今年のオールスターでひと際輝きを放ったのが、ベテラン山崎武司(東北楽天)だ。第1戦、代打出場でホームランを放ち、全パ唯一の得点を挙げると、スタメン出場した第2戦では第1打席の初球を左中間へ。40代では史上初の2試合連続アーチでファンを魅了した。ペナントレースでも2日現在、日本人選手ではリーグ2位の19本塁打をマーク。40歳を過ぎてもなお、衰えを知らない。しかし、ここまでの野球人生は順風満帆ではなかった。若き日の苦悩に二宮清純が迫った。
二宮: 山崎選手はドラフト2位でキャッチャーとして入団されましたが、途中で野手に転向されました。同じキャッチャー出身の和田一浩選手(中日)なんかは、野手に転向を言い渡されたときは大きなショックを受けたと言っていましたが。
山崎: 僕はキャッチャーをやめたくて仕方なかったんです。

二宮: キャッチャー以外の野手だったらポジションにこだわりはなかったと。
山崎: はい、なかったですね。とにかくバッティングをやらせて欲しかったんです。特に当時のコーチはバッティング練習をさせてくれなかったので、すごくストレスを感じていました。

二宮: 高校では通算56本と強打者として期待されて入団されたわけですからね。
山崎: 最初はストレートだったら打てるだろう、なんて思っていましたけど……。

二宮: プロの世界はどうでしたか?
山崎: いやぁ、いきなりプロの厳しさを知りましたね。春のキャンプが終わって、広島との2軍戦のオープン戦に出場したんですけど、全く打てなかったですね。とにかくボールがバットに当たらないんです。守備でも散々でした。その試合、サードで出場したんですけど、いきなりサードゴロが飛んできたんです。捕球して、「あぁ、これは楽勝だな」と思いながらファーストに送球しました。肩には自信があったので、自分では矢のような球を投げたつもりだったのに、ファーストまで3バウンドのボールになったんです。

二宮: いわゆるイップス?
山崎: はい、緊張しちゃって。アウトにはなったんですけど、「うわぁ、こんなんじゃオレ、プロでやっていけないよ」と落ち込みましたね。

二宮: 山崎さんでもやっぱり緊張したんですね。
山崎: いえ、自分では全く緊張しているつもりはなかったんですよ。でも、相当緊張していたんでしょうね。ベンチに帰ってきて、「やばいなぁ……」って思っていたら、後ろから三浦将明さんがポンポンと肩を叩いて「おい武司、プロに入ってきたヤツはみんな同じ経験をしているんやから、あまり考え込むなよ」って慰めてくれました。でも、それから2、3年はプロの洗礼を浴びっぱなしでしたね。

二宮: 3年目からようやく一軍の試合に出始めたわけですけど、初ホームランまでは5年かかっています。それまでクビになるのではという危機感はありましたか?
山崎: いえ、そういう危機感はありませんでした。というのも、当時、僕は2軍ではホームランも打点もいい成績を収めていたので、自分では「バッティングに専念させてもらえば、やれるのに」という思いがあったんです。当時はまだキャッチャーだったので、野手に転向して、バッティングで勝負したいなと、そればっかり考えていました。一つ下にはマイナー知らずの立浪和義がいましたけど、彼が活躍しているのを見て「オレだって、チャンスもらえれば、あれくらいやったるわ」って思っていまいしたから(笑)。

<今月5日発売の『潮』(2010年9月号)には、さらに詳しい山崎選手のインタビュー記事が掲載されます。こちらもぜひご覧ください。>