当HP編集長の二宮清純がインタビュアーを務めるBS朝日の番組『勝負の瞬間(とき)』が9月26日(日)、21:00より放送されます。この番組では毎回、各競技から一流たちをお招きし、トップを極めた技術と、その思考法に迫ります。これまでのスポーツ番組とは一味違ったインタビュードキュメントです。今回はW杯4回連続出場を果たしたサッカー日本代表の川口能活選手をお招きします。
 当サイトでは番組に先駆けて、川口選手とのインタビューの一部を紹介します。

二宮: 川口さんはサッカーを始めたのはいつからですか?
川口: 小学校3年生からです。

二宮: 最初からゴールキーパー?
川口: いや、元々は他のポジションを色々やっていたんですけど、なかなかゲームに出る機会がなかったんです。そして小学校4年生の時に、たまたまキーパーをやっていた子が休んで、その少年団の監督さんが「川口、キーパーやってみろよ」と言ってきて、その時にキーパーで試合に出た。そこでたまたまいいプレーをしてしまって、これからは「お前がGKをやれ」ということになって、そこからずっとですね。

二宮: 以前、元日本代表選手に聞いたのですが、もう二度とゴールキーパーやりたくないって言うんですよ。土のグラウンドだったから痛いし、ユニフォームも汚れるし、点取られたら責任問われるし、女の子にはもてないし。
川口: アハハハ。

二宮: その人が、「やはりキーパーのイメージを変えたのは川口じゃないか」と言っていたんです。それまでのゴールキーパーは体がでかくて、動きが遅い選手が任されるポジションというイメージがありましたからね。川口さんが始めた頃はどういうイメージでしたか?
川口: やっぱり、周りの選手たちもフィールドプレーヤーになりたがって、ゴールキーパーは敬遠されていましたね。ただ、僕の所属していた少年団のトレーニングがすごくハードで、試合の後にも走る練習があったんです。それで、子供心にさぼりたいという気持ちがあって、ゴールキーパーは試合中に走ることがないから体力的には楽だなと。それでキーパーを長くやり続けたというのはあったんですけどね。

二宮: なるほど(笑)。他のポジションに比べて、楽ができたと?
川口: たしかに、それはありました。でも、当時から僕だけは「キーパーがカッコいい」って思っていたんですけどね。
>>この続きは番組をお楽しみ下さい。

 1996年アトランタオリンピック、98年フランスワールドカップなど、日本サッカーが世界を舞台に戦ってきた歴史を紐解くと、ゴールマウスにはいつも川口選手の姿がありました。今年6月に行われた南アフリカワールドカップでも、右足脛骨の故障で9カ月実戦から離れているにも関わらず、4回目のワールドカップの切符を手にしました。それだけでなく、岡田武史前日本代表監督は世界で戦ってきた川口選手の経験を高く評価し、彼をチームキャプテンに任命したのです。

 南アフリカでベスト16入りを果たした岡田ジャパンは、大会直前のスイス合宿で選手間の話し合いを持ちました。この話し合いの陰にはキャプテンである川口選手の存在がありました。「チームが一つになっていないように感じたので、みんなに声をかけました」――。15分程度の短いミーティングになる予定が、1時間以上にも及ぶ話し合いに。そこで各選手が思いのたけをぶつけ、23人が一つの方向へと進みだしました。直前合宿地で起きた岡田ジャパンの変化とは何だったのでしょうか。

 また、世界のトップと戦ってきた川口選手の経験は、日本サッカーの方向性を示す貴重な証言になります。ゴールキーパーにとって最も嫌なFWとは、日本にストライカーが生まれるためには。多くの経験と数々の成功、失敗に裏付けられた川口選手の言葉を聞くと、サッカーに対する新しい価値観が生まれるかもしれません。濃密な55分間をどうぞお楽しみください。

 この『勝負の瞬間』は月1回ペースでお届けしています。どうぞお楽しみに!

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