多くの試合経験を積めましたし、僕にとっては本当に大きかったですね。

 未だ自分がNPBの世界に入ったという実感がわかないという高田。しかし、球団にとっては貴重な左腕なだけに期待されていることもひしひしと感じている。果たしてどんな選手を目指しているのか。

―― 最大の武器は?
高田: まだ真っすぐがある程度投げられるかなというくらいですね。その真っすぐをいかしながら、これからもっと練習をしてレベルアップしていきたいと思っています。

―― 対戦したいバッターは?
高田: どの選手も本当にすごくて、これまでは「こんな選手と対戦したら怖いだろうな」と思いながら見ていました。昨季は千葉ロッテのファームと対戦したのですが、その時、大学時代僕らとはライバル関係にあった流通経済大出身の神戸拓光さんと対戦したんです。神戸さんは大学時代、1年の時からクリーンアップを打っているようなすごいバッターでした。当時、僕はそれをベンチから見ることしかできなかったんです。そんな人と対戦することができて、しかもセンターフライに打ち取ることができた。これは嬉しかったですね。でも、自分としては結構いい球を投げたつもりだったのに、意外とあわせられて打球も飛んだ。やっぱりNPBとのレベルの差を痛感したりもしました。

―― 関西創価高時代は2学年上に野間口貴彦(巨人)がいた。
高田: はい。野間口さんは僕らが入学する年のセンバツでベスト4まで行った時のエースで、もう雲の上の存在でした。でも、そんな野間口さんでさえ、プロではなかなか結果を出すことができていない。それほど厳しい世界なんだなと。

―― 理想のピッチャー像は?
高田: 長く野球を続けたいと思っているので、現役最年長の工藤公康さんや、下柳剛さが理想です。お二人のように長く現役を続けるには、それなりの結果も出し続けなければいけないですし、ケガもできない。本当にすごいと思います。

―― ファンにはどんなところをアピールしたい?
高田: まだ4万人の甲子園で投げる自分の姿は想像できないですけど、思いっきり向かっていく気持ちを見てもらいたいですね。これは信濃でもビックリされたことなのですが、普段はすごく大人しいのに、マウンドに立つと思いっきり声を張り上げたりするんです。そういう気持ちでガンガンいく部分を見てもらえたらなと思っています。

 内村賢介(東北楽天)、野原祐也と同じBCリーグ出身の選手が毎年のように話題にのぼる。そしてセ・リーグでは同じ育成出身の選手が2年連続で新人王を獲得した。それだけに今や首脳陣は「独立リーグ」「育成」という枠にとらわれることはなく、実力さえあれば1年目から1軍に抜擢される。そしてファンも大きな期待を寄せながら注目している。「悔いだけは残したくない」と高田。より一層の努力でさらなる飛躍を狙う。

高田周平(たかだ・しゅうへい)プロフィール>
1985年6月3日、兵庫県生まれ。関西創価高、創価大を経て2008年にBCリーグ・信濃グランセローズに入団。主に先発としてチームに大きく貢献した。通算51試合11勝17敗2セーブ、防御率2.61.178センチ、79キロ。左投左打。

(聞き手・斎藤寿子)


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