メジャーリーグ通算51勝をあげ、昨季はクリーブランド・インディアンスに所属していた大家友和が古巣・横浜に入団することが決まった。大家にとっては12年ぶりの日本球界復帰となる。今季はメジャーでのプレーを目指し、一時、メキシコリーグの球団と契約を交わしていたが、1週間で自由契約となり、新天地を探していた。実績のある右腕だけに、尾花高夫監督は手薄な先発陣の一角として期待している。今年2月、自主トレ中の大家に当HP編集長・二宮清純がインタビューを行い、渡米のいきさつやメジャーでの経験を大いに語ってもらった。その一部を紹介しよう。
 アメリカで野球ができるだけで充分

二宮: 大家さんはプロ入り前からメジャーリーグに興味があったそうですね。ただ、メジャー挑戦した99年当時は野茂英雄が海を渡っていたとはいえ、日本球界も簡単には移籍を認めてくれなかった時代です。よくチャレンジできましたね。
大家: プロ3年目の終わりに向こうでプレーしたいと希望を伝えてからは、かなり時間はかかりました。オフにウインターリーグへ行かせてもらったのが次の4年目。移籍を認めてもらったのが、その翌年です。

二宮: 野茂がドジャースでデビューした95年はプロ2年目でしたね。憧れの舞台で投げる姿を見て、メジャーへの思いはさらに膨らんだと?
大家: もちろん野茂さんのピッチングはよく見ていましたけど、当時の寮は衛星放送が映らなかったので、情報源はもっぱら雑誌でした。二宮さんが連載していた野茂さんの特集とかはよく読んでいましたよ。あと、休日はメジャーリーグのグッズを売っているショップによく行っていました。年俸が高かったら帽子とかシャツとか買いまくっていたでしょうね(笑)。

二宮: そして異例の自由契約からレッドソックスへ。当時、横浜を強豪チームへと導いた大堀隆球団社長の影響も大きかったのでしょうか?
大家: どういう経緯で決まったのか分かりませんが、社長からは1軍で上がった時などに、よく声をかけていただいていました。「次、勝ったらネクタイを買ってやる」と言われて、結局それから1回も勝てなかったんですけど(苦笑)、社長に話が通りやすい環境だったのかなとは思います。

二宮: メジャー通の牛込惟浩さんがフロントにいたことも良かったのでは?
大家: はい。牛込さんとはいろんな話をしてきました。最後は「あまりマイナーリーグで、うだつがあがらないピッチングしていたら連れ戻すぞ」と言って、後押ししていただきましたね。 

二宮: でも移籍前年の98年は2軍ながら最優秀防御率のタイトルも獲得している。球団もよくOKを出しましたね。
大家: 確かに最後の1年は良かったですけど、チャンスはなかった。権藤博監督も「使ってやれるかどうかわからない」と言っていたそうです。プロは2軍でいくら成績を残しても稼げない。いずれにせよ、僕にとっては「なぜ、このタイミングで球団が自由契約にしてくれたのか」という理由は聞く必要のないことでした。「アメリカに行って野球ができる」。それだけで充分だったんです。

二宮: この年、横浜は1軍が38年ぶりの日本一に輝いています。大家さんにとっては日本一のチームで活躍することより、アメリカ行きのほうが大きなウエイトを占めていたと?
大家: 正直、そうですね。当然、マウンドに上がった時には、ここで精一杯頑張ろうと思って投げていましたよ。移籍を認めてくれないなら、横浜でやるしかないとも思っていました。でも、アメリカへの憧れが薄れることはなかったですね。

 メジャー流の調整に適応するには?

二宮: 日本からメジャーリーグに移籍した投手の多くがとまどうのが、ブルペンでの調整法。日本は投げ込んで肩をつくりますが、アメリカでは時間も球数も制限がかかります。その点での違和感はありませんでしたか?
大家: 僕は結構すんなり入っていけましたね。向こうのやり方も理解できましたし、ピッチングコーチも少々、時間オーバーしても大目にみてくれたんです。日本では、ブルペンで調子が悪くてカーブが決まらなかったりすると、決まるまで投げて100球を超えることがよくありました。でも、その方法はアメリカでは通用しない。10分の制限時間の中で何をするのか、あらかじめ計画が求められるということですよ。

二宮: つまり、メジャー流で調整するために必要なのは準備だと?
大家: ブルペンに上がる前に、反省点や修正点は考えて投げないと10分では絶対に終わらない。でも、それを考えていれば、10分で終える工夫もできるようになるし、ブルペンに行くまでに何をすべきかも見えてくる。もし投げ込みが必要なのであれば、僕はキャンプ前にたくさん投げておきます。それなら誰も文句は言わない。キャンプやシーズンに入ってから、「自分流の調整をさせてくれ」とぐずぐず言うのは僕にはわからないですよ。

