11日、世界陸上競技選手権モスクワ大会2日目が行われ、男子100メートル決勝はウサイン・ボルト(ジャマイカ)が9秒77で制した。ボルトは2大会ぶりの優勝。男子20キロ競歩は西塔拓巳(東洋大)が1時間22分9秒で6位に入った。世界選手権の競歩での6位入賞は日本人最高成績タイ。一方、メダルが期待された鈴木雄介(富士通)は1時間23分20秒で12位だった。優勝はアレクサンドル・イワノフ(ロシア)。この種目のロシア勢3連覇に貢献した。女子1万メートルでは、ティルネッシュ・ディババ(エチオピア)がロンドン五輪に続き、世界一を勝ち取った。新谷仁美(ユニバーサルエンターテインメント)は30分56秒70で自己ベストを更新し、5位入賞。男子400メートル予選では、金丸祐三(大塚製薬)が通過ラインぎりぎりの全体24位で、準決勝に進んだ。前日の男子100メートル予選で敗退した山縣亮太(慶應義塾大)は、左太ももの肉離れが判明。最終日の400メートルリレーで日本代表はエースを欠いて戦うこととなった。
 人類最速の男、王座に君臨

 伝説の男は雨にも負けず、今シーズンベストをマークした。ボルトは2年前のリベンジに対し、気負った様子はなく、さも当然のようにタイトルをかっさらった。

 レース直前、突然降り始めた雨。モスクワの空は雷が鳴り響いていた。
 悪条件と言える状況だったが、ボルトは選手紹介の際に傘を差すジャスチャーを見せるなど、リラックスした様子だった。

 十字架を切り、天を指さすスタート前のルーティン。そして号砲が鳴ると、“サンダーボルト”はトラックを駆け抜けた。
 前回の大邱大会はフライングで失格。ベルリン大会につづく連覇を逃した。そのせいかリアクションタイムは0秒163はファイナリストの中では5番目の数字だ。元々、スタートは得意ではないといえ、慎重に入っているようにも見えた。

 中盤で抜け出したのは、ボルトの左隣のレーンを走るジャスティン・ガトリン(米国)だった。ボルトは大きなストライドでガトリンを追いかけた。ガトリンはこの種目、アテネ五輪の金メダリスト。さらにボルトは6月のIAAFダイヤモンドリーグのローマ大会でこのガトリンに敗れている。今シーズン、唯一の黒星を喫した相手が今大会の最大のライバルだった。

 人類最速の男が同じ相手に2度も敗れるわけにはいかない。グングン加速し、終盤で並ぶと、必死に食い下がるガトリンを振り切った。ゴール手前では、体ひとつ分ほどの差をつけた。9秒77と世界記録更新はならなかったが、積んでいるエンジンが他とは違う。そう思わせるような圧倒的な強さだった。この種目では、9秒58の世界記録を出した2009年のベルリン大会以来の優勝。五輪では100メートル、200メートル、400メートルリレーと2大会連続の短距離3冠を達成している。世界選手権では200メートル、400メートルリレーは連覇を継続中。2大会ぶりの短距離3冠に向け、まず1冠を手にした。

 そして残りの200メートル、400メートルリレーでは、どんなタイムで走るかにも注目が集まる。大会2日目を終え、ここまで世界記録は生まれていないが、記録更新はやはりこの男が成し遂げるのか。過去のボルトを超えるのはボルトしかいない。そう思わせてしまうほど、図抜けている。今大会はタイソン・ゲイ(米国)、ヨハン・ブレーク(ジャマイカ)というライバルが欠場したため、余計にその構図が際立ったかたちとなった。

 この決勝の舞台に日本人が立つことはなかった。前日の予選で桐生祥秀(洛南高)、山縣は惜しくも敗れた。ただ準決勝を見ると、今大会の決勝進出ラインは10秒00――。現状では厳しかったと言わざるを得ない。それでも世界と戦うためには、日本勢は9秒台を出す必要がある。勢いのある若手の登場に期待値は高いが、他国だって指をくわえて見ているわけではない。同じアジアに目を向けると、中国の短距離界が力をつけてきている。この日の準決勝には2選手が出場。第2組では、中国の張培萌が着差で準決勝敗退に終わったものの、10秒00の国内記録を叩き出した。こういった力の近いアジアのライバルとも競い合って、力を磨いていきたい。

