オリンピック・パラリンピックの公式エンブレムは、その大会の精神を象徴するものでなければならない。まるで太陽のように力強い深紅の円の下に描かれた金色の五つの輪。日本のグラフィックデザイナーの草分けと言われる亀倉雄策氏が手がけた1964年東京大会のロゴである。シンプルゆえにそのメッセージの力は圧倒的だ。
 戦後19年にして東京で開催された平和の祭典は「戦後復興」の象徴であると同時に、国際社会への復帰をアピールするものでもあった。アジア初の五輪開催ということもあって、国民の高揚感はピークに達していた。亀倉氏の作品は、その全てをみたしており、余すところがない。今見てもピンと背筋が伸び、晴れがましい気分になる。

 そして、このことを忘れてはならない。20年大会も招致段階で訴えたのは、「復興」だった。東京が開催都市に決まった直後の合同記者会見で安倍晋三首相は力説した。「ひとつになって復興を進め、立派に五輪を成功させていきたい。震災の際にいただいた支援に対する恩返しになる」

 64年大会が戦争からの復興なら、20年大会は東日本大震災からの復興。この国が「立ちあがる姿」を見てほしい――。それが2度目の五輪に託した首相のメッセージだったはずだ。

 ところが、である。数々の盗用疑惑が指摘され、撤回に追い込まれたアートディレクター佐野研二郎氏の作品から、そうしたメッセージを汲みとることはできなかった。これはある意味、デザインの真贋よりも致命的なことではなかったか。おそらく審査委員会は首相の話を聞いていなかったのだろう。

 さらに驚くのは佐野作品を選んだ理由として審査委員側から、五輪ビジネスに拍車をかけることを意味する「展開力」という言葉が恥ずかし気もなく出てきたことである。それは“言わぬが花”だろう。私はIOCの商業化路線を頭から否定するものではない。ただ、そこには自ずと節度が必要だ。こうも衣の下から鎧が散らついては興が冷めてしまう。

 なぜ、4年前に美大生が手がけた招致エンブレムが今も支持されているのか。それは桜のリースに込めた「大震災で苦しむ日本に活気が戻ってほしい」との彼女のあふれんばかりの思いが、しっかりと見る側に伝わってくるからである。作品の地力とは、そういうものなのだろう。

<この原稿は15年9月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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