二宮: 最近はメジャーリーガーの日本人投手も増えてきて、日本流の調整を希望するケースが目立ちますね。
大家: 僕は、コーチたちに自分たちのやり方をアジャストしてもらうなんてできないですし、アジャストしてもらおうとも思わなかったですね。彼らは「シーズンを通じて試合で結果を出してほしい」と考えています。アクシデントを防ぐ意味でも、投げ過ぎに注意するのは仕事のひとつ。コーチの気持ちはよく分かりますよ。初期にメジャーでプレーした野茂さんや吉井理人さんなどは、アメリカ流に、ちゃんとアジャストして結果を残してきたんですけどね……。

二宮: 昨季までメジャーリーグでは延べ10シーズンプレーしたことになります。メジャーにはさまざまな強打者がいますが、とりわけ印象に残っている選手は?
大家: どのバッターもすごいと思いましたけど、たとえばバリー・ボンズは「ここに投げたら打つかな」と思って投げたら本当にホームランを打った。リードしていて点差も開いた終盤だったので、実験でスプリットを真ん中高めに投げてみたんです。そしたら、こすった当たりだったけど、打球は風に乗ってレフトスタンドへ飛んでいった……。

二宮: でも、こすったということはボンズにとってみればミスショット。大家さんのボールも良かった証拠でしょう。
大家: タイミングは外れていました。いつもボンズに対して、「ここに投げちゃダメ、あそこに投げちゃダメ」と言われていたので、「じゃあ、そこへ投げてみよう」と思ったんです。それでほんまにホームランだったので「すごいな」と。あれだけ実績のあるバッターに対して、「打つかな?」と思った僕は失礼ですよね(苦笑)。今になってみれば恥ずかしい話です。

二宮: データは間違っていなかったことが痛い目に遭って実感できたわけですね。
大家: タイミングをずらしても、彼は難なくホームランにするパワーがある。当時は100%のスイングでなくても、スタンドに運べたんです。もっとタイミングを外さないと、彼には太刀打ちできないと痛感しました。

 今だから言える“裏技”“裏話”

二宮: そんな強打者たちに対して、メジャーリーグの投手はあの手、この手でボールに変化をつけようとしますね。よく気づかれないようにワセリンを塗ったり、唾をつけたりとすると聞きますが、実際のところはどうなんでしょう?
大家: それは……引退するまでは言えないですよ(苦笑)。どこまで話していいのかわかりませんが、そうやってボールに細工をするのは、テクニックのうちに入らないですね。実際のメジャーのピッチャーはもっと高度なことをやっています。

二宮: つまり、まだ他に裏技があると?
大家: 具体的には言えませんが、メジャーリーグで活躍する投手は“ボールの扱い方”をよく知っている。まぁ単純に言ってしまえば、このボールがどうなったら、どっちに曲がるかを把握できているというだけの話ですけどね。そこに真のテクニックがある。それでもバッターがボール交換を要求すれば、すべては水の泡。逆にピッチャーから不規則な変化をしないようにボールを変えてもらうこともありますし、そのあたりは駆け引きですね。

二宮: アメリカでは、2年連続の2ケタ勝利など輝かしい成績を残した一方で、シーズン途中での移籍や戦力外、マイナーリーグからのスタートといった苦しい時期もありました。その間、大家さんのイメージからすると信じがたいのですが、日本ではマイナーリーグで殴り合いをしたとか、監督とケンカをしたとの報道もありました。
大家: 殴り合いについては僕からは一切、何も話していないのに、それが現地の新聞に載って、日本で報道されたんです。確かにケンカはしました。それはくだらない勘違いがもとでそうなっただけです。相手の韓国人選手と仲は悪くなかったし、殴り合いもしていません。

二宮: 日本で伝わっている話には、尾ヒレがついていると?
大家: (ナショナルズのフランク・ロビンソン)監督に背中を向けてトレードされたという話もそうです。報道で間違っている部分があっても、僕には弁解の機会が与えられなかった。彼とは起用法について、何度も話をしましたよ。それは、なぜこんなところで交代させられるのか分からなかったから。「僕は納得できません」と言って監督室を出ていったこともある。だけど、そういった問題がトレードの100%の理由ではない。あの時はセカンドにケガ人が出たとか、いろんなチーム事情も重なったんですよ。

二宮: 日本ではわずか1勝ながら、メジャー通算51勝。投球回も1000イニングを越え、いずれもパイオニアの野茂に続く数字です。胸を張っていいのではないでしょうか?
大家: いや、数字に関してのこだわりはないので、そう言われてもあまりピンと来ないのが正直なところですね。

二宮: では、51勝のうちベストと呼べる1勝は?
大家: それもないですね。ピッチャーって、自分の思い通り投げられれば、たぶん年間30勝くらいできると思うんです。別に勝った試合も負けた試合も覚えていないわけではないんですよ。むしろ僕は、よく覚えているほうでしょう。でも、試合の中で完璧だったと感じたことは1度もない。とにかくいつも考えているのは「もっと野球がうまくなりたい」ということ。この先、どこで投げたとしても、この気持ちは変わらないでしょうね。これからも、うまくなりたいですよ、ほんまに。

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