転職総合サイト「DODA」では、スポーツを通してビジネスを語る連載コラム「二宮清純のビジネス×アスリート論」を好評連載中。スポーツの観点から取り上げられたエピソードをもとに、ビジネスマンとしての心得や転職活動の方法について、二宮清純が語ります。激しい競争世界で生き抜いてきたアスリートたちから学ぶことは多いはず。二宮清純がこれまでの取材で得た彼らの思考法、成功例をビジネスにあてはめて紹介します!
CHAPTER1.経験力で存在感を示す

 4月は1年の中で最も人が動く時期である。新しい会社や部署でいいスタートを切りたいと考えている人は少なくないはずだ。
「早く、皆さんに溶け込みたいと思います」「不慣れでご迷惑をおかけしますが、一生懸命頑張ります」。自己紹介の常套句だが、ややパンチ力に欠ける。新入社員ならまだしも、そこそこキャリアを重ねてきた者や中途採用者には、もっと気の利いた挨拶が求められる。

「僕もわからないことがあったら、どんどん質問するから、みんなも、僕に聞きたいことがあったら遠慮なく質問してほしい」
トレードのたびにチームメイトにそう語りかけたのは工藤公康だ。

 高校卒業後、西武(現埼玉西武)に入団した工藤は31歳でダイエー(現福岡ソフトバンク)、36歳で巨人、43歳で横浜に移籍、46歳になって再び西武のユニホームに袖を通した。
 工藤はどのチームでも頼りにされた。持ち前の明るいキャラクターに加え、チームメイトへのアドバイスがツボを押さえていたからである。

 たとえば現在、阪神で活躍するキャッチャーの城島健司。彼は工藤が育てたキャッチャーといっても過言ではない。
 ダイエー時代、工藤は監督(当時)の王貞治から「城島を一人前に育ててくれ」と頼まれた。キャッチャーを育てるには時間がかかる。

 工藤は答えた。「わかりました。そのかわり、一年間、城島を僕に預けてください」。
 こう語った時点で工藤は覚悟を決めていた。「失敗した場合、オレが責任をかぶらんといかんだろうなァ……」
さて、工藤はどうしたか……。


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