ボクシングで言えば興南の4回KO勝ちだった。4回、7本の安打を集中して東海大相模の好投手・一二三慎太から一挙7点を奪った。
 感心したのは7本の安打のうち3本をセンター前に集めたことだ。内外角に変化球を投げ分け、打たせて取るピッチングを身上とする一二三は執拗なボディーブロー攻撃にさらされているような心境ではなかったか。
 コツコツと連打を浴びせ、相手が弱ったと見るや一気に畳み込む。まるで同校OBの元世界ジュニアフライ(現ライトフライ)級王者具志堅用高のボクシングを見るような戦いぶりだった。その意味で興南は勝つべくして勝ったと言える。
 史上6校目の春夏連覇の立役者はもちろんエースの島袋洋奨だ。疲れもあったのだろう。この日は奪った三振こそ4つと少なかったが、要所要所では縫い目にしっかりと指の掛かったストレートを投げていた。

 トルネードの元祖と言えば元メジャーリーガーの野茂英雄だ。彼の真骨頂は走者を背負ってからの粘り強いピッチングにあった。
「四球が多いのでは?」。そう問われるたびに「いや、本塁に返さなければいいんです。目的は勝つことですから」と答えていた。島袋のピッチングからも同じような野球観が透けて見える。
 要するにどこで力を入れるべきか抜くべきか、誰がキーパーソンで、どこが勝負どころか。そのすべてを彼は知っている。だから彼は勝てるのである。

 こうしたチームは一朝一夕にできるものではない。高校野球は指導者の性格や考え方が反映されやすい。チームは指導者の実像を映し出す鏡でもあるのだ。
 2007年にOBの我喜屋優が監督に就任した時点で興南の今の姿は想像できた。それは北海道に初の真紅の大旗をもたらした駒大苫小牧の監督・香田誉士史(現鶴見大コーチ)が我喜屋を師と慕っていたからである。

 我喜屋は興南高卒業後、社会人野球の大昭和富士に入り、しばらくして大昭和北海道に移った。凍てつくグラウンドの整備法、成功体験のない道産子球児への指導法、そして、勝負への執念…それらはすべて我喜屋から学んだものだと香田は語っていた。
 聞けば興南の選手たちは梅雨時、長靴を履いて練習するという。これは我喜屋が雪の北海道で学んだものだ。工夫一つで困難は克服できる。我喜屋は野球を通じて生徒たちに人生を教えているのかもしれない。

 私は四国の出身である。かつては「野球王国」と呼ばれたが、今やその面影はない。初戦で徳島の鳴門、2回戦で高知の明徳義塾がいずれも興南に大差で敗れた。双方とも甲子園の優勝経験校である。だが実力的には横綱と前頭ほどの差があった。「盛者必衰の理」は高校野球においても例外ではない。

 春夏連覇を達成したことで今後、興南は全国から打倒の対象となるだろう。ボクシング同様、タイトルは奪うことよりも守ることの方が難しい。まして高校野球の場合、選手は毎年入れ替わるのだ。それでも集中力、粘り強さ、たくましさといった遺伝子は後輩たちに受け継がれる。「島人(シマンチュ)」野球のさらなる開花と進化に期待する。

<この原稿は2010年8月22日付『琉球新報』に掲載されています>