今年1月の東京箱根間往復大学駅伝で30年ぶりの総合優勝を果たした日本体育大学。前年度は同校史上最低の19位に終わり、64年続いていた襷も途切れた。まさに崖っぷちから這い上がっての優勝だった。「当たり前のことを見直す」と改革を敢行した別府監督に、二宮清純が古豪復活の要因を訊ねた。
二宮: 12年の箱根駅伝は19位。9区で繰り上げスタートということで、64回目の出場にして、初めて襷が途切れました。そこから立て直すというのも様々な困難があは大変だったと思いますが、どのような手法をとられたんですか?
別府: やはり一番は、選手の中にできないことに対する言い訳が、非常に多かった。そういった甘えを排除するために、強引かもしれないんですが、“俺が黒といえば、白でも青でも、全部黒だ”と、そういうやり方で、この1年、2年で立て直すしかないと思いました。

二宮: 1年で結果が出たというのは、想定以上だったと?
別府: 上回っていると思います。当初は2年以内に、常に優勝を狙えるような位置まで戻したいという考えでした。

二宮: 大方の予想では、東洋大と駒沢大が優勝候補に挙げられていました。優勝のチャンスがあると監督自身思われていましたか?
別府: 12月に入ってから、ちょっとはチャンスがあるのかなという程度ですね。今年の箱根は、全てがうちのチームにとってプラスに働いた気がしますね。それまでの流れというか、箱根本番もそうでしたけども、非常に“追い風”があったのかなと思います。

二宮: キャプテンは、3年生の服部翔大選手。山上りの5区で1分49秒差を逆転して、トップで往路をゴールし、区間賞も獲得しました。
別府: 彼はそれだけの力を持っています。1年生の頃から山の適性があると感じていました。ただ、1区、2区で出遅れると、結局5区で抜かし切れない。これまでは、戦力的にそのチャンスがなかったんです。

二宮: 3年生のキャプテンというのは、日体大では珍しいことなんでしょう?
別府: 私が就任して3年目に1度やっているんですが、その時はうまくいきませんでした。学生スポーツですから、最上級生の4年生がチームを引っ張るというのは基本なんですけど、去年、一昨年を見た時に、今の4年生ではリーダーシップをとれる者がいない。そう考えたので、4年生をそのままキャプテンにさせて悔いを残すのであれば、3年生でやって失敗した方が、リスクがないだろうと判断しました。

二宮: ということは、3年生で服部君をキャプテンにしたのは、2年続けてやれというメッセージでもあったわけですね。
別府: はい。そういうことです。

二宮: 特に体育会系というのは序列がありますから、反発を持つ選手もいたんじゃないでしょうか?
別府: やはり我々の時代とは違って、今は上下関係も、以前ほど強烈にあるわけではありませんので。

二宮: 下級生キャプテンが上級生に命じるのは大変ですよね?
別府: それはあったと思います。ただ、キャプテンは服部なので、彼が“右を向け”と言えば、“右だ”というふうに、こちらもサポートしました。服部本人とも話をしましたけど、そんなに大きく苦労したことはないと言っていましたね。

二宮: 監督を含め周囲が服部キャプテンを支えたということですね。
別府: そうですね。同学年には本田匠や矢野圭吾など強烈なメンバーがいますから、彼らにも支えてもらいました。服部も孤立することなく、上級生ともギクシャクしなかったと見ています。

二宮: 箱根を走った選手も7人残っているということで、来シーズンは本命視されると思いますが、ディフェンディングチャンピオンという意識はありますか?
別府: 箱根駅伝はイベント化されていて、非常にマスコミの注目度も高い。ですから、何も言わなくても必然的にそうされますので、我々は基本をしっかりやる。このスタンスをいかに貫き通せるかというところが、勝負だと思っています。

<現在発売中の『第三文明』2013年5月号では、さらに詳しいインタビューが掲載されています。こちらもぜひご覧ください>