3月30日、都内ホテルにて日本パラリンピアンズ協会、Happy Japan Project主催による北京パラリンピック交流イベント「夢を翔ける 〜パラリンピックアスリートからあなたへ〜」が行われた。ノルディックスキーオリンピック金メダリストで現参議院議員の荻原健司氏がトークショーの進行を務め、競泳でパラリンピック4大会に出場し金メダル5個など計19個のメダルを獲得している河合純一選手、陸上走り幅跳びでアテネパラリンピック9位の佐藤真海選手、車いすバスケでパラリンピック2大会連続出場の京谷和幸選手という、北京パラリンピックでも活躍が期待される3名のパラリンピアンがパネリストして参加、バリアフリーの呼びかけや北京パラリンピックへの抱負などを語った。 
(写真:競技用車いすを体験する荻原氏(左)と京谷選手)
 オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される身体障害者による“もう一つのオリンピック”パラリンピック。日本パラリンピアンズ協会(選手会)とHappy Japan Project(賛同者による応援団体)の主催で開催された今イベントでは、参加選手によるトークライブと体験会が行われた。
 静岡県で教員として活躍する傍ら、トレーニングを行っているブラインドスイマー・河合選手は、バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネと4大会連続でパラリンピックに出場し、金メダル5個、銀メダル8個、銅メダル6個を獲得している。

 生まれつき片方の視力がほとんどなかった河合選手が全盲となったのは中3のときだという。「(目が)見えなくなったことで、逆にいろいろなことに気づいた。周りの人への感謝の気持ちも強くなった」。5度目のパラリンピックとなる北京大会に向け、「特に、現在3連覇中の50メートル自由形では4連覇がかかっている。そこに集中しつつ、メダル20個の大台に乗せられるよう頑張りたい」と意気込んだ。
(写真:パラリンピックで計19個のメダルを獲得しているブラインドスイマーの河合選手)

 陸上走り幅跳びの佐藤選手は、早大2年時の冬に骨肉腫を発症、翌年、右ひざ下を切断した。その後2年足らずでアテネパラリンピックに出場し、9位。サントリーの社員として勤務する傍ら、トレーニングに励んでいる佐藤選手は、骨肉腫を宣告された当時の心境やバリアフリーへの思いなどを語り、北京パラリンピックに向けては「アテネは気づいたら行けてしまったという感じで、何の準備もできなかった。今回は4年かけて狙ってきたし、たくさんの方に応援してもらって目指す北京。行くだけでは満足できない。1つでも上の順位を目指して、最後まであきらめずに挑戦したい」と笑顔で語った。2度目のパラリンピックで目指すのはメダル獲得だ。

 元Jリーガーである車いすバスケの京谷選手は、ジェフ市原のMFとして活躍していた93年に交通事故に遭い、車いす生活となった。リハビリの一環として始めた車いすバスケで日本代表となり、シドニー、アテネと2大会連続でパラリンピックに出場し、9位と8位になっている。「パラリンピックは何回行っても、素晴らしい舞台。アテネでは自分を中心に考えていたが、北京ではたくさんの人に喜んでもらいたい。チーム全員で喜べるように、北京での金メダルに向かって、今やれることに全力を尽くしていきたい」と抱負を口にした。

(写真:左から荻原氏、河合選手、佐藤選手、京谷選手)
「パラリンピック」という言葉の認知度とともに、選手たちを取り巻く環境は徐々改善されているものの、オリンピックと比較すると、政府・国庫補助金、統括団体、競技団体をはじめ、資金面やトレーニング環境など、まだまだ恵まれているとは決していえない現状だ。
 河合選手は「まずはパラリンピックを認知してもらうことから。桜前線は北上しているが、パラリンピックのムーブメントは、今日のこの場所から円状に広がっていってもらいたい」と呼びかけた。
 9月6日〜17日の11日間、20種目で行われる北京パラリンピックでの選手たちの活躍に期待したい。