13日、世界陸上競技選手権モスクワ大会4日目が行われ、女子棒高跳びでエレーナ・イシンバエワが4メートル89で優勝した。イシンバエワは3大会ぶり3度目の金メダル。男子400メートルハードル準決勝に出場した岸本鷹幸(富士通)は失格に終わり、為末大以来の8年ぶりの決勝進出はならなかった。同400メートルはラショーン・メリット(米国)が今シーズン世界最高の43秒74で3年ぶりに王座を奪還。男子円盤投げ決勝は、ロベルト・ハーティング(ドイツ)が3連覇を達成した。女子20キロ競歩はエレーナ・ラシュマノワ(ロシア)が1時間27分8秒で制した。地元ロシアは男子20キロに続くアベック優勝。日本勢は大利久美(富士通)が26位、渕瀬真寿美(大塚製薬)が29位に終わった。男子5000メートル予選は、佐藤悠基(日清食品グループ)が13分37秒07で2組11位。日本人の同種目初の決勝進出はならなかった。
 大会の顔、地元で高らかに舞う

 世界選手権モスクワ大会のロゴマークには、ポールをしならせ、バーを越えようとするポニーテールの棒高跳び選手が描かれている。
 そのモチーフがエレーナ・イシンバエワだということは、火を見るより明らかだ。いわば大会の顔が、モスクワの空を高く舞い、頂点に返り咲く。絵に描いたような筋書のドラマだった。
“主演女優”イシンバエワ――。ルジニキスタジアムは、地元のヒロインの復活劇を目にし、盛大に沸いた。

 4メートル30、45、55と、10センチ以上ずつ上がっていくバー。イシンバエワはその3つの跳躍をパスし、いつものように赤いキャップを目深に被って、他の選手の試技を待った。
 主役の登場は、バーの高さが4メートル65に設定されてからだった。この日、最初の跳躍は失敗。足がバーに当たってしまった。それでも2回目でしっかりクリア。安堵の思いもあったのだろう。両手を挙げて喜んだ。4メートル75を一発で成功すると、ここで前回大邱大会女王のファビアーナ・ムレル(ブラジル)らが脱落。優勝争いはイシンバエワ、ロンドン五輪金メダリストのジェニファー・サー(米国)、今シーズン世界ランク1位とヤリズリー・シルバ(キューバ)ら4人に絞られた。

 つづく4メートル82は、10年前にイシンバエワが最初に更新した世界記録と同じ高さだ。彼女はその10年間、屋内外で計28度(屋外15、屋内13)も記録を塗り替えてきた。しかし、1回目はヒザが触れて、バーを落としてしまう。2回目の跳躍で成功すると、両手を挙げてガッツポーズを作った。これで今シーズンの自己ベスト(4メートル78)を越えた。

 4メートル89の跳躍までコマを進めたのは、イシンバエワ、サー、シルバ。あとはメダルの色を決める戦いとなった。試技順先頭のイシンバエワは力強い助走から踏み切り、バーを越えた。彼女が空からマットに着地すると、スタジアムは割れんばかりの歓声に包まれた。後に続いたサーとシルバにプレッシャーをかけた。それが響いたのか2人とも2回連続で失敗し、後がなくなった。

 まずサーはシューズがバーを蹴ってしまい頂点を巡る争いから落ちた。つづくシルバはこの日、12回目となる跳躍。踏み切りの力は弱く、足がバーに触れてしまう。バーがこぼれ落ちた瞬間、イシンバエワの6年ぶり3度目の優勝が決まり、スタジアムは再び大歓声で揺れた。イシンバエワはスタンドにいるコーチの元へと駆け寄り、抱き合った。

 イシンバエワは自らの世界記録更新をかけ、5メートル7にチャレンジしたが、1回目は踏切が合わず、2回目は体が右に流れて、ヒザがバーを叩いてしまった。3回目もバーを蹴りあげてしまい29度目の世界新とはならなかった。

 五輪と世界選手権で2度ずつ計4個の金メダルを獲得した棒高跳びの女王。しかし、近年は衰えが見られ、世界大会の優勝も07年の大阪大会から遠ざかっていた。ロンドン五輪では銅メダルを獲得したものの、記録は4メートル70。かつて世界記録を連発していたような勢いはなくなっていた。ゆえにイシンバエワの母国での復活Vは劇的だった。競技中はクールな彼女もウイニングランでは、歓喜の思いを爆発させ、トラックで側転やバック転を披露した。TVカメラに向かって「スパシーバ(ありがとう)」と叫び、優勝インタビューでも「スパシーバ」と何度も口にする姿は、まるでカーテンコールのようだった。31歳の女王の去就に注目が集まるが、ファンからのアンコールはまだ鳴り止まないだろう。