 涙から見えたプロとしての自覚

 ゴール後、涙が溢れてきた。彼女にとっては2度目の世界選手権。女子1万メートルで新谷は自己ベストを2秒以上更新し、5位入賞を果たした。重圧から解放され、安堵の思いからくるものに見えたが、実は違った。
 
 レース前は泣き出しそうな顔をしていた新谷。何度も胸の前で腕を組み、祈っていた。明らかに不安に押しつぶされそうな様子の彼女は、大きく深呼吸をして必死に自分を保とうとしていた。
 ロンドン五輪では5000メートル、1万メートルに出場。福士加代子、吉川美香に支えられながら1万メートルで日本人トップの9位。今大会ではただ1人の代表だった。今度はチームで戦うことはできない。心強い先輩2人がいない分、責任も全て背負い込んでいた。

 新谷は世界選手権行きを決めた日本選手権で、他を圧倒する走りを見せた。全員を周回遅れにする一方的な勝利で、“新トラックの女王”の誕生の瞬間だった。しかし、彼女に笑顔はなかった。自らのタイムに不満を露わにし、さらには自らに完敗した他選手たちに苦言を呈した。「陸上を甘く見ている」。それだけ陸上に対し、真摯に取り組んでいる自負があった。夢にまで出てくるほどだったという。ゆえに彼女は負けるのが怖かった。「10回勝っても、大舞台で1回負けたら、その印象がついてしまう」

 序盤は、北京五輪銅メダルのシャレーン・フラナガン(米国)に次ぐ2番手につけていた新谷。3500メートルあたりで、フラナガンの後ろを離れ、トップに躍り出た。そこからはアフリカ勢を相手に先頭で走り続けた。半分の5000メートルを過ぎて、15分30秒38のペース。自らがレースを作った。7000メートルを過ぎ、集団も徐々に絞られてきた。8000メートルでは新谷を先頭にロンドン五輪の金メダリストのディババ、グラディス・チェロノ(ケニア)らアフリカ勢の5人となった。

 女子1万メートルはここ8大会はケニアかエチオピアのどちらかが優勝しており、ロンドン五輪でも上位5人までアフリカ勢が独占。「“何なのこの日本人”と思わせたい」と語っていた新谷は、真っ向から勝負を挑んでいった。9000メートル過ぎても、依然新谷がトップ。ただ、アフリカ勢は勝負どころをうかがっている。本当の勝負は彼女らがスパートをかけた時、それについていけるかだ。

 ラスト1周の鐘が鳴る前の直線で、それは訪れた。アフリカ勢はディババがついに仕掛けた。それに呼応するように他の3人も飛び出していった。新谷はそのスピードについていけなかった。みるみる間は離されていく。そのままディババが逃げ切り、ロンドン五輪に続く世界大会での優勝を成し遂げた。それから13秒遅れて、新谷は5番目にフィニッシュ。

「欲しかったのは常に結果。メダルを獲らないと、この世界にいる必要がない」。それほどの覚悟で臨んでいた。流した涙は悔しさからくるものだった。「まだまだ甘ちゃん」と自己採点も厳しかった。奇抜な発言と明るいキャラクターで天真爛漫なイメージもあるが、「私にとって陸上は仕事」と言い切り、プロとして自らを追い込む新谷。果敢に挑んだその姿勢にはプロとしての意地や責任が詰まっていた。

 20歳の新鋭、健闘の6位

「持っている力は出せた。100点満点です」。世界選手権初出場の西塔は笑顔でレースを振り返った。最後のトラックで2人にかわされたものの、満面の笑みで両手を上げてフィニッシュした。

 序盤、ルジニキスタジアムを周回してロードへ飛び出した。集団から抜け出し、レースを引っ張ったのは西塔だった。持ち味である積極的なレースを大舞台でも臆することなく展開した。最初の5キロを20分17秒で歩いた。西塔に続いたのは、2秒差で鈴木。すると西塔は6キロ過ぎ、鈴木にトップを奪われる。徐々に先頭から離されると、西塔はロンドン五輪のメダリストらが形成する2番手グループに入った。

