柔道女子63キロ級でアテネ、北京と五輪を2連覇した谷本歩実(コマツ)が21日、正式に現役引退を表明した。所属するコマツ本社で会見に臨んだ谷本は「柔道を始めて20年、“一本柔道”を自分なりに表現し、貫いてきた。五輪2大会連続オール一本(での優勝)という結果に心の中から達成感があふれてきた」と決断に至った経緯を説明し、「後悔ない柔道人生だった」とすがすがしい表情で語った。今後はコマツ女子柔道部のコーチとして、指導者としての道を歩む。
(写真:笑顔の引退発表だったが、妹の育実から花束と手紙を受け取ると感極まった)
「引退して今、一番したいこと……柔道がしたいなと思います。今でもすごく柔道が好きですね」
 やはり、谷本は柔道の申し子だった。ともすればポイントを稼いで勝てばいいとの風潮もある昨今の柔道界で、あくまでも一本にこだわった。「小さい子供たちが一本を必死で取りにいく姿をみて、これこそ柔道だなと思った」。全試合一本勝ちによる五輪連覇は世界で彼女しか成し遂げていない偉業だ。

 ただ、その一方で近年はケガとの戦いが続いた。アテネで金メダルを獲得した後は腰痛に悩み、北京後の昨年4月には前十字靱帯を断裂して手術を受けた。「自分が自分に応えられないのがつらかったですね」。一本柔道を信条にする者にとって、理想を体現できにくくなっていたのも、また事実だった。「ロンドン五輪という選択肢はなかったのかなと思います。ロンドン五輪という目標があれば、まだ現役を続けていたと思います」。現役を続ける目的が定まらずにもがいた2年間。だが、それも振り返ってみれば貴重な時間だった。

「ケガは大きなマイナスになりましたが、気持ちの面ではプラスになりました。前十字靱帯断裂の時には、たくさんの人に応援していただいて素直にうれしかった。これを知らずに終わっていたら、今の自分はなかった」
 最終的に第一線を退くきっかけになったのは、この夏の引退報道。「歩実ちゃん、お疲れ様」。反響の大きさに驚くと同時に、不思議なほど心の中に達成感が広がった。自らを「勝負師」と認めるほど、勝ち負けの世界に身を浸していた自分が、「これからは楽しい柔道で自分を高めていけたら」という心境になっていた。

 現役時代の思い出としては、「最大のライバルであり、一番大好きな選手であり、尊敬する選手」と語るフランスのデコスとの試合をあげた。初めて対戦したのはちょうど10年前。谷本が19歳の時だ。2000年のジュニア選手権決勝で一本負けを喫し、ホテルの庭で何時間も悔し涙を流した。その時、「大丈夫かい」と声をかけてくれたおじさんが、実はデコスの父親だったと最近知った。

 それから8年後、因縁の相手とは北京五輪の決勝で激突する。「もし一本で勝てたら引退してもいい」。強い決意で臨んだ試合は、鮮やかな内股での一本勝ち。デコスが先日の世界選手権で来日した際には「あの時のアユミは本当に強かった。組んだ瞬間に強いと感じたよ」と思い出話に花を咲かせた。「決勝という舞台で戦えたのはひとつの区切りであり、思い出。それがすべてだったと思います」。まさに現役生活のハイライトともいえる一戦だった。

 終始、笑顔を絶やさなかった谷本だが、感極まったのは妹の育実から花束とメッセージを贈られた時だ。最も身近な相談相手でもあり、練習相手でもあった妹とは、ずっと苦楽をともにしてきた。この日の朝も、現役選手としては最後の練習を一緒に行ってきた。
「お姉ちゃんは人柄、柔道ともにみんなから憧れの選手だったね。抜群の運動神経と頭脳、キレのある技、攻め続ける姿、人を思いやる心、明るい性格。私もそんな風になりたくて追いかけてきたよ」
 そう妹が涙ながらに姉をねぎらうと、こらえてきた感情が一気に頬をつたった。

 既に4月よりコマツのプレーイングコーチとして、後進の指導にあたっている。世界選手権では後輩の杉本美香が78キロ超級と無差別級の2階級を制した。「自分のことのようにうれしかった。指導者としてのやりがい、魅力を感じた」。会社に所属するかたわら学校にも通い、栄養学など教える立場として必要な勉強にも励んでいる。
(写真:「叶わない夢なんですけど、一度、自分と対戦してみたかった」と明かす)

「指導者としてみるようになって、自分もこうしたらよかった、ああしたら良かったと思うようになってきた。それを生かしたい」
 引退を決めて、全日本柔道連盟・上村春樹会長のところへ報告に行くと、嘉納治五郎が唱え、自ら書いた「精力善用」「自他共栄」(心身の力を最も有効に活用し、人間と社会の進歩と発展に貢献することを目的とする柔道の基本原理)の書を示され、「これを目に焼き付けておくんだぞ」と言われた。日本の選手を育てることはもちろん、いずれは身体能力の高い外国人に一本柔道を教えたいとの夢もある。第二の人生も名前のごとく「実」りあるものにすべく、谷本は新たな道を歩み始める。 

※谷本が喘息との戦いを語った「Zensoku.jp」での当HP編集長・二宮清純との対談はこちら
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