 “むつの鷹”、モスクワで跳べず

 2005年ヘルシンキ大会で為末が銅メダルを獲得した男子400メートルハードル。準決勝第2組に出場した岸本は、8年ぶりのファイナリストへ挑んだ。
 今シーズンの持ちタイム(49秒08)は同組の8人中6番目だった。また前日の予選では3位に入り、着順での通過を決めたものの、自己ベストには程遠い49秒96のタイム。岸本はその出来に不満を露わにしていた。

 そして準決勝は第1組を終え、決勝への暫定通過ラインは48秒85となった。「とにかく自分の持っている以上の力を出していきたい」。レースを前に、そう意気込んだ岸本だが、求められているのはまさしく「今持っている以上の力」を出すことだった。

 号砲が鳴り、岸本は勢い良く飛び出した。リアクションタイムは0秒147。この組最速の抜群のスタートだった。
 恩師の苅部俊二が「世界でもトップクラス」と評する綺麗なハードリングで、快調に飛ばしていった。

 しかし、序盤まで先頭争いをしていたが、徐々に失速。今季世界ランク1位のマイケル・ティンズリー(米国)らに突き放されていった。「200メートル過ぎあたりからくると予想していましたが、食らいついていくことができなかった」。最後の直線ではライス・ウィリアムズ(英国)にも競り負け、5着でフィニッシュした。タイムも49秒45と、自己ベストはもちろん今シーズンのベストにも届かなかった。さらにハードルの高さより抜き足が低いとの判定で、失格となった。

 今シーズン序盤は苦悩続きだった。春先のレースでは不甲斐ない結果が続き、モスクワ行きも危ぶまれていた。本人も「正直なところ、今回(世界選手権に)行けるとは思ってなかった」と、語っていたほどだった。それでも6月の日本選手権では王者の意地を見せ、A標準を突破しての3連覇を達成した。

 前回の大邱大会、ロンドン五輪はいずれも故障を抱えてのレースだった。ロンドンでは強行出場し、ケガを悪化させた。今大会はケガなく迎えられた初の世界大会。岸本は「とにかく1周できた。両親の前で元気に走れたので良しとしようかな」と振り返った。海外勢との実力差を痛感しつつも、安堵の思いもあったのだろう。

“むつの鷹”が雌伏の時期を経て、モスクワで飛び立つ――。とはいかなかったが、目標にしていた「実力で準決勝」はクリアした。大邱ではタイムで拾われての準決勝進出。その悔しさは翌12年のブレイクにつながった。飛躍のための一歩をモスクワで刻んだ――。そのためには恩師の持つ48秒34を抜くこと、さらには10年以上破られていない日本記録47秒89の更新したい。リオデジャネイロ五輪まで、越えるべきハードルは少なくない。

 主な結果は次の通り。

<男子400メートル・決勝>
1位 ラショーン・メリット(米国) 43秒74
2位 トニー・マッコイ(米国) 44秒40
3位 ルグーリン・サントス(ドミニカ共和国) 44秒52
金丸祐三(大塚製薬)は準決勝敗退

<男子5000メートル・予選>
【2組】
1位 ムクター・エドリス(エチオピア) 13分20秒82
11位 佐藤悠基(日清食品グループ) 13分37秒07
※佐藤は予選敗退

<男子400メートルハードル・準決勝>
【2組】
1位 マイケル・ティンズリー(米国) 48秒31
   岸本鷹幸(富士通) 失格
※岸本は準決勝敗退

<男子円盤投げ・決勝>
1位 ロベルト・ハーティング(ドイツ) 69メートル11
2位 ピオトル・マラチョウスキ(ポーランド) 68メートル36
3位 ゲルド・カンテル(エストニア) 65メートル19

<女子20キロ競歩>
1位 エレーナ・ラシュマノワ(ロシア) 1時間27分8秒
2位 アニーシャ・キルデャプキナ(ロシア) 1時間27分11秒
3位 劉虹(中国) 1時間28分10秒
26位 大利久美(富士通) 1時間32分44秒
29位 渕瀬真寿美(大塚製薬) 1時間33分13秒

<女子棒高跳び・決勝>
1位 エレーナ・イシンバエワ(ロシア) 4メートル89
2位 ジェニファー・サー(米国) 4メートル82 ※試技数による
3位 ヤリズリー・シルバ(キューバ) 4メートル82

(杉浦泰介)