九州の門司に“伝説のスカウト”がいる。
 広島東洋カープスカウト部顧問の村上(旧姓・宮川)孝雄だ。
 九州地区を中心に、ピッチャーでは200勝を達成した北別府学、“炎のストッパー”と呼ばれた津田恒実(故人)、バッターでは「天才」の異名を欲しいままにする前田智徳、走攻守三拍子そろった大型外野手・緒方孝市(現・野手総合コーチ)らを発掘し、指名した。
 門司に74歳の老スカウトを当HP編集長・二宮清純が訪ねた。
(写真:現役時代は代打で活躍、代打安打186本は日本記録)
二宮: 選手の素質を見抜くにあたって、最も重視したポイントは?
村上: キャッチボールですね。ここが野球の基本ですね。これだけは教える人がしっかりしていないとダメです。

二宮: 具体的には?
村上: まずはヒジの使い方、そしてボールを放す位置。ここが上がったり、下がったりしているようではモノにならんですね。

二宮: キャッチボールは基本中の基本だということですね。
村上: プロ野球でもピッチャーゴロを捕って一塁に悪送球するのがいる。基本ができていないから、ああなるんですよ。

二宮: 次にチェックするポイントは?
村上: 男前かどうかでしょうな(笑)。

二宮: 男前?
村上: ええ、男前じゃないと出世しません。私が知っている範囲で、男前じゃのうて成功したのは西鉄の中西太さんくらいですよ。

二宮: 確かに緒方はもちろん、前田も北別府も津田も、どちらかと言えば男前の部類に入りますね。
村上: 男前というのは何も甘いマスクということではない。皆、面構えがしっかりしているでしょう。賢そうな顔をしていますよ。

二宮: キャッチボール、男前、その次は?
村上: 基本的には公立高校の子供のほうがええですね。今はだいぶ変わってきましたが、昔、九州の私立高校の中には勉強ができんでも野球さえできれば入れてくれる高校があった。しかし公立の高校はそういうわけにはいかん。そこそこの学力がないと入れてくれませんよ。

二宮: 北別府さんは都城農、津田は南陽工、緒方は鳥栖、前田は熊本工……。確かに皆、公立高校の出身ですね。
村上: 皆、賢かったですよ。名前は言いませんけど、素質があっても成功しなかった子というのは、だいたい賢さが不足していた。
 北別府が投手コーチの時にこんなことを言っていました。鳴り物入りで入ってきたピッチャーがいて、まずひとつ教える。「わかりました」と。次に、またひとつ教える。「わかりました」。1カ月後に3つ目を教える。すると、それまでの2つのことを忘れているというんです。“アイツには教えられん”と嘆いていました。

二宮: その他に重視するポイントは?
村上: 親ですね。親を見れば子供が分かります。

二宮: どんな親がいいんですか?
村上: 父親は厳しい人、母親はしっかり者がいい。特にぬるい母親だと、いい子供は育ちませんね。

二宮: 具体的な例を教えてください。
村上: 北別府がそうじゃないですか。北別府は鹿児島県の末吉から宮崎県の都城までの20数キロを自転車で通っていました。当時はまだ舗装もしていなくて砂利の上を走っていた。
 お母さんは毎日、昼飯代として500円を渡したそうです。普通なら渡しっ放しになるところを、お母さんは100円でも50円でも余ったおカネは全部もらっていた。なぜかと聞くと、たとえ100円や50円のお釣りでも塵も積もれば山となる。それをいい方向に使うとは限らんでしょう、というわけです。いやぁ、このお母さんはしっかりしているなと思った。息子もまじめになるはずですよ。

二宮: 父親はどんな方でした?
村上: お父さんは絵に描いたような薩摩隼人でしたね。家は農家じゃった。長男、次男が働きに出ていたものだから、あの子は“オヤジがかわいそうだから、家は自分が継ぐ”と言うとりましたよ。
 だから農業高校に進んだ。地元の鹿児島商業や鹿児島実業、鹿児島商工(現・樟南)からも誘いがあったらしいんですが、あの子は一度、こうと決めたら自分を曲げない。性格のきつさはカープの中でも一番じゃったですよ。

二宮: 北別府さんはカープが初優勝した1975年のドラフト1位ですよね? 甲子園にも出場していないピッチャーを、よく1位で指名しましたね?
村上: あの時はちょうど関係があった高校野球の審判から電話がかかってきたんです。「今日、負けるかもしれないから、最後に観に行ったほうがいいぞ」と。

二宮: 北別府さんが3年夏の県予選ですね。
村上: そうです。準々決勝の宮崎日大戦です。完璧なピッチングで1対0の完封勝ちを収めた。ヨソのスカウトは誰も来ていなかったので、“いい時に来た”と思いましたよ。
 このピッチングのウワサを聞きつけたのか、残り11球団のスカウトが皆、宮崎に集結した。すると準決勝の日南戦で15安打を打たれ、6点もとられて負けてしまった。

二宮: 疲れでしょうか?
村上: いや原因は雨だったんです。2日間、中止になり、3日目は監督が選手たちを都城に待機させていたらしい。すると急にやることになったというんです。

二宮: つまり北別府さんはウォーミングアップも満足にできず登板してしまったと?
村上: そうなんです。急いで球場にやってきて、グラウンドをちょっと走ってすぐにプレーボール。これでは力は発揮できない。打たれたとは言っても原因がはっきりしていたので私の評価は下がりませんでした。

二宮: 当時の北別府さんのいいところは?
村上: とにかくボールが速かった。高校時代は間違いなく150キロを出していましたよ。

二宮: プロでは140キロ台でしたが……。
村上: あれはプロに入ってから遅くなったんです(笑)。

<この原稿は講談社『本』(2010年8月号)に掲載された内容を抜粋したものです。現在発売中の9月号ではインタビュー後編が掲載されています。こちらもぜひご覧ください>