当HP編集長の二宮清純がインタビュアーを務めるBS朝日の番組『勝負の瞬間(とき)』が2月26日(土)、19:00より放送されます。この番組では毎回、各競技から一流たちをお招きし、トップを極めた技術と、その思考法に迫ります。これまでのスポーツ番組とは一味違ったインタビュードキュメントです。今回は昨年のバレーボール世界選手権の銅メダルにも貢献した全日本女子のセッタ―・竹下佳江選手をお招きします。
(写真:収録後には竹下選手と二宮がバレーを楽しむ場面も)
 当サイトでは番組に先駆けて、竹下選手とのインタビューの一部を紹介します。

二宮: 竹下さんのバレーボール人生について振り返っていただきたいのですが、竹下さんは身長が159センチとバレーボール選手としては非常に小柄です。今はセッターでも180センチぐらいの身長がある時代ですよね。子供の頃はどういうポジションだったんですか?
竹下: 最初にバレーを始めた頃はレシーバーでした。

二宮: 当時の身長は?
竹下: 大きくはないですけども、ごく普通だったと思います。ただ、運動神経は良かったですね。

二宮: その後もバレーを続けてきたけど、なかなか背は伸びなかったわけですよね。背を伸ばすために、たとえば牛乳をたくさん飲んだりといった苦労はあったんですか?
竹下: はい。それなりに身長がほしくて牛乳を飲んだり、「いりこを食べなさい」とか言われましたね(笑)。両親も買ってきてくれましたし、それこそ雑誌の裏に載っている「身長が伸びる」といった類のものも試しました。でも、ある時期から「もういいや」って思いましたね(笑)。

二宮: セッタ―を始めたのはいつ頃ですか?
竹下: 小学校5年生です。正直なところ、セッターを始めた時には小さいからセッタ―という感じだったので、できれば華があるスパイカーをしたいとずっと思っていました。

二宮: セッターの面白さがわかり始めたのは?
竹下: 本当にセッタ―としての奥深さや面白みを感じ始めたのは25、6歳を過ぎたぐらいです。実業団に入った頃は、おもしろくなかった。セッターは監督の意図を考えてチームのコントロールをしなくちゃならないポジションです。18、19歳くらいで実業団に入った頃は、そういうものは全くわからない。何でこんなに怒られるんだろうとばかり感じていました。
>>この続きは番組をお楽しみ下さい。

 決して望んだ場所ではなかったセッタ―というポジション。しかし、竹下選手は経験を重ね、ついには全日本入りを果たします。自身初の五輪出場を目指したシドニー五輪予選。日本は最終予選に敗れ、女子バレーが五輪の正式競技になって以降(不参加のモスクワ五輪を除く)、初めて大舞台への道が閉ざされてしまったのです。言うまでもなく女子バレーは日本のお家芸。世間の批判は小さいセッタ―に集中しました。「封印したい過去」。今でも本人がそう振り返るほどの苦しい日々を竹下選手は明かしてくれます。

 一時は引退を決意し、ハローワークにも通って就職先を探したという竹下選手ですが、再びバレーボールの世界で自分の居場所を見つけます。全日本のセッタ―としてアテネ、北京と五輪連続出場を果たし、挫折から立ち直った背景には何があったのか。今だから話せる当時の裏話まで語っています。

“世界最小、最強セッタ―”とも呼ばれる竹下選手の武器は正確なトスワーク。番組ではトスをあげる際に意識しているポイントなど、その高度なテクニックの一端を紹介します。もちろん昨年の世界選手権での銅メダルの要因や、来年のロンドン五輪へ向けての心境も明らかに。
「生まれ変わったら、今度は大きい身長でセッタ―をやってみたい」
 竹下選手は番組内で、こんな言葉を残しました。逆境やハンデを乗り越え、セッタ―道を究めようとする姿勢は、バレーボールファンのみならず、何かに行き詰っている人々に大きな力を与えてくれるはずです。
(写真:竹下選手は親指でトスのコントロールをしているという)

 この『勝負の瞬間』は月1回ペースでお届けしています。今後も一流のアスリートたちが続々と登場予定です。どうぞお楽しみに!

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