先日、好評発売中の編集長の新刊『プロ野球「衝撃の昭和史」』の発売祝いを文藝春秋の編集者の皆さんに催していただきました。ご招待いただいたのは都内の日本料理店。和牛ステーキや松茸など、おいしい食事をいただきながら、会は大いに盛り上がりました。

 さて料理の途中に大皿に乗せられて運ばれてきたのは、薄くスライスされたお魚の刺身。この季節の薄造りと言えばフグしかないでしょう。
「今日は豪華だな~」
 僕は心の中で小躍りしながら、口の中に入れるのを楽しみにしていました。

 フグの刺身と言えば、編集長から幾度となく聞かされたエピソードを思い出します。編集長が長嶋茂雄さんに取材した後、一緒にフグ料理を味わった時のお話です。

「おいしそうなフグ刺しが大皿に並べられて出てきたんだよ。長嶋さんが“おいしそうですねぇ~”って言うものだから、“どうぞ、先に召し上がってください”と勧めたら、“おいしいですねぇ~”とうれしそうにどんどん口に運ぶんだよ。そこまでは良かったんだけどね……」

「それで、どうなったんですか?」

「いや、実は長嶋さん、大皿のフグ刺しを全部平らげちゃったんだよ。僕たちは一切れも食べられなかった。長嶋さん、それを知らずに、僕たちに“いや~、本当においしかったですねぇ~。皆さんも召し上がりましたか? エヘヘへ”って笑顔いっぱいに話していたね。さすがに“食べられませんでした”とは言えなかったよ……」

 長嶋さんらしい笑える伝説ですが、編集長は「そこにミスターのすごさを感じた」と力説していました。
「だって、普通は周りの人か食べているかどうか気づくでしょう? でも、長嶋さんはフグ刺しを食べている途中、そのことしか頭に入っていなかったんだろうね。このくらい目の前のことに集中できる能力が、あの素晴らしいプレーを支えていたんだなと感心したよ」

 この話を聞いて以来、僕の頭の中では「フグ刺しは食べられる前に食べよ」という教訓が刷り込まれていました。お皿が届くやいなや箸をのばし、透きとおりそうな白身をすくいあげ、ポン酢に合わせます。

「ん~、うまい」

 編集長も負けじと、どんどんと刺身をつまみ、お腹の中に収めていきます。気づけば編集長と僕で競い合うように食べ、皿の上は空になっていきました。

「あ~、これはおいしかったな」
 編集長は満足そうな表情で箸を置きました。
「いや~、このフグ刺し、とてもおいしかったです」
 僕も、そう店員さんに伝えると相手は怪訝な表情を浮かべています。

「あれ? せっかく褒めているのに……」と不思議に思うと、店員さんが申し訳なさそうな声で僕の耳元で囁きました。
「お客様、大変、失礼ですが、これはフグではなく、カワハギの刺身でございます……」

「え~?」
 完全なる僕の勘違いでした。今の時期ならフグと思いこんでいたのですが、あとで調べると夏の魚であるカワハギは秋から冬にかけてもおいしく食べられるそうです。

「I、これはフグじゃないよ。文章同様、まだまだ甘いな。でもハギもうまいんだよ」
 全国各地でおいしいものに舌鼓を打ってきた編集長はすぐにカワハギと分かったそうです。まぁ、フグ刺しなんて、まだ人生で数度しか食べたことありませんので、カワハギとの違いなんて分かりません。
  
「フグ刺しとカワハギの刺身を間違うな」
 新たな教訓が僕の辞書のグルメ編に追加されてしまいました……。

(スタッフI)
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