柔道女子48キロ級で2000年シドニー、04年アテネオリンピックを連覇した谷亮子参議院議員が15日、競技の第一線から引退することを発表した。7月の参院選で民主党の比例代表で初当選を果たした谷は、08年北京オリンピックで銅メダルを獲得したのを最後に試合から遠ざかっていた。都内の憲政記念館で会見に臨んだ谷は決断の理由として、「自分の競技よりも、スポーツ全体のために力を尽くしていきたいという気持ちが強くなかった」と語り、議員と現役生活の両立に葛藤があったのでは、との見方に対しては「特段、悩みはなかった」と言い切った。復帰戦とみられていた11月の講道館杯全日本体重別選手権(千葉)は欠場し、既に全日本柔道連盟には強化指定選手辞退の手続きを行っている。
(写真:「ママになっても金」で制した2007年の世界選手権は「大きな意味をもつメッセージを送ることができた」と振り返った)
「今日まで両立をして公務と柔道の練習を積み重ねてきた。スポーツを志す気持ちは変わらない」
「ひとつひとつ手を抜かずにやっていくことがあったからこそ、次のステージに向かうことができた」
「途中で引退を考えていたら続けられなかった。引退を思ったことはこれまで1度もありません」
 30分間の会見中、ヤワラちゃんと呼ばれた柔道家から弱音や悩みを感じさせる発言は全く出てこなかった。では、なぜ第一線を退かなくてはならなかったのか。彼女が努めて笑顔で前を向いて話をすればするほど、その心の奥に隠された苦悩を感じざるを得なかった。

 柔道界のみならず、スポーツ界最大のヒロインでありパイオニアだった。彼女も思い出のひとつにあげた15歳の福岡国際で優勝し、世界の表舞台に躍り出て20年。誰も踏み入れていない道を次々と切り開いてきた。世界選手権6連覇、全日本体重別11連覇、2大会連続の金メダルを含む5度の五輪出場……。畳の上での成績もさることながら、その過程では結婚、出産、育児を経験した。さらには帝京大、トヨタ自動車とあえて柔道部のない厳しい環境に飛び込み、自らを高め続けた。「結婚したら引退、出産したら引退ではダメ。それは自分が実践しないと伝わらない部分があった」。「田村亮子で金、谷亮子でも金」「ママでも金」。キャッチーなフレーズで世間の感心をひき、それをエネルギーに変えた。

 今や谷に憧れて柔道に打ち込んだアスリートが、世界のトップクラスに成長している。先の世界選手権で谷と同じ48キロ級を制した浅見八瑠奈(山梨学院大)もそのひとりだ。皮肉にもそんな若手の台頭は選手・谷を苦しい状況に追い込んだ。北京五輪終了後、第2子を出産して競技から離れている間、同階級は福見友子(了徳寺学園職)、山岸絵美(三井住友海上)、浅見の3強時代に突入。また五輪出場には国際大会の成績に応じたポイントによるランキングで上位に入ることが条件とされた。試合に出られない谷に対し、全柔連はこの9月、強化選手としてのランク降格を決定。ロンドン五輪を目指すには11月の講道館杯への出場が不可欠になると事実上の“最後通告”を行っていた。ちょうど15日は講道館杯のエントリー締切日で、谷自身は否定したものの、大会出場が困難になったことが決断の引き金となったのは想像に難くない。

「20代を過ぎたころからもう下り坂という捉え方が多いが、20代でできなかったことが30代でできる。30代でできなかったことが40代でできるとスポーツをしていて感じている。年齢を理由にするとスポーツは若い世代にしかできないものと思われる」
 しかし、それを証明するにはあまりにも高いハードルを自らに課してしまった。家庭と競技の両立のみならず、この夏には参議選に出馬。与党議員の一員として公務をこなしながら、本人曰く「夜中や朝早くに練習をして力を発揮する場を目指していた」。単にひとりのアスリートとして将来を考えたなら、国政に進む選択肢はとらなかったはずだ。「日本のスポーツ全体の振興」を公約に掲げて当選した以上、柔道のことばかりを考えるわけにもいかない。その意味では、どこかで一区切りをつけざるを得なかった。

 会見には「長年のヤワラちゃんのファンのひとりとして、政界入りをお願いした張本人として」民主党の小沢一郎元代表も同席した。小沢氏は「世間では政治家とスポーツ選手の2足のわらじみたいな言い方をする人がいますが、そういう考え方は了見が狭い」と語気を強めた。
(写真:小沢氏は「今回の決断は本当にびっくり、本当に残念」と語り、挨拶を終えるとすぐに会場を後にした)

「ヨーロッパでは自分自身の仕事を持ち、政治の仕事をきちんとやっている。政治家を全うすると同時に自分自身の目的に向けて励むことはおかしいことではない」
 確かにもっともな意見である。だが、日本の政界、ひいては日本の社会がそうなっていないのが現実だ。先の代表選、谷は小沢氏の推薦人として選挙活動の先頭に立っていた。それは本人の意思だったのかもしれないが、周囲がどこまで彼女の思いを理解し、サポートできていたのだろうか。
「仕事をしながら子育てをしながら競技を続けていくことは環境が揃わないとできない。日本にはそういった環境が揃っていない。スポーツにおいてはないに等しい状態」
 会見中、谷のトーンがこの時だけ一段と上がったのは印象的だった。

 谷は民主党のスポーツ議員連盟の会長も務める。スポーツ基本法成立をはじめとするスポーツ立国戦略の実現へ果たす役割は小さくない。
「多くの方に期待していただける選手であり続けることが大切。大きな期待を力に変えていけたからこそ、長年、世界の舞台に立ち続けることができた」
 それは選手を議員に置き換えても変わらないはずだ。優先順位で低くみられがちなスポーツ政策をいかに変革していくか。その柔道スタイル同様、素早い動きで“一本”を決めてほしい。

(石田洋之)