7日(現地時間)、国際オリンピック委員会(IOC)総会がアルゼンチン・ブエノスアイレスで開かれ、イスタンブール(トルコ)、マドリード(スペイン)との争いとなった20年五輪・パラリンピックの開催都市に東京が選出された。東京開催は1964年以来、56年ぶり2度目。日本としては72年札幌、98年長野の冬季大会を含めて、4度目の五輪開催となる。開催期間は20年7月24日から8月9日。続いて8月25日から9月6日にはパラリンピックが行なわれる。
(写真:関係者が集まった東京商工会議所では「TOKYO」の声とともに、大歓声が巻き起こった)
「TOKYO」。ジャック・ロゲ会長が開催地の名を読み上げると、歓喜の花が咲いた。IOC総会の会場ブエノスアイレスとは、ほぼ真裏にある日本は早朝5時20分。東京に56年ぶりの五輪・パラリンピック開催が決まった瞬間だった。

 そのちょうど7時間前に行なわれた東京の最終プレゼンテーションでは、冒頭で高円宮妃久子殿下がIOCの第1公用語であるフランス語でIOC委員たちに挨拶をした。IOCが被災地の若者を支援した“TSUBASAプロジェクト”に感謝の意を表し、こう述べた。「若い選手たちが夢に向かって羽ばたいていくでしょう」。そしてトップバッターは、パラリンピアンの佐藤真海。走り幅跳びでアテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場した義足ジャンパーだ。「私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです」と、自らの経験談を交えて“スポーツの力”をIOC委員に訴えた。

 奇しくも7日にゆり子夫人の四十九日を迎えた猪瀬直樹東京都知事は、首にゆり子さんの写真を入れたペンダントをかけながら、安心、安全で確実な開催能力を誇る東京で「誰もがスポーツに親しみ、子供たちに夢を与える社会づくり」を誓った。

 また、最も懸念された福島原発の汚染水問題に対して安倍晋三内閣総理大臣は、「東京は最も世界で安全な場所。(福島の)状況はコントロールできている」と言い切った。さらにプレゼン後のIOC委員からの質疑応答でも、福島原発の汚染水問題への質問があがると、安倍首相は「汚染水は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている」と断言。「今も、福島の青空のもと、子供たちはサッカーボールを蹴りながら、未来を見つめている。私は彼らの安全と未来に責任を持っている」と述べた。

 そして、日本時間の3時45分から行なわれた投票はIOC委員の無記名で行なわれ、第1回目で東京は過半数(48票)には届かなかったものの、トップの42票を集めた。イスタンブールとマドリードは26票で同数となったため、東京を除く2都市で再度投票が行なわれ、49票を獲得したイスタンブールが第2回目の投票に進んだ。3度目の正直を狙ったマドリードはここで脱落した。続いて決選投票が行なわれ、東京60票、イスタンブール36票で、東京が大差で勝利した。
(写真:チームジャパンを引っ張った猪瀬都知事<左>と安倍首相)

「この勝負は金メダルしかない」――誰もがそう口にしていた。前回の16年大会の招致では決戦投票でリオデジャネイロに敗れた東京。4年前の悔し涙を見事に歓喜の涙に変えた。猪瀬都知事は「最初のチャレンジがなければこの勝利はなかった」と振り返り、16年招致からの積み重ねで獲得したものだと語った。7月21日に悪性脳腫瘍のために亡くなったゆり子夫人に対しても「一緒に喜んでくれていると思います」と感無量の様子だった。東京の招致活動をロゲ会長は「非常に質が高かった」と評価した。マドリードは4度目、イスタンブールは5度目の挑戦だったが、確実な開催能力を誇る東京が2度目の挑戦で獲得した。

「ここからが本番です。東京を選んで正しかったと、評価されるように頑張っていく」と安倍首相。猪瀬都知事も「子供たちに夢を与え、少しでも復興の力にしたい」と意気込む。開催地の東京だけでなく日本全体を盛り上げ、生まれ変わっていくきっかけにしたい。7年という月日は決して長くはない。勝利を導いた“チームジャパン”の団結力を、この先さらに強くして欲しい。

(写真:発表の瞬間、固唾を飲んで中継画面を見つめた)
 また東京商工会議所では、開催都市決定を迎える会が行われ招致関係者、報道メディアなど1300人が開催地決定の瞬間を見守り、喜びに沸いた。各コメントは次のとおり。

東京都副知事・秋山俊行
「本当に嬉しい。過去1回目で1位になった都市が必ずしも選ばれていないということもあって、かなりドキドキして見守っていた。(勝因は)日本が安全、安心、安定的に大会が運営できるということに加えて、オリンピック精神を東京がアジアや世界に広げるんだということがプレゼンでIOC委員の心をうったのではないか。(2020年に)オリンピックが来ることになった。あとは実行するのみ。これまでの運動ではなく、実行が求められている」

三宅宏実(重量挙げ)
「開催決定の瞬間に立ち会えたことを本当に嬉しく思う。現地では最高のプレゼンをしてくれて、いろんな方々の熱い思いがIOC委員に伝わり、夢の実現につながった。(東京では)2回目の五輪となり、自分自身、初めて見ることになるが、今からすごくワクワクしている。スペインやトルコの人たちの気持ちを忘れずに、2020年に向けて私自身もいろんなかたちでサポートしていきたいと思う。オリンピックには夢や思いがたくさん詰まっている。開催国は枠も広がるので、子どもたちの夢が広がっていくと思う。これから『五輪に出たい』という選手たちが増えていくと思うので、とても楽しみ」

吉田沙保里(レスリング)
「本当に嬉しくて、涙を流しながら喜んだ。日本がひとつになって盛り上がり、(開催が)決まったことを本当に嬉しく思う。スポーツの最高峰の大会であるオリンピックを生で観てもられるチャンスが来たなという気持ち。(自分自身は)出られるかどうかはわからないが、東京に決まったら私も現役を続けて出たいという気持ちでずっといたので、皆さんに生で観てもらえる、応援してもらえるチャンスを自分のモノにして、選手として出られたらいいなと思う。子どもたちにはぜひ20年東京五輪を目指して頑張ってほしい」

土田和歌子(車椅子陸上)
「この歴史的瞬間に立ち会えたことを選手としてすごく嬉しく思う。オリンピック同様、パラリンピックも4年に一度の世界最高峰の大会。多くの人たちにその迫力を生で感じてもらって、ぜひ障害者スポーツも応援してもらいたい。日本の障害者スポーツを受け入れる体制というのは、まだまだクリアしなければいけない課題があることは事実。それでも今回はこれだけのプレゼンテーションをしてくれて、(7年後の)オリンピック、パラリンピックの成功につながると思うので、私自身も一選手として、一国民として注力していきたい。一児の母としては、子どもたちにオリンピック・パラリンピックの迫力を生で伝えることで、夢や希望を持って成長していってもらいたい」

大日方邦子(チェアスキー)
「これからが大きいチャレンジと思う。あと7年しかない。どの会場にも人があふれるように、パラリンピックの魅力がどう伝わるか整理したい。(オリンピック・パラリンピックを開催する意義は)スポーツの持つ力をダイレクトに感じてもらえる。私たちが発信したものが、長野では応援という力になって返ってきた。それで私は金メダルをとれた。結果として返し、またみんなが感動する。そういった普及力を経験できること」

(文/杉浦泰介、写真/斎藤寿子)