眼前に迫ったロンドン五輪において、日本最初の金メダル獲得を期待されるのが松田知幸だ。2010年8月の世界射撃選手権で50メートルピストルと10メートルエアピストルを制覇。この時点でロンドン五輪内定日本人第1号となった。世界王者にまで上り詰めた男の強さの秘訣はとは……。二宮清純が迫った。
(写真:最初に出場するのは現地時間7月28日の10メートルエアピストル)
 呼吸の余韻

二宮: 松田さんはのフォームは?
松田: 腕を下ろした状態から、息を吸いながら上げていきます。人間は息を吸うと体が上がる。その力を利用し、(息を)吸って上げて、吐きながら下ろします。

二宮: 腕を下ろす時は、地面と水平に下ろす?
松田: はい。また、その時は手首を固定しています。競技を続ける中で、「ここなら当たる」という角度に固定されていくんです。最初の時は意識的にやるんですけど、今はもう無意識下ですね。他人にも「この角度です」と説明できます。その状態から息を吸って上げて、スーっと自然に下ろしていく。

二宮: あくまで「自然体」が大事なわけですね。
松田: 力を入れて下ろすことはありませんね。下から上げたらそのまま下ろす。もし、腕を上げて狙いが定まらなければ、やり直します。時間をかけて一度の流れを完結させることはしませんね。というのも、照準の時間が長くなれば、腕が震えだすんです。呼吸も苦しくなるので、そういう時に無理に撃ってしまうと外れる。だから、一度リセットするんです。極端に緊張したり、撃発のイメージがわかない時は、この作業を10回ぐらいくり返し、やっと1発を撃つこともあります。

二宮: 撃発のフィーリングが合わなければ絶対に撃たないと?
松田: 5分ほどかけて、1発を撃ったこともあります。微妙に、「あ、この角度は違う」とか「ここで撃ったら外れる」というセンサーができあがっているといえますね(笑)。ただ、それでも撃ってしまう時が試合によってはある。そうすると、失点につながっていくんです。

二宮: 撃発する時は、体がぶれないように呼吸を止めるのですか?
松田: 限りなく止めていますね。

二宮: 限りなくですか。その加減が難しそうですね(苦笑)。
松田: 止めてしまうと「うっ」と力が入ってしまいます。息を止めることもしないんですけど、やはり限りなく止まっています(笑)。実際、止まっている時間に撃っていると思います。ただ、自分の意識では呼吸が続いている。普通にフーっと息を吐き続けると、いずれは止まるじゃないですか。私の場合は、そこで息を「ぐっ」と止めているわけではない。フーっと吐き続けたら、呼吸の余韻というような時間がある。その時に撃つ感覚ですね。

二宮: 「呼吸の余韻」とは極意ともいえる表現ですね。
松田: 余韻の時間が長いと、「ハアハアっ」と息が切れ切れになる。その状態になるぐらいのところで撃ってしまうと、外れるんです。

二宮: 余韻の中でもベストタイミングがあると?
松田: そうです。息を吐き切ってしまったらダメだし、吐ききることもしない。限りなく、フゥゥ……と息が出なくなってからの余韻が、撃発のタイミングです。これを過ぎてしまっても、早すぎてもダメ。ここのベストタイミングのところでいかに撃てるか撃てないか。私の場合、腕を上げ始めてから大体2、30秒ぐらい。照準してからだと、撃発するまでは大体6秒から8秒ですね。

 大切なのはバランス

二宮: ピストルの重さは約1キロとお聞きしました。そんなに軽いものではありません。射撃をするにあたって、日々どのようなトレーニングをされているのでしょうか?
松田: 最重要なのは、ピストルを持ったりして負荷がかかる右腕の筋力です。ただ、極端に右腕を鍛えるようなトレーニングはしていません。ピストルを持ったり、鉄アレイなどで多少の筋トレは行いますが、それ以上に左腕も鍛えるんです。
(写真:「刑事ドラマのような連続射撃はまずできないですね」と笑う)

