正直言って驚いています。こんなにも劇的にチームが変わるものかと。1カ月前はあれだけ運動量が少なく、攻守に精彩を欠いていた日本代表が、グループリーグの3試合を通じて一気に成熟度を増してきています。カメルーン戦の勝利では半信半疑だった堅守が今や日本の強みになりました。どこでチームが変化したのか、私も選手に聞きたいくらいですね。

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 グループリーグ突破はもちろんうれしいのですが、私が一番ホッとしたのは、控えの中村俊輔(横浜FM)が試合後に満面の笑みを浮かべていたことです。「チームがひとつになっているな」。そう感じた瞬間でした。良くも悪くもここ数年の日本代表は俊輔頼み。本人も代表を引っ張るのは自分だとの気持ちを持っていたはずです。それが大会直前になってレギュラー落ち……。精神的に切れてもおかしくない中、ベンチでピッチの選手たちと一緒に喜んでいる姿に、今の代表の雰囲気のよさが伝わってきました。

 高さを消した中澤の技術

 そして俊輔が抜けたことで、戦術面でも大きな変化が生じました。彼のパスを起点にするのではなく、選手個々が自ら動いてスペースをつくる。中盤でボールを奪えば、長友佑都(FC東京)、駒野友一(磐田)がオーバーラップし、攻撃に厚みをつくる。これによりオランダ戦の後半あたりから、守りのみならず攻めのリズムも出てくるようになりました。

 デンマーク戦は相手が立ち上がりから攻勢をみせるのは想定の範囲内でした。そして194センチの長身FWニクラス・ベントナー(アーセナル)をターゲットにロングボールを放り込んでくることも予想されていました。果たして、どう対処するか。私はそこに注目していました。

 日本はこの点でも、よく相手を研究していました。裏へ抜ける動きや高さをケアするため、やや最終ラインを下げ気味にコントロールし、持ち味を封じました。特にベントナーのマークについた中澤佑二(横浜FM)はうまく体をぶつけたり、ワンテンポ早く飛んだりと、彼に踏み込んで高くジャンプさせない工夫をしていましたね。こういったボールのないところでの動きは地味ですが見逃せません。非常に経験豊富な中澤らしい光るプレーでした。

 この3試合を振り返って、決勝トーナメント進出の立役者をあえてあげるとすれば、長友になるでしょう。カメルーンのFWサミュエル・エトー(インテル・ミラノ)、オランダのFWディルク・カイト(リバプール)、デンマークのMFデニス・ロンメダール(アヤックス)と対戦国のキーマンをしっかり封じました。彼の運動量、フィジカルの強さが世界レベルにあることを証明しましたね。

 そしてワントップの慣れないポジションで結果を出した本田圭佑(CSKAモスクワ)にも触れないわけにはいきません。2ゴールをあげた決定力もさることながら、DFの立場から私が評価したいのは彼のファーストディフェンス。「守備はできればしたくない」。そんな大会前の発言とは裏腹に、しっかり体を寄せ、パスコースを消していました。本田のところで相手の攻めを遅らせることができたのは大きかったです。

 控えのコンディション維持も重要

 さぁ、いよいよ次は決勝トーナメント、パラグアイ戦です。パラグアイの特徴は堅守速攻。日本と似たようなスタイルです。ただ、南米のチームだけあってボールを持ってからのキープ力、突破力は相手が上手でしょう。日本としてはグループリーグ同様、ボールを持たれた時に、いかに人数をかけてコンパクトに奪えるかがポイントとなります。

 守備がうまく機能すれば、あとは攻撃です。これからはトーナメントですから、最終的には点をとらなければ上へは行けません。パラグアイのDF陣を崩すには一本調子では不可能です。まずは本田をターゲットに縦パスを供給し、相手の守りが中へ寄ったところをサイドへ散らす。サイドをケアされたら中へ入れる。そういったメリハリある攻めが求められます。結論としては両サイドからのクロスを何本入れられるかが勝負のカギを握るでしょう。

 加えて控えメンバーのコンディション維持も大切です。選手たちの南ア滞在も長くなってきました。代表選手は自分たちのチームでは誰もが主力。そのため、ベンチにいる選手の試合勘が鈍る危険性が出てきます。私も“ドーハの悲劇”の際に長期遠征を経験しましたが、いつ出番があるかわからない状況で準備を続けるのは大変なもの。彼らに対する調整とフォローがコーチ陣の大事な仕事になります。

 当初、この1回戦の組み合わせではイタリアとの対戦が濃厚とみられていました。パラグアイは確かに強いですが、イタリアよりはくみしやすいとみます。ここまで来れば、1戦1戦悔いのないよう最善を尽くすのみ。「世界を驚かす」と宣言した岡田監督の目論見どおり、3試合の戦いぶりには世界中が驚いています。もう一度、いや、あと何度でも世界を驚かせましょう。今のチームなら、それができるはずです。


大野俊三(おおの・しゅんぞう)
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://business2.plala.or.jp/kheights/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。