しばしば、人生は自分の意志と関係なく重要なことが決まってしまうことがある。そもそも、ぼくがスポーツを描くようになったのは偶然だった。
 ぼくが大学を卒業後入社した出版社は、Jリーグのオフィシャルスポンサーだった。Jリーグがはじまり、サッカーの周囲はかつてないほど華やいでいた。

 ぼくの配属された男性週刊誌でもサッカー担当者を作ることになった。ただ、当時、スポーツといえばプロ野球で、編集部にはサッカーに詳しい人間は誰もいなかった。そこで配属されたばかりのぼくに声が掛かったのだ。
 サッカーのルール知っているか、という上司の問いにぼくはこう答えた。
「小学生の時から、高校の頭までサッカーをしていました」
 これで、決まりだった。
 サッカーの取材は楽しいものだった。
 テレビのスポーツニュース、あるいはスポーツ新聞などは存在していたとはいえ、どれもプロ野球を中心とした旧態依然たるものだった。自分たちが、新たな世界を切り開くのだと、サッカー界に関わる人間は意欲的だった。
 さまざまな選手、監督、球団関係者に話を聞いて、記事を作った。その後、ジーコの連載を始め、ブラジルにも足を運んだ。

 ただ、たった一人だけ、取材に応じてもらえない選手がいた。それはリーグで最も人気のある選手−−カズこと三浦知良だった。
 三浦の所属事務所に取材を申し込んだところ、単独では取材は受けないが、対談ならばという返事が返ってきた。対談の相手として名前が挙がったのは、いずれも大物でスケジュール調節に難航しそうだった。また、「彼らがオッケーと言っても、カズが嫌だと言ったら駄目です」と言うので、先方にスケジュール調節も依頼できない。
 要は出たくないというのだ。
 ぼくの働いていた週刊誌はかつて浜田省吾について誤った記事を書いたことがあるとも言われた。
 三浦は浜田省吾と同じ事務所だった。ミュージシャンについて、どんな記事を書いたにせよ、三浦知良とは何の関係もないはずではないか。釈然しないまま、過去の記事を検索したが、事務所から指摘されたような記事は見つからなかった。

 三浦はどこのメディアも出て欲しい選手だった。露出メディアをわざと絞って、商品価値を上げるという手法も理解できなくない。わざわざミュージシャンの名前を出すよりも、正直に言ってくれた方が、納得できた。ずいぶんなやり方だなと思った。
 もっとも、取材メディアを絞っていたのは、三浦の事務所だけではない。
 Jリーグがはじまり、取材が殺到した鹿島アントラーズのアルシンドは、取材謝礼として1時間10万円を要求してきた。基本的に取材謝礼は支払わないというのが、ジャーナリズム、及び世界のスポーツ界の常識だった。日本は急速に人気が膨らんだため、メディアと選手の関係がいびつになっていた。


 週刊誌は、年末年始などの時期には合併号として、通常号よりも刷り部数を増やす。そうした号のため、再び三浦知良のインタビューをとれないかという指示を上司からぼくは受けた。同じように事務所に連絡をしたが、返事はやはり同じようなものだった。
 週刊誌の手法として、本人取材を断られた時、周辺取材で記事を作ることがある。とりあえず、三浦知良の父親、納谷宣雄と会ってみたいと思った。
 実父でありながら姓が違うのは、離婚して三浦は妻の姓に戻しているからだ。ぼくは静岡の彼の住所を調べ、一度お会いできないかという手紙を投函した。
 電話が掛かってきたのは、数日後のことだった。
「仕事で東京に行くので、その時に会おう」
 だみ声でぶっきらぼうな話し方だった。納谷は、サッカー界では恐れられる存在だった。
(写真:ブラジルのキンゼ・ジャウーなどで力を認められ帰国したカズは、Jリーグの中心にいた)

 92年6月に長男の三浦泰年が結婚式を挙げたとき、写真週刊誌が納谷の過去を報じたことがあった。
 記事の中では匿名の“サッカー関係者”の言葉を引用している。
<76年に静岡県の少年サッカーチームの韓国遠征に同行。その際にサッカーボールの中に覚醒剤を忍ばして帰国。覚醒剤取締法違反で逮捕され実刑判決を受けた>
 とにかく彼には噂が多かった。
<ブラジルへサッカー留学生を送っている。そのときにトラブルがあり、刑務所に入れられ、二度とブラジルの地を踏めない>
<納谷には、アルゼンチン人の殺し屋がついており、不都合なことを書くと消される>
 後から、全て嘘であることが分かるが、まるで漫画だった。
 ぼくは、どんな男なのだろうと楽しみにしながらホテルに向かった。

(続く)
(写真撮影:西山幸之)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年2月1日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに4月『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行予定。






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