二宮: 左手もですか。
松田: なぜかというと、左と右の筋力バランスが崩れてしまうと、体の中心がブレてしまうからです。それを整えるために、左右均等、もしくは左重視といってもいいかもしれません。右腕で射撃練習をするので、右腕の筋力は日に日につく。でも、左腕はトレーニングをしなければ、筋力はアップしませんからね。

二宮: 体の左右がアンバランスだとよくないわけですね。他に重視している箇所は?
松田: 腰まわり、要するに体幹トレーニングにも気をつかっています。あとは、インナーマッスルですね。そんなにガッチリした筋肉ではなく、体を支える内側の筋肉を鍛えることが重要です。地面に四つんばいの状態で、左右の手足を伸ばすトレーニングをよくやりますね。

二宮: 予選では60発も撃つのだから握力や指の力も重要では?
松田: 実はそんなに必要ではありません。私の(50メートル用の)ピストルは、設定している引き金の重さが70グラムしかないんです。

二宮: 70グラムですか!? それは軽いですね。グググっと引かないと弾が出ないというイメージでしたが……。
松田: 重いものを引こうとすると力が入るので、手が揺れる。そうすると、銃も揺れているので、弾が当たらないんですよ。なので、私のピストルの70グラムの引き金は、少し(引き金に)触れたとしたら、出るようになっていますね。

二宮: 触れたらですか。それは微妙な感覚ですね。
松田: 「引く」という感覚はないですね。指を引き金にかけたら出る。そういう感覚です。引き金の重さに慣れてない人が握ったら、その瞬間に弾が出てると思います(笑)。まあ、警察官が持っているピストルはそんなに引き金が軽いものはありません。私のピストルは競技用です。50メートルも離れた的に狙いを定め、スッと撃発できるようにセッティングしてあります。

 重圧をかけようとした時点で負け

二宮: 射撃の特徴として、自分が撃っているすぐ隣に他の選手がいることが挙げられます。競技前に他の選手へプレッシャーをかける心理戦もあるのでしょうか?
松田: うーん……それは、ないですね。国際大会の決勝の常連になってくると、他選手とも友達のような関係になるので、控え所で話すことはあります。ただ、策略として陥れてやろうというような感覚はありません。逆に、射撃の場合はメンタルが大きなウエイトを占めるので、人を蹴落とそうとか、そういう風に思った段階でもう自分の心には負けていると私は考えています。

二宮: 邪念が入っていては勝てないわけですね。では、競技中にご自身または相手の点数を気にすることは?
松田: 自分の順位については、たまに見ることはあります。世界基準の点数が頭の中に入っているので、スコアでどれぐらいの順位にいるのか大体分かるんです。ただ、試合環境によってその基準は上下します。たとえば、「このままの点数を維持していけば決勝に行ける」とか「けっこういい位置につけているのではないか」をパッと確認する。その時に、点数が決勝進出ラインのギリギリだとしたら「ああ、もう外せないんだな」とか「もっとしっかりしなくちゃいけないな」と気を引き締めます。しかし、そういった気持ちのコントロールは安定した精神状態じゃないとなかなかできない。なので、基本的に点数は見ないですね(笑)。

二宮: 緊張するのは1発目と最後の60発目だということですが……。
松田: もう最初と最後は、2発目から59発目とは別物ですね。極端にいうと、最初と最後が10点に入るか入らないかで結果が変わります。射撃では1点差で勝ったり負けたりの試合がザラにある。たった1点ですけど、すごく重いんです。2発目から59発目の1点は比較的、重圧がかからないので、10点に入れるか入れないかで結果はそこまで影響しません。しかし、最初と最後は全員が同じ精神状態。緊張している中で、他の選手たちが10点じゃなく9点に当てたとしたら、私も9点に撃ってしまう可能性が高いはずです。だからこそ、大一番で10点に入れられれば、その差は1点差ではなく、2点差の意味合いを持つと考えています。
(写真:競技用でも所有者ではない人間がピストルを持つことはできない)