 13キロあたりでトップを走っていた鈴木を、後続がとらえ始める。トップ集団はロンドン五輪金の陳定、銅の王鎮の中国勢、同銀メダリストのエリック・バロンド(グアテマラ)に加え、地元ロシアのイワノフが追い越した。それでも鈴木、西塔は入賞圏内。日本人ダブル入賞も見えてきた。すると、先頭に立った王鎮が歩行違反で失格。

 西塔は息を吹き返していく。15キロ通過時点では、トップと25秒差の6位に浮上した。その後、1つ順位を上げると、今度は2位につけていたバロンドが歩行違反で失格した。西塔は表彰台まであとひとつと迫った。このままでも世界選手権では過去最高の成績だった。スタジアムに4番手で戻ってきた西塔だったが、トラックでポルトガル、ロシアの選手2人に抜かれてしまう。順位を2つ下げ、6位でゴールした。競歩で世界選手権6位は50キロの今村文男、森岡紘一朗と並ぶ日本人最高タイの成績。西塔は「目標を達成できた」と頬をほころばせた。19歳で出場したロンドン五輪では25位だったが、20歳になり6位入賞し、世界と戦えることを証明した。

 今シーズン世界ランク2位のタイムを持ち、表彰台を公言していた鈴木は、12位に終わった。「メダルを最低限としていたので、本当に悔しいし、申し訳ない」。得意の先行逃げ切りの型で中盤まで先頭を歩いた。しかし、後続に飲み込まれると、そのままズルズルと順位を下げていった。「まだまだ力が足りていない」と、自己ベストには程遠い1時間23分20秒。大邱大会に続く入賞すらかなわなかった。

 ロンドン五輪のメダリスト2人が失格となった波乱のレースをモノにしたのはイワノフ。この種目はベルリン、大邱大会をロシアのヴァレリー・ボルチンが制しており、ロシア勢の3連覇となった。ロンドン五輪では中国勢に押し出され、メダルを獲れなかっただけに競歩大国が意地を見せた。またイワノフは地元ロシアの金メダル第1号。トラックに入り、勝利を確信した観衆からは大きな声援を送られた。

 競歩史上初のメダル獲得とはならなかったが、20歳の新星・西塔の活躍はエース鈴木にも大きな刺激を与えるだろう。鈴木が3月に出した日本人初の18分台にはじまり、世界選手権での競歩で最高タイの結果は、今後の強化に大きな一歩となるはずだ。

 主な結果は次の通り。

<男子100メートル・決勝>
1位 ウサイン・ボルト(ジャマイカ) 9秒77
2位 ジャスティン・ガトリン(米国) 9秒85
3位 ネスタ・カーター(ジャマイカ) 9秒95
山縣亮太(慶應義塾大)、桐生祥秀(洛南高)は予選敗退

<男子400メートル・予選>
【4組】
1位 ルグエリン・サントス(ドミニカ共和国) 45秒23
6位 金丸祐三(大塚製薬) 46秒18
※金丸は準決勝進出

<男子競歩20キロ>
1位 アレクサンドル・イワノフ(ロシア) 1時間20分58秒
2位 陳定(中国) 1時間21分9秒
3位 ミゲル・ロペス(スペイン) 1時間21分21秒
6位 西塔拓己(東洋大) 1時間22分9秒
12位 鈴木雄介(富士通) 1時間23分20秒

<男子十種競技>
1位 アストン・イートン(米国) 8809点
2位 ミハエル・シュレーダー(ドイツ) 8670点
3位 ダミアン・ワーナー(カナダ) 8512点
22位 右代啓祐(スズキ浜松AC) 7751点

<女子1万メートル・決勝>
1位 ティルネッシュ・ディババ(エチオピア) 30分43秒35
2位 グラディス・チェロノ(ケニア) 30分45秒17
3位 ベレイネッシュ・オルジラ(エチオピア) 30分46秒98
5位 新谷仁美(ユニバーサルエンターテインメント) 30分56秒70

<女子走り幅跳び・決勝>
1位 ブリトニー・リース(米国) 7メートル01
2位 ブレッシング・オカグバレ(ナイジェリア) 6メートル99
3位 イバナ・スパノビッチ(セルビア) 6メートル82

(杉浦泰介)